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Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー 1 Noam Chomsky ノーム・チョムスキー (マサチューセッツ工科大学教授) 言語――内的なるメカニズム 物理学が抽象的記述なくしては成立し得ないように、 脳科学も、心の実在論なくしてはありえない、といえるだろう。 永く忘れられていた最初の認知革命、 17 世紀の革命における発展が 生成文法に基本的な バックグラウンドを与えたのです。 AIJ■あなたは、政治運動においても非常 に著名ですが、今日は特に言語学における バックグラウンドをお聞かせ下さい。 チョムスキー■私自身の個人的なバックグ ラウンドですか。 AIJ■そうです。 チョムスキー■私自身のバックグラウンド は、実を言うと、きちんとしたものではな いんです。私は、この分野での専門的な訓 練を、それほど受けなかったんです。もっ とも、それがかえって良かったと思ってい ますが。 私は、構造言語学のトレーニングを受け ました。たまたまセム語と歴史言語学の素 養もありました。とは言っても、これは、 私自身の関心テーマというより、父の研究 でした。それから、W. V. O. Quine、 Nelson

Transcript of Aha 1 Noam Chomsky ノーム・チョムスキーmec.gr.jp/vsm/pdf/01chmsky.pdfAha の瞬間...

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  1

Noam Chomsky

ノーム・チョムスキー(マサチューセッツ工科大学教授)

言語――内的なるメカニズム

物理学が抽象的記述なくしては成立し得ないように、

脳科学も、心の実在論なくしてはありえない、といえるだろう。

永く忘れられていた最初の認知革命、

17 世紀の革命における発展が

生成文法に基本的な

バックグラウンドを与えたのです。

AIJ■あなたは、政治運動においても非常

に著名ですが、今日は特に言語学における

バックグラウンドをお聞かせ下さい。

チョムスキー■私自身の個人的なバックグ

ラウンドですか。

AIJ■そうです。

チョムスキー■私自身のバックグラウンド

は、実を言うと、きちんとしたものではな

いんです。私は、この分野での専門的な訓

練を、それほど受けなかったんです。もっ

とも、それがかえって良かったと思ってい

ますが。

 私は、構造言語学のトレーニングを受け

ました。たまたまセム語と歴史言語学の素

養もありました。とは言っても、これは、

私自身の関心テーマというより、父の研究

でした。それから、W. V. O. Quine、Nelson

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Goodman、Carl Hempel などといった人

達の論理学や分析哲学、つまり論理実証主

義以後の分析哲学(post-logical-positivist

analytic philosophy)、オックスフォード

哲学、論理学等の分野に関するかなり徹底

的な素養を持っていました。

 私は、形式言語の研究方法、すなわち言

語の特性を特徴づける正確で生成的な理論

を用いて、言語にアプローチしようとする

ことに興味がありました。しかし、形式言

語の研究の具体的なアプローチは、当然そ

のままでは適用できず、言語にはそれ独特

の特別な特性があることが、すぐに明らか

になりました。

 そこで、私は、構造言語学と決別したい

と思いました。構造言語学は、そのような

問題には興味がなかったからです。構造言

語学は、要素の目録作りと要素間の関係の

発見に、主たる関心があったんです。そし

て、発見の手順と呼ばれていたアルゴリズ

ムに基づいて、個別言語の要素とその配列

方法を決定する構成的方法(constructive

methods)、いわゆる手続き的方法に関心

があったんです。実は、初期の頃私は、こ

れに関する研究をかなりやり、こういった

手順を精密化し改良することに努めていま

した。そうするうちに徐々に、それは全く

不可能で完全に間違ったアプローチである

と、まあ、このことは、現在よく知られて

いるような十分な理由があると思いますが、

確信するに至りました。これが、かなり一

所懸命やって、ついには、不可能であると

気付き、捨ててしまった研究方向です。

AIJ■もう少し、哲学的なバックグラウン

ドをお聞きしたいんですが。

チョムスキー■広義の哲学的バックグラウ

ンドについて言えば、勿論、英米の経験主

義の伝統の中で教育を受けました。そして、

それは全く間違っていると信じるようにな

りました。すなわち、その基本的仮定は全

く誤っているということです。そこで、折

りに触れて、それより少し前の知的伝統を

勉強し始めました。哲学や言語研究などに

おける合理主義の伝統です。

 経験主義のアプローチとそこから生じた

いろいろな種類の行動主義には,構造言語

学で見られた誤りと似たような、基本的な

誤りがあると信じています。すなわち、そ

こには、初期のイギリス経験主義あるいは

それ以前に辿ることができる、次のような

一般的な信念があったんです。心は、知識

を構築するいくつかの一般的な方法から

なっている。連想とか帰納とか一般的学習

の手順というような、単に心の性質や習慣

形成能力であるような何らかの一般的な方

法から。そして、これらが、すべての領域

の問題に同じように適用される。もし言語

資料に適用されれば、言語が得られる、と

[プロフィール]

1928 年 12 月7日、ペンシルバニア州フィラデル

フィアに生まれる。父のウィリアム・チョムスキー

(William Chomsky)は、中世ヘブライ語の言語学

者。1945 年ペンシルバニア大学入学。構造言語学

者の Z. ハリス(Z. Harris)に師事。1949 年同大学

B. A.(言語学)取得。1951 年同大学 M. A.(言語

学)取得。1951-55 年ハーバード大学ジュニア・

フェロー。1955 年ペンシルバニア大学より Ph. D.

(言語学)取得。同年 MIT 助教授。ドイツ語、フ

ランス語を教える。1957 年、生成文法理論のパラ

ダイムとして言語学に革命をもたらしたとされる

『Syntactic Structures』(The Hague: Mouton)を

出版。1958 年同大学準教授、1961 年同現代語の

教授。1966 年同現代語・言語学のFerrari P. Ward

Professor。1976 年同 Institute Professor、現在

に至る。生成文法理論の指導的な言語学者として

だけでなく、ペンシルバニア大学の学部時代から、

政治運動、とくにシオニズム運動に強い関心を示

し、以来、米国の武力外交政策の糾弾、反戦運動

の論陣をはり、政治運動家としても活躍。1966 年

と 87 年1月に言語学の特別講演のため来日。(こ

のインタビューは、今回来日の折、京都にて行わ

れたものから一部を翻訳・掲載したものです)

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いうわけです。しかし、これは全く間違っ

ている、事実に関して間違っていると思わ

れます。

 事実はどうかというと、人間の生得的な

生物学的資質が、特定の心的能力の体系、

いわゆる言語能力を決定するのだと思われ

ます。そして、言語能力は、今はまだわかっ

ていない何らかの形で、視覚系統と事実上

同じように、人間の神経系統に基盤を持っ

ていると思われます。それは、それ自身の

生物学的に決定された特定の性質に基づい

て、独自の発達を遂げ、言語や言語使用な

どの計算面の概念構造の組織化のための枠

組みを提供するのです。我々は、そのよう

な性質を発見しなければならないんです。

そのための手順などはありません。視覚系

統の性質を発見するための手順がないのと

同じように。科学の問題というのは、そう

いったものです。このような身体上のシス

テムの性質を決定するために、利用し得る

限りの証拠を使わなければなりません。そ

して、機能や形式的性質などといった比較

的抽象的なレベルを問題にしているので、

たまたま現在不明だけれども、研究の途上

で将来発見されることが期待される身体的

機構を、適当なレベルまで抽象化して研究

したものという意味での心の研究といえる

でしょう。

AIJ■これが生成文法の言語観に基づく一

般的なアプローチと言っていいんですね。

チョムスキー■そうです。これが一般的な

アプローチです。そして、実際、後で気付

いたのですが、これは、永く忘れられてい

たずっと以前の発展と関連があったんです。

最初の認知に関する革命と呼んでもいいか

もしれないもの、すなわち 17 世紀の革命

における発展と。そこでは、心の表象理論

とゲシュタルト的構造や組織の概念、そし

て、実際、現在我々が比較的自然に生物学

的枠組みと再解釈し得るような考えが現れ

ました。ですから、これが生成文法に基本

的バックグラウンドを与えているんです。

脳科学者は、

心の研究からの示唆がなければ

盲目も同然です。

脳科学の発達は、20 紀初頭の

現代物理学の発達と類似しています。

チョムスキー■さて、一旦この問題を提起

すると、すなわち一旦このようにこの問題

を捉えると、すぐにいろいろな具体的な問

題にぶつかります。まず一つ目は、人が言

語を知っているというとき、その人が知っ

ているのは何なのかということです。例え

ば、私は英語を知っていますが、私が英語

を知っているときの心の性質はどんななん

だろうか、私の心の特性は何なんだろうか。

その当時の経験主義の伝統や言語学の伝統

や心理学の伝統では、答えはこうでした。

言語を知っているという時、知っているこ

とは、習慣の体系であり、能力の集合を習

得したのであり、その習慣や能力の集合を、

強化(reinforcement)や連想、帰納、訓練

などを通して習得したのである、と。

 こういった提案が精密にされると、すぐ

に、完全に間違っているということを示す

ことができます。つまり、こういった考え

方には全く真実はなく、正しい答えはこん

なふうになるんです。言語を知っていると

いう時には、心、究極的には脳がある種の

計算システムを組み込んでいる。すなわち、

表象を作り出し、それを操作し、修正し、

運動系や感覚系などの入出力系統と関係づ

けるある種の方法を組み込んでいるんです。

これが、言語を知っているということの意

味です。英語を知っているという時には、

心の中に1つの計算システムを組み込んで

いるんです。日本語を知っているという時

には、心の中に別の計算システムを組み込

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んでいるんです。第1の問題は、こういっ

た計算システムの特性を発見することです。

 第2の問題は、こういった計算システム

の生理学的基盤を発見することです。

AIJ■そのような計算システムの基盤は、

脳科学の研究と密接に関わってきていると

思いますが。

チョムスキー■脳科学の発達は、心の研究

に決定的に依存しています。脳科学者は、

自分が探しているものについての示唆が与

えられなければ、いわば盲目になってしま

います。これは、現代物理学の発達とよく

似ています。例えば、19 世紀末の化学で

は、抽象的なレベルで、物理世界の特性を

議論しました。例えば、周期律表、原子価

の概念、化学元素や有機分子の概念などは、

その当時未解明の機構の抽象的記述です。

実際、現代物理学は、これらのものが抽象

的なレベルで解明されていったために、進

歩することができたんです。周期律表、原

子価、有機分子などの特性がわかったため

に、物理学者は、物理世界の機構がどのよ

うな特性を持っていなければならないか考

えることができたんです。ですから、それ

は特性の研究の導き手なわけです。実際、

20 世紀初頭の物理学は、ある意味で、こ

れらの性質を持つ機構を発見しようとする

試みなんです。

 もし脳科学が発達し得るならば、同じこ

とが起こるだろうと思います。心に関して、

抽象的なレベルで研究された特性を考慮し

なければならないわけです。この点から言

うと、心理主義(mentalism)は全く正常な

自然科学ですし、究極的には、次の問題で

ある脳のメカニズムの発見に進んでいくこ

とになるでしょう。これは、2番目の問題

です。

 3番目の問題は、このメカニズムがどの

ように運用されるのかを発見することです。

例えば、もし私の頭の中に英語の知識があ

るとすると、言語を使用している最中に、

どのようにその知識にアクセスするのかと

いうことです。この問題は、実は2つの基

本的な側面に分けることができます。1つ

は、いわゆる産出の問題です。私が今行っ

ていることは、どうやって行っているのか。

ひとまとまりの談話を産出するために、英

語の知識をどのように活用しているのか。

もう1つの問題、いわゆる知覚の問題は、

私が話しているときにあなたが行っている

ことを、どのように行っているかというこ

とです。すなわち、私が作り出している物

理現象を、あなたがどのように取り込み、

次に、それをどのように処理し、解釈し、

構造記述を与え、最終的に意味表示と関係

づけるかということです。これを知覚の問

題と呼びます。あるいは、時に、その計算

面を解析の問題と呼びます。これは、もち

ろん1つの側面でしかありません。

AIJ■今までの話を聞くと、大変面白い認

知科学研究という感じがするんですが、あ

なたの言語学は、認知心理学、あるいはもっ

と広義には、認知科学の一部をなすものと

考えていいわけですね。

チョムスキー■その通りです。実際、すべ

てのことが、1950 年代半ばの認知革命と

時々呼ばれている状況の中で発達したんで

す。この認知革命は、確かに、手続き的、

行動主義的、経験主義的仮定から、表象主

義的で計算主義的な心の理論への全体的な

転換でした。この革命は、随分遅れてしま

いました。そしてそして永く忘れ去られて

いて、今でもあまり知られていない伝統的

な考えの復活だったんです。

 さて、ここに3つの問題を挙げました。

第1に、言語の特質は何か、どのように心

の中で表現されているのか、その計算シス

テムはどんなふうになっているのか。第2

に、脳のメカニズムはどのようになってい

るのか。第3に、このシステムは、どのよ

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  5

うに運用されるのかということ。そして、

さらに4番めの、ある意味では最も根本的

な問題は、この知識がどのようにして習得

されるのかということです。例えば、子供

は、私たちが英語と呼んでいる計算システ

ムを、どのようにして発達させたのか。

AIJ■そこで言語習得の問題が登場してく

るわけですか。

チョムスキー■そうです。そして、この問

題に取り組むとすぐに、心理学や哲学や言

語学のほとんど全てのアプローチが、的外

れであることがわかります。それらは、事

実と全く対応していません。知識の多くが

根拠となる言語的データなしで得られてい

ることを、容易に示すことができます。提

供される如何なる証拠をも遙かに越えてい

るんです。多くの場合に、全く証拠が無かっ

たり、ほんの少しの証拠だけで知識が得ら

れているんです。ですから、これを追究し

ていくと、言語習得は、本当は、成長と成

熟の過程であるという結論に到達せざるを

得ないと思います。

 これは、胎児から完成された生体への発

達と良く似ています。結局私たちの遺伝的

資質によって決定された、内在的に方向づ

けられた過程が存在するわけです。そして、

その遺伝的資質は、外在的な環境によって、

幾らか変更を受けるんです。例えば、日本

語は言語機能(language faculty)の1つの

実現形ですし、英語は別の実現形です。そ

れらは、環境が少し異なるために、独自の

発達を遂げますが、根本的には同じです。

それらは、基本的に同じでなければならな

いんです。同じだから、私たちは、実際に

得られる知識より遙かに多くのことを知る

ことができるんです。

 まあ、こういったことが問題となります。

そこで、これらを解明するために、言語学

が登場してくるわけです。

言語習得の過程で、子供は何故

単純な規則を選ばずに、

極端に複雑な規則を

選ぶのでしょうか。

AIJ■今まで、哲学的バックグラウンドや

言語習得のメカニズムの基盤などの一般的

な問題をお話しいただきましたが、今度は、

もっと具体的な言語理論内部のことについ

て伺いたいと思います。例えば、あなたの

言語理論は、基本的に、規則に基づく文法

理論から原則に基づく文法理論に変わって

きていると思います。例えば、最近の GB

理論の考え方にみられるように。そこでま

ず最初に、GB 理論に至るまでのあなたの

言語観の歴史的変化の過程を、まとめてい

ただけますか。『文法の構造』や『言語理

論の論理的構造』などといった本との関連

で、どのようにして現在の GB 理論の仮説

に至ったのですか。

チョムスキー■1950 年代最初の試み、ま

あ、私自身の『文法の構造』や『言語理論

の論理的構造』などの 1950 年代の研究に

おける最初の試みは、ある意味で、伝統文

法の考えに基づいていました。すなわち、

規則体系があり、その規則体系がどんなも

のかを知りたいと思ったわけです。それで、

私は、規則体系は、伝統文法の体系とかな

り似ていると仮定しました。

 伝統文法には、明示的な文法体系はあり

ませんが、規則体系として形式化できる直

観的な言語観が存在します。ここでは統語

論に話を限ります。音韻論には別の問題が

ありますが、統語論だけに限りましょう。

伝統文法には、基本的に、2つの文法の規

定の方向があります。

 1つは、文には句があり、句を基にした

文の階層構造があるということです。この

事実は、句構造規則を用いて定式化できま

す。句構造規則は、2つの概念の融合体で

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  6

す。1つは、文の階層構造の伝統的な直観

的概念です。そして、2つめは、帰納関数

論の概念です。ここで特に関係があるのは、

少なくとも私にとっては、アメリカの論理

学者ポストによって、1920 年代に開発さ

れた、書き換え規則による帰納関数論の扱

いでした。これは、帰納関数論のいくつか

の扱いのひとつで、チューリング機械は、

ポストの書き換え規則の理論でした。そし

て、この枠組みの中で、句構造規則に対す

る非常に自然なアプローチが得られたんで

す。

 すなわち、こういった形式的な概念を使

うことにより、無限の数の文の生成という

概念を自然に記述できないという限界を克

服するかたちで、階層構造の直観を捉え直

すことができたんです。伝統文法は、個々

の文の構造については述べられましたが、

どうして心が無限の範囲の文を生成できる

のかという問題を説明することはできませ

んでした。しかし、こういった形式的概念

と直観を考慮すると、基本的に、句構造の

いろいろな理論が得られるんです。

 伝統文法のもう1つの規定の方向は、複

数の文構造の間に関係があるということで

す。例えば、受動文は能動文とある意味で

関係があります。実質的に同じ意味を持っ

ているわけです。あるいは、疑問文は平叙

文とある関係を持っています。配列や形式

は違っていますが、ある意味で同じ文法関

係を違ったふうに表しているわけです。こ

の概念は、変形という概念を使って形式化

できました。変形というのは、ある句構造

から別の句構造への写像と見なせるもので

す。これが2つめの概念、すなわち形式化

された変形の考え方です。

 これが、初期の生成文法の基本的な考え

方というわけです。

AIJ■この初期の文法の基本的な限界は、

さらに具体的には、どのあたりにあったの

ですか。

チョムスキー■これら2つの概念を用いて、

先ほど申し上げました4つの問題に取り組

むことができました。しかし、ある程度成

功をおさめましたが、かなり決定的に失敗

しました。本質的な失敗は、4番目の問題、

人間はどのようにして言語の知識を得るの

かに関してで下。可能な規則体系があまり

にも多過ぎるんです。もし言語資料を記述

できるように、規則体系を十分豊富にする

と、規則体系の可能な種類が多くなり過ぎ

て、どうしてそれらのうちの1つの体系を

選べるのか説明するのが、難しくなってし

まうんです。

 結局この問題には、ほんの少しの証拠や、

しばしば全く証拠がない状態で規則体系を

選択するという、経験的な条件があるので

す。このために、ジレンマに陥るわけです。

つまり、記述的妥当性と説明的妥当性の問

題です。各々の発話にそれが実際に持って

いる構造記述を与える規則体系を見つける

ことが、記述的妥当性の問題です。説明的

妥当性の問題は、その規則体系が、利用可

能な資料を基にして、どのように獲得され

るかを説明することです。もし記述能力を

高めると、説明的妥当性を弱めていること

になるんです。というのは、より多くの規

則体系を許してしまい、1つの体系を選択

することをより困難にしてしまうからです。

これがジレンマです。そして、これが過去

30 年間の基本的な研究すべき問題であっ

たわけです。

AIJ■この規則体系の習得の問題は、個別

言語のどのような具体的な問題につながっ

ていきますか。

チョムスキー■ええと、そうですね。真の

問題は、こういうことです。子供が言語を

習得している過程で、抽象的にいっていち

ばん単純な規則を選択しないのは、何故な

んだろうか。例えば、英語の疑問形成を例

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  7

に取ってみましょう。英語で疑問文を作る

には、要するに、who、what、which book

などのいわゆる wh 句を取り出して、文頭

に持っていきます。これは、単純な規則で

す。例えば、子供が what did you see?

というような文を聞いたとしたら、wh 句

を取り出して文頭に置くことができるとい

う規則があると判断するだろうと創造でき

ます。これが、一番単純な規則です。

 もし火星の科学者が英語を研究していて、

この資料を観察したならば、これが当該の

規則だと思うでしょう。ところが、子供は

決してこの規則を選ばないということを私

たちはよく知っています。子供はもっと

ずっと複雑な規則を選びます。ある場合は

wh 句を動かせるが、他の場合には動かせ

ない、というような規則です。ですから、

何故子供は、極端に複雑な規則を選び、もっ

と単純な規則を全く考慮しないのかという

のが、経験的な問題なわけです。こういっ

たことは、至るところ、言語の全ての側面

にみられます。規則体系を作ってみると、

それが極端に複雑で、資料と矛盾のない非

常に単純な代案が、決して選択されないこ

とがわかります。ですから、何故そうなの

かが問題なわけです。

すべての自然言語に

共通な深い句構造は、

規則体系から捨象し、

脳の始発状態、すなわち

言語機能そのものとして

見るべきなのです。

AIJ■この問題に答えるには、どのような

方法がありますか。

チョムスキー■基本的に2つの方法があり

ます。そして、両方とも試されました。1

つの方法は、可能な規則の目録があると仮

定することです。つまり、受身規則が可能

だとか、関係節規則が可能だとか、疑問規

則が可能だとか、規則の大きな目録が可能

だとかいうように、心が述べると仮定する

わけです。これは、どちらかというと、満

足の行かないアプローチです。ひとつには、

目録を定義するのが、とても難しいからで

すが、たとえできたとしても、まだ、何故

この目録であって、他の目録ではないのか

という問題が出てきます。ですから、たと

え規則を特徴づけることができたとしても、

説明されずに残るものがあります。

 それに、これは英語だけにとっての問題

ではありません。経験に先立つ心―脳の構

造を問題にしているわけですから、こう

いった目録は、全ての言語に通用するもの

でなければなりません。ですから、日本語

に対しても、スワヒリ語に対しても、その

他の言語に対しても同じ目録でなければな

りません。これは大変な問題です。このよ

うなアプローチでは、全くうまくいきませ

ん。

 もう1つのアプローチは、規則がどのよ

うに働くかを決定する一定不変の根本的な

原則があり、規則は実はとても単純な、例

えば「wh 句を取り出して文頭に置け」と

いうようなものであるということを示そう

とすることです。これ自体は、確かに規則

ですが、この規則は、ある非常に一般的な

条件を満足するように働かなければならな

いんです。例えば、ある種の局所性の条件

があります。抽象的な心的計算において、

要素をあまり遠くまで移動することはでき

ない。そして、「あまり遠くまで」という

のは、非常に正確に定義できます。すぐ近

くにしか動かせないわけです。もし遠くま

で動いているように見えたら、それは、実

は、この条件を満たしている一連の継起的

なステップを経て動いているんです。

AIJ■この移動と局所性の制約の問題は、

今いちばん研究されている問題の1つでは

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  8

ないですか。

チョムスキー■その通りです。そして、他

にもこの種の一般的な条件がたくさんあり

ます。

 これらの条件が発見できると、普遍的な

条件である限り、そういった特性を規則の

体系から捨象することができます。ですか

ら、規則体系の中で述べる必要はありませ

ん。正に一般的な原則なんです。そうする

と、規則体系は単純化でき、実際、とても

簡単な形にできます。

 この一般化は、2つの対等な方向に沿っ

て、規則に対する2つの基本的な概念、句

構造規則と変形規則の各々になされました。

まず、句構造規則については、規則が単純

化されて、遂には存在しなくなっています。

つまり、徐々に一歩ずつ句構造の一般原則

が発見されて、句構造規則の概念が、完全

に取り除かれてしまったんです。

AIJ■句構造規則の概念に対する一般化の

方向が普遍的な条件の抽出の過程にみられ

るということですが、この問題は、習得の

観点からみた場合にはどうなんでしょうか。

チョムスキー■勿論習得されなければなら

ない言語の側面もあるんです。例えば、日

本語の句構造は、英語の句構造とは違いま

す。実は、英語と日本語を眺めてみると、

かなり深いところでは、同じ句構造を持っ

ていることがわかります。しかし、いくつ

かの重要な点で異なっているんです。ひと

つの点は、鏡像関係にあるということです。

つまり、英語では、名詞・形容詞・動詞・

前置詞といった第範疇の全てが、その補部、

すなわち意味的に関係のある句に先行しま

す。日本語では、後続しますので、結局英

語の鏡像になるわけです。動詞とその補部、

句とその主語、主語と目的語の非対称性な

どの、日本語と英語に共通の部分、実は、

我々が知る限り全ての自然言語に共通な部

分なんですが、そういったものは、規則体

系から捨象して、脳の始発状態、つまり言

語機能そのものに割り当て、その言語の規

則体系の中では表現しません。英語または

日本語を習得する際に、子供が覚えなけれ

ばならないのは、範疇が句の先頭に来る言

語なのか、末尾にくる言語なのかというこ

とです。つまり、いわゆる主要部先行

(head-first) 言 語 な の か 、 主 要 部 後 続

(head-last)言語なのかということです。

 これは、非常に簡単な資料から習得でき

ます。もし John saw Bill という文を聞け

ば、主要部先行言語であることがわかりま

す。もしそれに対応する John Bill saw と

いう文を聞けば、主要部後続言語であるこ

とがわかります。ですから、この2つのタ

イプの言語のどちらなのかを決めるのは、

3語文で十分なんです。

AIJ■では、言語習得とからめた、句構造

の体系は、現時点のあなたの理論ではどの

ように特徴づけられるのですか。

チョムスキー■現在の理論で仮定されてい

ることは、次の通りです。句構造の体系は

いくつかの原則を持っていて、それらの原

則には、多様性を表すいくつかの有限のパ

ラメータが結び付いています。そして、言

語習得は、このパラメータの値を設定する

ことです。例えば、主要部先行型か主要部

後続型かを選ばせるパラメータがあります。

そして、英語圏の子供は、英語が主要部先

行型であることに気付かなければならない

し、日本語圏の子供は、主要部後続型であ

ることに気付かなければなりません。いっ

たん句構造の全てのパラメータを設定して

しまえば、句構造体系の全体ができあがり

ます。

さて、現在の文法理論は

みんな変形文法です。

その理論が何と呼ばれていても、

変形文法の一種です。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  9

どんな記法を用いたとしても、

それは変形文法です。

チョムスキー■こういった発展の過程は、

句構造の概念を全くなくしてしまいました。

これは、大変重要なことです。というのは、

句構造規則は、実際には全く意味を持たな

いからです。句構造規則を直観的に考える

と、全く余剰的です。例えば、動詞句が動

詞と目的語から成ることを述べた句構造規

則がありますが、この情報は、語彙部門で

独立に与えられています。言語には、語彙

部門がなければなりません。英語を習得す

るときには、see という単語を習得しなけ

ればなりません。see という単語を習得す

るときには、その意味を習得します。そし

て、その意味というのは、それが目的語を

取ることができて、その目的語に名詞句が

可能であるということです。そして、その

情報は、句構造とは全く別に、語彙部門に

存在しています。ところが、句構造規則は、

ただ単にその情報を繰り返しているに過ぎ

ません。ですから、句構造規則は全く余剰

的であり、我々が必要としているのは、ど

んな種類の階層構造が可能かを述べている

一般原則だということは、明らかです。そ

して、そういったことは普遍的で、言語ご

とに異なったりしません。つまり、語彙項

目が与えられると、ある種の階層構造は可

能だけれども、それ以外は不可能だという

ことを述べる一般的な投射の原則があるわ

けです。

AIJ■投射の原則に関しては、他にもいく

つかの役割があるのでしょうか。

チョムスキー■実を言うと、投射の原則は

もっと内容豊富でして、ある句は、表面上

そこには現れていないけれども、心的には

存在しているということも述べています。

そういった句のことを空範疇と言います。

空の主題は表面に現れた(overt)主題と関

係づけられ、空の経験者は表面に現れた経

験者と関係づけられます。例えば、John is

bothered by the problemという文では、

空の経験者は、表面に現れた主語と関係づ

けられていて、空の経験者は、by 句と関

係づけられています。心は、こういったこ

とを、投射の原則やその他の原則に基づい

て、まあいわば瞬時的かつ自動的に行うわ

けです。

 したがって、一般的な投射の原則によっ

て、本質的に句構造規則は要らなくなりま

した。ここでは触れませんが、これによっ

て、文解析などに関してある結論が引き出

されます。

AIJ■では、文法における変形規則の位置

づけはどうなるのでしょうか。

チョムスキー■句構造規則と違って、変形

規則は、余剰的ではありません。句構造規

則は、意味がありません。明らかに言語に

存在していません。ところが、変形規則は、

存在しています。なくす方法はありません。

つまり、その一部が意味役割を受け取る位

置からずれた位置に生じている、そういっ

た文があるという、厳然とした事実が存在

するんです。例えば、John is bothered by

the problem と言えば、John も the

problem も、意味役割を受け取る位置に

生じていません。そこには、何らかの述べ

られねばならない関係があるはずです。そ

れが変形です。また、例えば英語で Who

was John killed by?という文があったと

すると、John も who も、意味役割を受

け取る位置に生じていませんから、そう

いった位置と関係づけられなければなりま

せん。その関係が、変形です。

 さて、現在の文法理論は、みんな変形文

法です。その理論が何と呼ばれていても、

変形文法の一種です。というのは、表面に

現れている句を、意味役割を受け取るとこ

ろとして語彙部門によって指定されている

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  10

位置と、関係づけなければならないという

のが、経験的条件だからです。それに対し

てどんな記法を用いたとしても、それは変

形文法です。ですから、人間の持っている

文法は変形文法なのか、それ以外の文保な

のかというような問題は、本質的に存在し

ません。みんな、変形文法の一種なんです

から。

GB 理論などという

特別な理論があるわけではありません。

ただ、言語学があるだけです。

守るべき理論的教義などありません。

AIJ■用語の使い方に関連してなんですが、

あなたは、GB 理論という用語をなくそう

としていらっしゃるんですか。

チョムスキー■GB 理論という用語、これ

は、私が使わないし、気に入っていないし、

意味がないと思う用語です。この用語は、

私が 『Lectures on Government and

Binding』という本を書いたことに由来す

るものですが、こういうタイトルになった

理由は、たまたま government(統率)

と binding(束縛)という2つの概念を中

心に扱っていたからです。でも、他の概念

だってあるわけですから。

AIJ■あなたの理論は、それよりも広いと

いうことですか。

チョムスキー■ええ、そうです。格理論や

意味理論も、同様に扱っているわけです。

それに、どんな理論にも、束縛理論はあり

ます。つまり、束縛理論で扱うべき特性が

あるわけで、もしある語がその先行詞と特

定の方法で関係づけられるのなら、その方

法とはどんなものなのか、発見したいわけ

です。それを発見したら、その理論は、束

縛理論なんです。それは、全ての文法理論

に含まれているものです。

 ですから、GB 理論などという特別な理

論があるわけではありません。ただ言語学

があるだけです。そして、私たちは、それ

に関する真理を発見しようとするだけで★

す。競合する学派があるという考えは、私

に言わせれば、非常に誤解を招くものです。

守ろうとしている理論的教義があるわけで

はありません。束縛理論の本当の原則、そ

れがどんなものであろうと、それを発見し

ようとする努力があるだけです。それは、

どの理論にも含まれているものです。

AIJ■いまお話しくださったことは、LFG

とか GPSG などといった他の理論との比

較と関係がありますね。特に、情報科学や

機械翻訳や言語解析などとの関連で。この

点から、GB 理論ないしは生成変形文法の

一般的な問題についての意見を聞かせてく

ださい。

チョムスキー■GB 理論などというような

ものはないわけですから、それを何か他の

ものと比べることは、実はできません。あ

るのは、言語の普遍的な原則と、多様性の

パラメータを発見しようとする、いわゆる

原則とパラメータのアプローチです。そし

て、私自身の考えでは、これは言語学の正

しい方向です。

 ところで、規則に重要な基盤をおく、他

のアプローチがあります。例えば、GPSG

を例に取ってみましょう。これは、全く異

なった直観を推し進めています。GPSG

は、初期の変形文法に大変よく似ています。

実のところ、初期の変形文法の一変種です。

大変豊かな規則体系が存在することを仮定

していますし、変形が存在することも仮定

しています。彼らは、それを変形と呼ばず、

違う呼び名を使っていますが、どう呼ぶか

は重要ではありません。それがどんな原則

であっても、変形であることに変わりはあ

りません、どんな名前をつけても構いませ

んが。

 さらに、GPSG 理論には、メタ規則と

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  11

呼ばれるものがあります。メタ規則という

のは、直観的には、もしかくかくしかじか

のものが規則ならば、もしrが規則ならば、

r’も規則であるということを述べた原則

です。これは、変形の一形式です。それは、

古典的な変形は、実はそんなふうに定義す

ることもできた、ということを述べていま

す。実際、初期の段階では、変形はそんな

ふうに定義されていました。ですから、こ

れは変形文法の1つ★

 そこで、これは、正しいアプローチか、

誤ったアプローチかが問題になります。私

の考えでは、誤ったアプローチです。それ

はどうしてかというと、ひとつには、規則

を基にしているからです。規則を基にした

文法は誤りである、と信じるに足る十分な

理由があると思います。つまり、私が前に

述べたことです。規則を基にした文法では、

可能な文法が、あまりにも多くなってしま

うのです。

AIJ■解析の問題は、どうなりますか。

チョムスキー■そうですねえ、規則を基に

した体系は、ちゃんと作ったら、解析に関

しては非常に具合いの悪いものになります。

 いろいろな理由がありますが、1つは、

言語観の異同に関することです。発話をき

ちんと特徴づけている英語の規則体系と日

本語の規則体系を作り、一般的で普遍的な

原則を用いなかったとします。そうすると、

2つの規則体系は、とても違ったものにな

ります。つまり、日本語を生成する実際の

規則体系と英語を生成する実際の規則体系

は、大変異なったものになるわけです。

 さらに、こういった規則体系の各々が、

非常に多くの規則を含むことになります。

この事実は、記法の中に隠蔽されてしまっ

ています。例えば、メタ規則が、体系内の

規則の数をごまかしています。しかし、記

法を実際の規則に展開した途端、数が増え

ます。実際、典型的な GPSG の文法体系

だと、文字どおり何十億もの規則が存在す

るでしょう。そして、ほとんどどんな規則

体系でも、この問題にぶつかります。

AIJ■LFG などの他の文法の代案でも同様

ですか。

チョムスキー■どんな場合でも同じです。

膨大な数の規則に展開されてしまいます。

語彙規則とか、その他の呼び方をされるか

もしれませんが、いずれにしろ、多数の規

則に展開され、そのうえ、言語ごとに大変

異なってしまいます。これは、大変大きな

計算上の問題を引き起こします。

パージング

解析の問題は、現時点ではまだ

技術的段階です。

物理学についてはとりあえず忘れて、

橋を造っているようなものです。

AIJ■時々あなたの理論は、パージングの

問題との関連で、間接的に正当化されるこ

とがありますが。

チョムスキー■究極的にはそうなると思い

ますが、パージングについては、十分わかっ

ていないと思います。この問題に対しては、

2つの取り組み方が可能です。1つは、本

質的に技術者的な取り組み方です。つまり、

物理学がどうであろうとも、そんなことは

構わず、とにかく橋を造りたいわけです。

これが、1つの取り組み方です。

 もう1つの取り組み方は、物理学が述べ

ているところに従ってやりたい、原理的な

基盤に基づいて橋を造りたい、というもの

です。ところが、これは必ずしも適切なや

り方とはいえません。もし実際、橋を造っ

ているのであれば、一番良い方法は、おそ

らく、物理学については忘れて、とにかく

技術畑の知識を使うことでしょう。

AIJ■つまり、言語解析などの問題は技術

レベルで解釈されていくわけですか。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  12

チョムスキー■パージングの問題は、現時

点では、技術的段階です。なんとかして、

とにかく処理するわけです。動くようにす

るわけです。どんなふうにして動いている

かは、問題にしないわけです。要するに、

パッチワークです。しかし、もしパージン

グの問題を科学の問題として捉えようとす

ると、全く違ったアプローチを取ることに

なるでしょう。実際には、どのようにして、

それが行われているんだろう、ということ

を問うことになるでしょう。すなわち、脳

は、本質的に言語ごとに異なったりしない

処理体系を持っていなければなりません。

というのは、処理に関して、知識とちょう

ど同じ問題があるからです。すなわち、子

供はどうやってその体系を発達させるのか。

発達させるのに十分な情報が無いわけです

から、究極的には、遺伝子に根ざしていな

ければなりません。ですから、パージング

に対する科学的な取り組み方は、もしそう

いったことに少しでも関心があるなら、言

語の普遍的な処理構造は何なのか、そして、

そういった処理構造は、どのように言語知

識にアクセスするのかということを解明し

ようとすることです。

AIJ■それについては、どのような解答を

お持ちですか。

チョムスキー■普遍的な処理構造は、投射

の原則などのような概念に基づいています。

つまり、どんな言語であろうと、語を耳に

し、投射の原則を適用し、句構造に関する

普遍的な原則を適用し、変形に関する局所

性の条件を適用し……というふうに、普遍

的な原則を適用することによって、発話の

構造を構成するわけです。そして、その際、

その言語の特定のパラメータを用います。

例えば、生成系は、日本語は主要部が最後

に来て、英語は最初に来るとか、その他の

この類の少数の事実にアクセスできなけれ

ばなりません。

 これまで、このような取り組み方がされ

たことは、ほとんどありません。パージン

グに関する大部分の研究が、技術的なもの

です。とはいっても、これは、価値判断を

しているのではありません。技術は技術と

しての価値を持っていますし、科学は科学

としての価値を持っています。でも、それ

らは、全く違うものなんです。

計算体系や表象体系の実在を

疑い、議論している

人たちは、ただ問題を

混同しているだけだと思います。

AIJ■今おっしゃったことは、AI 研究とか、

言語の理解や生成の研究に関係する興味深

い問題だと思われます。それで、2つのキー

ワードを挙げてみたいと思います。1つは

表象主義で、もうひとつは計算主義です。

最初の方であなたは、計算とか表象とかい

う用語を使うといわれました。コンピュー

タ科学者や AI の研究者は、記号による表

象を操作している、すなわち言語やある種

の言語外の知識を記号的な表象にコード化

し、それにある種の操作を加えるという前

提に基づいて、研究を行っています。その

ようにして、何らかの心的過程や計算過程

を捉えようとしているように思われます。

チョムスキー■それに代わり得るものは無

いと思います。

AIJ■そうすると、広い意味では、こういっ

た表象主義とか計算主義の立場に立ってい

るわけですね。

チョムスキー■その点に関して、争点があ

るようにはみえません。前に私が挙げた化

学の類推に戻ってみましょう。原子価や周

期律表や有機分子を研究した方が良いかど

うか。もちろん、やった方が良いですよ。

それらの特性を知ることは、重要なことで

すから。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  13

 それと同じように、心の計算上の、ある

いは表象上の特性を研究すべきかどうかと

いうなら、勿論、やった方が良いに決まっ

てます。私たちは、それらの特性を知りた

いと思っているんですから。

 この点が、争点だと主張されることもあ

ります。しかし、これは単に混乱によるも

のです。これは、コネクショニズムとの関

連で出てきています。その考えは、次のよ

うなものです。私たちは、神経網を調べさ

えすればよい。神経網が、こういった表象

体系において議論されている特性を持って

発達してくるのである。従って、表象体系

は実在しない。この議論は、最後の段階を

除いて、すべて正しいものです。

 脳のレベルで見たときに、計算体系の特

性を有するような物理的なメカニズムが見

つかったとき、脳科学は成功をおさめたと

いえます。計算・表象体系の特性を表して

いる物理的なメカニズムが得られたとき、

そういった体系が、物理的な観点からする

と、どんなものなのかわかるでしょう。

 いわゆるコネクショニズムは、その物理

面の仮定は全て間違っていると思いますが、

正しい仮定が見つかれば、彼らが見つけよ

うとしている特性を持つものになるでしょ

う。まさに、表象・計算体系が何故そのよ

うな特性を持っているのかを示す特性を有

することになるでしょう。

AIJ■言語研究と神経生理学的研究の相互

関係についてはいかがですか。

チョムスキー■それは、化学と量子物理学

との関係と同様の関係を持っています。で

も、その解明は、ずっと先のことです。し

かし、計算・表象体系が実在するかどうか

という問題は、私には、真の問題のように

思えません。それについて議論している人

たちはいますが、彼らは、ただ問題を混同

しているだけだと思います。

重要なのは、「入出力」システムでは

なく「中央」システムである。

AIJ■前半では、文法と認知の問題を中心

にいろいろ伺ってきましたが、ここで少し

テーマを変えて、情報処理の研究を中心と

するモジュール的アプローチの問題を考え

てみたいと思います。フォーダーが、The

Modularity of Mind という本の中で、私

の理解する限りでは次のように言っていま

す。認識科学の研究は、これまで主に入力

情報処理システムの研究に限られてきた。

このような領域を研究している限り、モ

ジュール的アプローチはうまく行っていた

が、事が帰納的推論とか私たちの脳の中央

情報処理システムなどの問題になると、そ

のような場合にはモジュール的アプローチ

だけではうまく行くというわけには行かな

くなるかもしれない。したがって、モジュー

ル的アプローチには限界がある、しかし…

…。

チョムスキー■しかし、それは限定されて

います。中央システムは、彼の言うには、

全く内部構造を持っていません。

AIJ■ええ。そのようなことが、一つの問

題です。もう一つの問題は、知識の領域に

ついてです。言語知識を含めたいろいろな

知識の種類を、どのように区分したらいい

のか。シャンクや何人かのコンピュータか

学者たちは、そのような区分は存在しない

と主張しているようですが。

チョムスキー■この二つは、異なった考え

方です。フォーダーのシステムとシャンク

のシステムは別物です。私は、シャンクの

システムは、全く正しくないと思います。

完全に間違っていると思います。この点に

ついてはしばらく後で再び触れることにし

ますが、彼らが何かしようとすると必ず完

全に失敗してしまうのは、これが理由だと

思います。しかし、フォーダーのシステム

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  14

は、少なくとも正しい方向に向かう芽は

持っていると思います。

 ところで、ここで注意しなければならな

いことがあります。まず、フォーダーも指

摘しているように、認知科学の主な成果は、

視覚と言語に関してなされてきたというこ

とです。しかし、視覚と言語は、非常に異

なったシステムです。視覚は、確かに入力

システムです。ですから、視覚システムと

いうのは、外界から物理現象を取り込んで、

それをある種の内部表象に写像するシステ

ムです。

AIJ■そのような視覚システムの研究の代

表的な例に、デビッド・マーの研究がある

と思いますが。視覚の研究の基本的な考え

方に関しては、マーと共通する点があるよ

うですね。

チョムスキー■ええ、実は私たちは友人同

士でした。そして、こういった話題につい

て、ある意味で同じような考えを持ってい

ました。

 しかし、ここで注意しなければならない

ことがあります。それは、この二つのシス

テムがとても異なっているということです。

視覚は、知識の体系ではありません。視覚

は、写像です。視覚は、外界の物理的現象

から何らかの、内部の、神経的で心的な配

列への写像なんです。これが視覚です。

AIJ■言語の場合には?

チョムスキー■言語はそうではありません。

言語は、外界の刺激から内部の表象への写

像過程ではありません。もし言語がそのよ

うなものだったら、私たちは話すことがで

きません。私たちが話すときには、発話は

入力システムではありません。また、考え

ることもできません。こういったことが、

どれも入力システムでないことは、自明の

ことです。実際、言語使用は、入力システ

ムとして記述することはできません。です

から、入力システムだけでなく、出力シス

テムもあるのだと言わなければなりません。

しかし、さらに困ったことには、入力シス

テムは出力システムと切り離せないんです。

例えば、私が英語を理解しながら日本語を

話すなんてことはできないんです。ですか

ら、入力システムと出力システムは、同一

の中央システムにアクセスしていることに

なります。情報システム、あるいは、デー

タベースと呼びたければ、そういったもの

にアクセスしているんです。入出力システ

ムがアクセスしているこのシステムが、言

語です。つまり、言語にアクセスする入力

システムがあり、言語にアクセスする出力

システムがあり、そして、言語そのものも

存在するんです。

AIJ■言語に関係したシステムは、これま

では、あまり体系的にはとらえられていな

いのが現状ですが。

チョムスキー■ええ。ただ、ここまでで既

に分かることは、単に入出力システムだけ

が存在し、のこりは混乱状態のみという考

えは、正しいはずがないということです。

というのは、言語システムは、非常に明確

な原則と属性を持ち、独自の発達を遂げる、

といった中央システムに関係する知識の体

系だからです。

AIJ■そのような中央システムに関係する

他の知識の体系も考えられますか。

チョムスキー■ええ。この種の、中央シス

テムに存在する知識体系が、他にもあると

信じる十分な理由があると思います。例え

ば、物理世界における物体の性質に関する

知識を考えてみましょう。どうやって子供

は距離や遠近感、固さなどの知識を習得す

るんでしょうか。エリザベス・スペルキー

たちが、こういったことを研究しています。

そこで分かったことは、非常に小さな子供、

というより非常に小さな幼児が、既に、物

理世界で物体がどのように振舞うかに関す

る豊かな知識を持っているんです。彼らは、

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  15

連続性とか安定性とかいった概念を持って

いますし、どんなときある物が単一の物体

なのかを確定できます。もし二つの離れた

部分が同じように動いているならば、それ

は同一の物体であると想定するといったよ

うなことです。これら全てが、心に内在し

ていると考えられます。経験から出てくる

とは考えられません。というのは、経験を

説明する方法は幾らでもあるのに、彼らは

私たちの物理空間に関する理解と同じ知識

を発達させるからです。私たちは物理空間

を理解しています。そして、これは知識体

系なんです。

 それから、私たちは人に対する方法を

知っています。誰かに会ったらどんなふう

に話しかけたら良いか分かっています。相

手が何を考えているのか、どんなふうに感

じているのか推測することができます。そ

して、それに基づいて相手と応対します。

これに関しては何も解明されていませんが、

心の中に人の性質に関するある種の理論、

すなわち、人間とはどんなものなのかとい

うような知識があり、それによって私たち

が世の中で生きて行けるのだということは、

間違いないと思います。それによって、得

られたデータを何らかの解釈や理解と統合

することができるんです。

AIJ■言語の運用面での問題に関しては、

かなり予測できない要因もからむわけです

が。

チョムスキー■ええ、そうですねえ。解釈

や理解のシステムは間違うこともあり、そ

のために対人行動に問題を起こすこともあ

ります。誤った仮定をしたり、言葉を誤解

したり、物理世界のある事物を、他の事物

を解釈するのと同じように解釈したり……

仮現運動を例に取ってみましょう。これは、

人間が常に誤って解釈してしまう現象に関

する実験です。ある位置に物体が現れ、そ

れが消え、別の位置に別の物体が現れたと

します。すると人間には、物体が動いたよ

うに見えます。でも実際には動いてはいま

せん。ということは、心の中にある解釈シ

ステムは、実は、この場合には間違った解

釈を提供していることになります。同様の

ことは、全ての知識や理解や信念や解釈の

システム、つまり全ての認知システムに当

てはまることです。

 このような方向で考えていくと、心は、

実はいろいろな認知システムから成ってい

ることが分かります。しかし、それらは、

フォーダーの意味での入力システムでもあ

りませんし、出力システムでもありません。

中央システムなんです。ですから、心の性

質を探求していくと、固有の内的整合性、

原理、構造などを持った数多くの中央シス

テムが見つかります。

AIJ■フォーダー自身、そのような心に関

する認知システムを中央処理系のシステム

として、入力システムや出力システムから

は分けているはずです。そして、中央処理

系に関しては具体的なところはほとんど分

かっていないということだと思います。

チョムスキー■ええ。それらのいくつかに

ついては、私たちは何も言うべきことがな

いというのは、確かにフォーダーが指摘し

ているとおりです。例えば、問題解決とか

科学における理論構築については、私たち

は全く何も知りません。しかし、何も知ら

ないという事実から、何も構造がないとい

う結論を引き出すことはできません。知ら

ないことからは、何も結論を引き出すこと

はできないんです。ですから、私たちが言

えることは、私たちに分かっている部分が

あるということだけです。そして、その分

かっている部分は、中央であろうと周辺で

あろうと非常にモジュール的なんです。私

たちに分かっていない領域が随分あります

が、それについては、私たちは何も言うこ

とはできません。何も知らないんですから。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  16

でも、もし私たちが知っている他のシステ

ムと似ているならば、高度にモジュール的

になっているでしょう。そして、私は、事

実そうであると信じる十分な根拠があると

思います。

AIJ■例えば、どのような?

チョムスキー■例えば、いろいろな種に関

して問題解決能力を見てみると、各々の種

は、生まれながらに、ある特定の問題の解

決を得意としていることに気付きます。例

えば、ラットは、いわゆる放射状迷路を走

ることができます。でも、人間にはできそ

うもありません。とても困難です。放射状

迷路というのは、車輪のスポークのように

なった迷路です。たくさんのスポークが中

心から放射状に出ていて、各々のスポーク

の先端に餌が置いてあるんです。それで、

まん中にラットを置いてやると、各々のス

ポークをたった1回だけ通るということを、

とても素早く学習するんです。匂いを嗅げ

ないように迷路を回転させたり、物理的な

方向を変えたりしても、どういうわけか、

ラットは放射状迷路の空間概念を持ってい

るらしくて、一番効率的な方法で走り抜け

ることを、割と速く学習するんです。人間

には、こういったことはとても難しいこと

です。ちょうど巣作りが人間にとって難し

かったり、帰巣というのが、鳩には容易だ

けれど人間には困難なように。実際、どん

な種を見ても、その心は特定の種類の問題

解決に適応しています。もし私たちがそう

いった種のことが理解できたとしたら、そ

の知識や理解のシステムがどうなっている

か分かるでしょう。

AIJ■人間の場合はどうですか。

チョムスキー■人間も生物界の一員です。

そして、他の全ての生物と同じように、ラッ

トが鳩と異なっているのとちょうど同じよ

うに、その適応能力は他と異なっているけ

れども、同じ生物学的条件を満たさなけれ

ばならないという点で他の生物と同じだと

信じる十分な根拠があります。そして、も

し私たちが人間のことを理解したならば、

人間が特定の問題解決の様式を持っている

ことに気がつくでしょう。人間の心は、特

定の働き方しかしないんです。そして、外

的環境がその思考の様式に適していれば、

人間は理解することができるし、適してい

なければ、理解することができません。ちょ

うど、例えばラットが、素数番目ごとに右

に曲がらなければならない迷路の問題を解

くことができないように。ラットはそうい

う問題を解く道具を持っていないんです。

でも、人間はできます。また、ラットにで

きて、人間にできないこともあります。

AIJ■それではもう少し別の観点から、例

えば、認知心理学などの分野における問題

解決やその他の研究に関してはどのように

考えておられますか。

チョムスキー■そうですね。問題解決や科

学形成などに関しては、そういったものを

研究するには、認知心理学者がこれまで

行ってきたようなアプローチで研究を進め

ていくことはできません。彼らは、本質的

に経験主義的で行動主義的仮定、言い換え

ると AI の仮定に基づいて、問題にアプロー

チし続けてきました。その仮定というのは、

全ての領域に適用できる一般的なメカニズ

ム、すなわち一般的な学習・問題解決メカ

ニズムがあるというものです。これは、私

たちに分かっているあらゆる領域に関して、

間違っています。そして、私たちに全く分

かっていない領域に関しては、これが正し

いと信じる理由は全然ありません。このよ

うな考えを追究し続けていく限り、全く何

も成し得ません。ちょうど現在まで何も成

し得ていないように。問題解決や数学的問

題の解法やその他どんなものを研究するに

しても、生物学の問題を研究するのと同じ

ようにやらなければなりません。すなわち、

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  17

人間に、ある特定の問題だけにある特定の

方法でアプローチするようにさせる、特定

の、遺伝的に決定された心と脳の特性を見

つけるようにしなければならないわけです。

もし認知心理学者や AI 畑の人たちが良識

を持とうとすれば、もし彼らがこれらの問

題を研究するのに、一般的学習メカニズム

のようなドグマに基づくのでなく、科学の

方法を用いる良識を持とうとするならば、

たぶん幾らかの進歩が見られるでしょう。

言葉だけで内容のないアイデアは

〈スクリプト、フレームすらも〉

空虚である。

AIJ■そうですか。では、心理学的な問題

から、今度は工学的な研究の方に少し移り

ますが、例えばシャンクのグループに代表

されるような研究、具体的にはスクリプト

とか、MOP などの知識枠に基づく言語理

解の研究などはどのように評価されますか。

チョムスキー■シャンクのアプローチの問

題点は、彼がドグマを守り通していること

です。彼は、例えばレストランに行って紅

茶を頼む場合、色々複雑なことが起こって

いるということは分かっています。注文し

ている人はあまりたくさんものをいわない

し、ウェイターもあまり多くのことを聞い

ていません。ところがどういう訳か紅茶が

出てきます。そこで彼はスクリプトと名づ

けたものを理論に組み込みます。注文者は

心の中にレストランのスクリプトを持って

いるというわけです。でもそんなはずはあ

りません。私たちの心が、遭遇する種々の

問題に対処する方法の単なる集まりである

はずがありません。そんなことは、考えら

れないことです。言語についてこれと同様

の捉え方ができないのと同じ理由で不可解

なことです。そうではなくて、社会的な状

況や対人関係や物理的対象などを扱う原理

があり、そういった原理は人類に共通であ

るというふうであるはずです。ちょうど言

語の知識が本質的に人類に共有されている

ように。

AIJ■では、そういった観点から、知識工

学や計算機科学一般に関する問題はどう考

えられますか。

チョムスキー■そうですねえ、エキスパー

トシステムとかですか。

AIJ■ええ、エキスパートシステムとかフ

レームの考え方に基づく知識工学の研究と

かですね。

チョムスキー■フレームの考え方ですか。

それについては何も言うべきことはありま

せんね。空虚ですから。つまりそれは単に

言葉だけで内容がないですから、何も言え

ませんね。つまり、もしフレームの細部を

明らかにしようとしたならば、その細部が

理論になるわけで、例えば、レストランは

フレームです。チェスはフレームです。言

語はフレームですなどと言ってみても、そ

れは単に、ここに私が究明したいシステム

がありますと言っているに過ぎないわけで

す。

AIJ■フレームの基本的な位置づけが問題

なのでしょうか。

チョムスキー■問題のシステムをフレーム

と名付けてしまったら、もう何も分からな

いわけです。本当にしなければならないの

は、科学の問題を探求し、人間が用いてい

るシステムはどんなものなのかを見つけ出

すことなんです。ちょうど生体を研究して

いる場合のように。例えば、誰かが生体を

研究して次のように言ったとします。「私

は生体に関する大変興味深い理論を得まし

た。生体は有機体から成り立っているので

す」これは何も提案していません。これに

ついては何も言うべきことはありません。

真の問題は、有機体とは何なのかというこ

とです。循環器系とはどんなものなのか。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  18

腎臓とはどんなものなのか。もしそういっ

た質問に答えようとしているならば、何か

をしていることになります。しかし、もし

ただ単に「素晴らしいアイデアを思いつき

ました。生体は器官からできているので

す」と言うだけなら、それは何も言ってい

ないことです。生体は何かしらの部分から

できている、そしてその部分は構造を持っ

ている、と言っているだけだと思います。

 フレームがありますと言うのは、生体は

器官からできていますと言うのとちょうど

同じです。真の問題は、フレームとは何か

ということです。ここから科学が始まるの

です。そうして、視覚系や言語系や物体の

恒常性のシステムなどに気づき、科学の

個々の領域を研究していくんです。そうい

うわけですから、フレームについては何も

言うべきことはありません。

AIJ■さらに、知識工学の分野の問題一般

に関してはどうですか。

チョムスキー■知識工学やそのエキスパー

トシステム理論における現時点での実現に

ついてはですね、ええっと、それをコン

ピュータに手伝わせたいならば、「次の 10

万の症例に関して、このような一連の症状

が現れたならば、おそらくこの病気だろ

う」と教えてくれる大きなデータベースを

持つことは有益だと言えるでしょう。デー

タベースとしては役に立ちます。しかし、

これは科学ではありません。単なる有益な

データベースでしかありません。

 天気予報からの類推を考えてみましょう。

天気予報をするには2つの方法があります。

私が住んでいる町を例にとってみましょう。

これはたまたまボストンですが、合衆国の

天気は大体西から東へ変わっていくので、

ボストンの天気を予想するわりと良い方法

は、クリーブランドの新聞を読むことです。

クリーブランドとデトロイトと、その他2、

3のボストンより西にある都市の新聞を読

めばボストンの天気がどうなるか、かなり

はっきり予想することができます。ですか

ら、もしこういったものをデータベースに

作り上げれば、とてもよく予報を立てるこ

とができるでしょう。それが天気予報の一

つの方法です。

AIJ■もう一つの方法は?

チョムスキー■もう一つの方法は、気象学

をやること、すなわち気象パターンやそれ

を引き起こしている原因、その背後に横た

わっている物理的メカニズムなどの理論を

立てることです。ところが、1番目の方法

の方が2番目の方法よりもうまく天気を予

報することができるかもしれません。ク

リーブランドの新聞を読む方が気象学より

も確率の高い天気予報をすることができる

かもしれません。そして、もし技術に関心

があるなら、問題を解決できればいいわけ

です。ひょっとしたら、明日コートを着た

方がいいかどうか知る一番良い方法は、ク

リーブランドの新聞を読むことかもしれま

せん。というのは、的確な予報ができるほ

ど十分に気象学が進んでいないからです。

しかし一方、もし科学に関心があるなら、

クリーブランドの新聞を読むのはたぶん解

決にならないでしょう。ただ新たな疑問が

生じるだけです。なぜクリーブランドの新

聞だとうまくいくのだろうかと。

AIJ■結局、同じような問題がエキスパー

トシステムなどの研究にもあてはまるとい

うことですか。

チョムスキー■同じ疑問がエキスパートシ

ステムについても生じます。膨大な量の情

報を集積し、それを整然と系統立てた医学

診断システムというのは、クリーブランド

の新聞を読むのに似ています。実用上はい

いものかもしれませんが、何も理解を与え

てくれません。理解は、なぜ知識体系がそ

のような構造になっているのか分かったと

きに得られるんです。そしてこれは科学の

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  19

問題です。もう一度はっきり言いますが、

私は価値判断をしているつもりはありませ

ん。技術は偉大です。物がちゃんと動くの

は好ましいことです。私は、明日コートを

着て行った方がいいかどうか知りたいです

し、橋がちゃんと立てられたり、コンピュー

タが動いたりしてほしいと思います。でも、

これらは科学の問題ではありません。それ

に実は、私たちの知的歴史の中で、科学が

技術に貢献できるようになったのはかなり

最近のことなんです。たぶん 19 世紀中ご

ろまでは、技術者は恐らく科学に全く注意

を払わなかったでしょう。トマス・エジソ

ンは科学を全く知らなかったと言われてい

ます。つまり、彼はただ物を動くようにし

ていただけなんです。科学には彼が必要と

していた説明があまり無かったんです。で

すから、今日、地質調査とか医学診断など

の問題において、技術的なアプローチが最

も有益な可能性が高いと思います。それは、

まだ十分に理解が得られていないからです。

しかし、それと科学を混同すべきではあり

ません。別の企てなんですから。

言語習得、言語発達に関するさまざま

なアプローチについて

AIJ■もう二つほど質問があるんですが。

一つは、言語習得、特にソ連を中心とする

ヨーロッパの心理学の研究についてです。

二つめは、言語と物理世界に関する見解、

人間と物理世界または自然界との関係をど

う見ているか、要するに何と言うか、心身

問題にも関わる問題、これが二つめの、一

般的な質問です。

チョムスキー■言語習得に関する限り、私

の知る限りでは、ソ連の研究は実質的に何

も言っていません。音声面と生理学的な面

にいくらかの研究があり、私はそれについ

てあまり知らないし専門分野でもありませ

んが、面白い研究であるとは聞いています。

しかし、言語習得の研究に関しては、ほと

んど何も得るところはありません。私はル

リアの研究をよく知っていましたし、彼と

知り合いでもありました。彼の神経学や言

語障害や記憶等に関する研究は興味深いも

のでしたが、しかしそれは言語に関しては

全く何も教えてくれませんでした。

AIJ■ヴイゴツキーの研究についてはどう

ですか。

チョムスキー■そうですねえ、ヴイゴツ

キーは概念や概念構造などについて有益で

直観的なアイデアをいくつか出しています

が、それらは恐らく追求する価値があるで

しょう。概念発達に関する最近の研究のい

くつかは、実際、ある意味で彼の洞察を取

り入れています。しかし、ここでも、それ

ほど発展は見られないと私は思います。も

う一つの主な、少なくとも欧米における主

な発達研究の伝統は、彼の研究に基づいた

ものではありません。ピアジェのアプロー

チに基づいたものです。しかしこれもあま

り発展性はないと思います。まさに中核の

ところに重大で、なおかつ克服できない問

題があるからです。

AIJ■ではピアジェ流のアプローチについ

てもう少し詳しく話していただけますか。

アメリカでもこの線にそった研究がかなり

あると思いますが。

チョムスキー■主流的なアプローチです。

ピアジェ流のアプローチでは、二つの重要

な仮定を行っています。ひとつはよく知ら

れているもので、「言語発達は単に一般的

発達の一部である」という非モジュール的

な仮定です。ただ単に分化されていない心

だけがあり、それが独自に、どの領域も一

様に発達するというものです。もしこれが

本当なら、脳は生物界においてユニークな

存在ということになります。というのは、

これだけが生物界において唯一構造化され

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  20

ていないシステムということになるからで

す。そして、人間は知られている他のどの

生物とも全く異なっていることになります。

ところが、これは正しくありません。どこ

を見ても、正しくないことが分かります。

視覚であろうと、概念であろうと、言語で

あろうと、どの特定のシステムを深く調査

したとしても、非常に固有なシステムに行

き当たります。だからこそデータが限られ

ているのに豊かな知識が得られるんです。

ですから、ピアジェ流のアプローチが、一

般的知能だけが存在するという伝統的なド

グマ、まさにこれはドグマですが、これを

保持する限り、成果が得られないことは間

違いないでしょう。実際、この領域ではこ

れまで全く成果がみられていません。現在

も、そして将来も、言語について何もいう

べき事がないでしょう。

AIJ■はあ。ただ、ピアジェの認知発達の

研究は、段階説をとっていると思いますが。

この点に関してはどうでしょうか。

チョムスキー■そう、もっと興味深い、ピ

アジェ流のアプローチの2番目の原理は、

認知発達の段階があるというものです。で

すから、例えば子供が恒常性を理解できな

い段階があり、その後に理解できる段階が

現れるというわけです。これはひょっとし

たら正しいかもしれませんが、でもいくつ

かの問題があります。一つはまさに経験的

な点ですが、段階はたぶん存在しないだろ

うということを示す研究が、これまでにか

なりたくさん出てきているんです。すなわ

ち、段階が存在するように見えるのは、外

在的要因が子供がしていることに影響を与

えているからだというんです。例えば、注

意力や記憶力などの要因は、一生を通じて

変化していきます。小さな子供は、注意力

や記憶要領が劣っています。そこで、ピア

ジェが記述した現象は、実は単に注意力と

記憶力が高まった結果だという可能性があ

るという指摘がされてきたんです。実際、

この結論を支持する実験的研究があります。

大変小さな子供を使って、記憶量と注意を

向けることによる緊張度を軽減するように

問題を単純化してやると、ピアジェの段階

がずっと早く現れるように見えるんです。

ですから、段階とは単なる人間が考え出し

た虚構である可能性が高いんです。

AIJ■その点は、かなり争点になりそうな

ところですね。

チョムスキー■しかし、たとえ段階が本当

に存在したとしても、ピアジェたちが本質

的に教義上の理由から進んで問おうとしな

い重大な問題があります。その問題とは、

例えば恒常性という特定の段階を例にして

述べると、人はどのようにして前恒常性段

階から後恒常性の段階へ移行するのかとい

う問題です。この問題に対しては、三つの

答えが可能です。一つは、何か新しい情報

を学んだというものです。ところが、単に

より多くの情報を得るということではない

と思われているので、彼らはこの答えを否

定します。二つめの可能な答えは、成熟で

す。しかし彼らはこの答えも否定します。

生得説の罪を犯しているからです。三つめ

の可能な答えは、それは神の業である、神

によって為されたものであるというもので

す。これが唯一の可能な答えです。彼らは

2つの可能な科学的な答え、つまり情報量

の増大と成熟を退けたので、残っているの

は神の業という答えだけなんです。ですか

ら、本質的に彼らは、理解を得ること無し

に、科学の領域から外れてしまっているん

です。全く教義上の理由によって、二つの

可能な答えを排除しているんですから。一

つは、生得説の罪を犯しているという理由

から、もう一つは、単なる情報量の増大と

したくない、さもないと段階が存在しない

ことになるという理由から。

AIJ■いや。でも、その最後の教義に関す

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  21

る批判は強すぎると思いますが。

チョムスキー■しかし、もし教義を捨てた

なら、そしてもし本当に段階が存在するな

ら、まあ、これははっきり示されなければ

ならないことですが、でももし本当に段階

が存在するなら、これは新しい情報による

のか成熟によるのかを問うことになるで

しょう。そして、2才の子供でも言語を身

に付けるのに十分な情報を持っているわけ

ですから、恐らく情報量というのは正しい

答えではないでしょう。ある原則を起動さ

せる一連の規則的な成熟過程が存在すると

いうのが、恐らく正しいでしょう。

AIJ■期待される言語習得の研究はどのあ

たりにあると考えられますか。

チョムスキー■現在、ピアジェやソ連のシ

ステムなどに基づかない、真の意味での言

語習得の研究においては、次のようなこと

が説明できるかどうか調べようとする試み

が行われていると思います。すなわち、言

語発達には、驚くべき規則性が存在します。

例えば色彩語を例に取ってみると、子供達

がこの種の語をいわばでたらめに使う時期

があります。それから比較的素早く次の段

階に移行して、指示的に用いるようになり

ます。面白いのは、目の見えない子供達も

同じ階段を経るということです。つまり、

速い段階では、目の見えない子供達は色彩

語をでたらめに使っているんです。ところ

が、目の見える子供達が指示的に用いる時

期になると、目の見えない子供達は色彩語

を使うのをやめてしまうんです。これは、

「さあ、これらの語を指示的に用いなけれ

ばならないんだぞ」と語りかけている成熟

段階を経なければならないことを意味して

います。でも彼らはどうやったらよいのか

分からないので、使うのをやめてしまうん

です。そしてそれから後になって、他の手

がかりを基にして使いはじめるようになり

ます。この種のことがたくさんあります。

そしてそれらが強く示していることは、生

物学の他の全ての部分と同様に、成熟過程

が生じていて、それがある時期にあるシス

テムを起動させるのだということです。

AIJ■いわゆるそのレディネスと環境の問

題ですね。

チョムスキー■そうです。他の全ての成熟

過程の場合と同様に、言語の場合も環境が

引き金とならなければなりません。例えば

子供は、十分な栄養が与えられなければ、

思春期を経過しません。そして思春期の経

過の仕方は、ある程度環境を反映します。

しかし、基本的には内的に方向付けられて

います。思春期を経過するのは、そのよう

な動物に産まれついているからです。そし

て、私の考えでは、現在判明しているあら

ゆることが、人間も動物に他ならず、言語

は体の器官の一つに過ぎないということを

示していると思うので、言語も現在わかっ

ている他のものと同じであると予想されま

す。そして実際、どこを見ても確かにその

通りになっています。ですから、ピアジェ

の考えやルリアの考えなどは全く間違って

いると思われます。というのは、そういっ

た考えを一つ一つ解きほぐしてみると、み

んな、言語は私たちが知っている他の生物

学的システムと異なっているということを

仮定しているからです。ところが、解明さ

れる事柄はどれも、それと逆のこと、つま

り私たちが知っている他の生物学的システ

ムと同じであることを示しているんです。

内部構造や原則や、僅かな範囲の変異や、

内的に方向付けられた成熟と成長の過程を

有しているわけです。

AIJ■理論言語学との関係からみた言語習

得の研究もこの方向で進められているので

すね。

チョムスキー■言語習得の問題は非常に面

白いものですが、その真の意味での研究は

こういった方向に沿って進められていると

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  22

思います。そして、この点で非常に興味深

い研究があります。日本人の言語学者兼心

理学者であり、実をいうと私の教え子であ

る大津由紀雄君というのがいるんですが、

彼の研究がたいへん重要なんです。彼は、

変形を統率している原則の多くが、それに

関わる言語データが利用できるようになる

とすぐに、つまり原則が発動可能な構文が

子供にとって利用可能になるとすぐに、習

得されるらしいということを示しました。

こういった原則のいくつかは、非常に単純

な構文では全く発動しないんです。しかし、

原則が習得されているかどうかテストする

のに十分なくらい複雑な構文を、子供が作

ることができるようになると、たちまちそ

の原則が習得されているんです。これは次

のようにしか解釈できません。すなわち、

原則は常に子供の頭の中に存在しているの

だと。原則は、いわばそれが発動すべき構

文がやって来るのを待っているんです。他

にも原則の成熟過程と思われるケースがい

くつかあります。言語習得の科学的研究は

これらのケースを究明することになるで

しょう。非常に興味深いところです。

離散的無限性としての、

コミュニケーション・システム

AIJ■一般的に言語理論と関連して、心と

生物学的にみた自然減語の関係をどのよう

に見ているのか。その辺のところを。

チョムスキー■自然言語は、あらゆる点か

ら見て生物学的システムの一つに過ぎない

と思います。身体の器官と同じようなもの

です。視覚系統や循環器系があるのとちょ

うど同じように、言語体系があるんです。

ただ、私たちが知っている限りでは、それ

はたまたま人間に特有のものです。他の生

物はこのシステムを持っていません。一部

は持っているかも知れませんが、全部合わ

せたものは持っていません。類人猿やイル

カが持っていないというのは、現在では十

分に立証されたことだと思います。それは

まさに人間の特性なわけです。

 この特性に関してすぐ気づくことは、非

常に珍しい特徴を有しているということで

す。確かに成長と成熟の仕方に関しては、

他の生物学的システムと同様です。原則に

基づいた構造を持っていて、成熟するなど

ということは、みんな他の生物学的システ

ムと同じです。しかし、言語の特定の性質

を見てみると、私たちの知る限りでは、生

物界において特異なものです。例えば、言

語は離散的な無限性という形式的特徴を有

しています。離散的無限性というのは、言

語表現が有限の数の要素を基にして作られ

ていて、しかも無限の数の連鎖が生み出せ

るということです。私たちが知っている他

の動物のコミュニケーション・システムは、

みんなこれとは全く異なっています。私た

ちが知っていう動物の込むにケーしょん・

システムはみんな、例えばある類人猿は特

定の目的のために使用される 39 個の鳴き

声を持っているかもしれませんが、こう

いったように厳密に有限であるか、または

連続的なんです。ですから、例えばいわゆ

る蜜蜂の言語は連続的な体系です。蜜蜂が

羽を震わせる程度によって花がどのくらい

遠くにあるかが決まり、それは、いかなる

物理体系も連続的であり得るという意味に

おいて、連続的に変化するんです。

AIJ■人間のコミュニケーション・システ

ムと連続性の関係はどうなんですか。

チョムスキー■人間のコミュニケーショ

ン・システムの中にも連続的なものがあり

ます。ジェスチャーなんかがそうです。私

がどれくらい腕を動かすかが何かを意味し

ます。そして、動かす程度が大きければ大

きいほど、意味する事柄の量も多くなって

いきます。より興奮しているとか、怒りが

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  23

増しているとかいうように。有限のコミュ

ニケーション・システムもあります。実は、

ダーウィンがそのうちのいくつかを研究し

ました。例えば笑いなんかです。ですから、

人間にも動物のコミュニケーション・シス

テムがあることはあり、みんな有限か連続

的かのどちらかですが、でも言語のような

ものは他にありません。私の知る限りでは、

このような離散的無限性という形式的特徴

を持っている体系は、生物界には他にあり

ません。

AIJ■その人間の言語の形式的な特徴のと

ころをもう少し具体的に。

チョムスキー■もっと正確に言いましょう。

こういった体系は、他にもう一つあります。

それは数です。数の体系も離散無限という

特徴を持っています。さらに、実際のとこ

ろ、数は予め知っているのでなければ習得

することはできないでしょう。子供に数え

方を教えるというのは、その子が経験無し

で予め数え方を知っているのでなければ不

可能でしょう。なぜなら、例えば子どもに

13 までの数え方を教えたとして、その子

が数は無限に続いていくんだということを

予め知っていなければ、数えるというプロ

セスがさらに続き得ると考える根拠は何も

無いからです。そして、この体系もやはり

人間に特有のものです。類人猿や鳥に数を

教えることはできません。

AIJ■少し別の観点からになりますが、文

脈自由と文脈依存と言語システムの関係に

ついてどうお考えですか。

チョムスキー■その点に関しては言語は他

のシステムと同じですから、ここでは除外

させて下さい。私たちが有している全ての

システムに関して、その使用が状況的文脈

に依存しているんです。状況的文脈の利用

の仕方の詳細はずいぶん違っていますけど

ね。でも、それよりももっとずっと驚くべ

きことは、言語のデジタルな側面です。離

散無限の原理に基づいているという事実で

す。これはたいへん重要なことです。とい

うのは、動作主性とか行為とか事態とか

いったような概念の体系が会ったとしても、

もしそれらを新しい観念を表現し得るよう

に結合して、任意の新しい文を作ることが

できなければ、依然として考えるというこ

とはできないからです。この、新しい観念

を表現し得るように概念を結合して、任意

の新しい文を作るというのは、人間には可

能で他のものには不可能なことです。そし

て、人間に可能なのは、ある種の概念体系

が離散無限の体系と連合しているからです。

AIJ■人間の言語の他の特性はどうでしょ

う。たとえば、類人猿と人間の言語の特性

を問題にした場合は。

チョムスキー■他にも種に特定的なように

思われる人間言語の特性があることはあり

ます。例えば、指示がそうです。類人猿は

指し示すことができないように思われます。

指し示すというのには、2通りあります。

一つは、基本的に手を伸ばすということで

す。例えば、幼児が手を伸ばしてカップの

方に向かって行ったとします。これは指し

示しているように見えますが、実は手を伸

ばしているんです。ただ到達できなかった

だけです。これは類人猿にもできます。し

かし、指示的内身での指し示しは、類人猿

には実証されていません。さらに、もし、

ローラ・ペティートやマーク・サイデンバー

グなどといった人たちによって行われてき

たように、類人猿に関する広範な研究を詳

細に分析すれば、類人猿には指示はできな

いと信じるかなり十分な根拠が得られます。

類人猿は要求を行うことはできます。「バ

ナナが欲しい」という意味に人間が解釈す

るような何らかの行為を行うことはできま

す。しかし、バナナを指示することはでき

ません。そして実は、言語の類人猿的使い

方が、本質的に、B.F.スキナーが言語の人

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  24

間による使い方と呼んだものなんです。人

間はある目的を達成しようとするための道

具として音を発することがありますが、こ

れは指示ではありません。指示というのは、

これとは根本的に異なったものです。幼児

は、何かの目的を達成するためではなく、

ただ興味があるからという理由でカップの

方を指し示したりするんです。幼児はカッ

プというものを同定でき、この語と対象物

との間に何らかの関係があることを知って

いるんです。こういったことも人間に特有

なようです。

AIJ■言語と推論・判断などのメンタルプ

ロセスの特性は、人間と他の言語システム

との関係からみて、どのように位置づけら

れますか。

チョムスキー■人間に特有なことで最も驚

くべきことは、言語と思考の産出面です。

それは、新しい観念を作り出すことができ

るということです。新しい観念を表現する

ことができ、それが他人に理解できるとい

うことです。それは一貫していて、でたら

めに作られたものではありませんし、決定

論的に作り出されたものでもありません。

ということは、人間の行動はデジタルであ

り、離散的計算に基づいていて、指示的で

あり、その上でたらめでも決定論的でもな

いということです。こういった特徴はみん

な非常に特異なもので、こんな生物学的シ

ステムは他に見あたりません。そして、ど

のようにして人類の進化がこの種のシステ

ムを持つところまで到達したかという問題

は、基本的に答えが出ていません。どのよ

うな物理的メカニズムがこういう特徴を持

ち得るのか分かっていません。言語はぶる

知的世界の一部かどうかという問題に関し

ては、もちろん答えはイエスです。なぜな

ら、物理的世界だけが実在する全てであり、

言語は実在するからです。しかし、私たち

の現在の物理に関する知識が、原理的に物

理的世界のうちのこういった要素を包含し

得るかどうかという問題に関しては、その

答えはまだ分かりません。そして、この問

題に答えるには、かなり慎重にやらなけれ

ばなりません。

AIJ■その辺をもう少し具体的に。

チョムスキー■二つの場合を考えてみま

しょう。まえに取り上げた化学の場合と、

それから遺伝学の場合です。化学も遺伝学

も両方とも、関与する物理的メカニズムの

知識が得られる以前は、抽象的に研究され

ていました。例えば、19 世紀終わり頃の

化学者は、物質世界を研究していましたが、

それは抽象的レベルでした。周期律表は、

物理世界の抽象的特徴づけです。1930 年

代の遺伝学者も、物理世界のいくつかの側

面を研究していましたが、それも抽象的レ

ベルにおいてです。結局これらのシステム

の両方がもっと基本的な科学に組み込まれ

ることになったわけです。しかしその組み

込まれ方は根本的に異なっていたんです。

遺伝学は、自然科学の概念の拡張をもたら

すことなく、その中に組み込まれました。

例えば、クリックやワトソンなどは、物理

世界について分かっている特性、生化学の

解明されている原理によって、遺伝学で抽

象的に研究された特性の少なくとも多くが

説明可能であることを示すことができまし

た。ですから、遺伝学はある意味で、見方

を変えることによって既知の科学に組み込

まれたわけです。化学は、それとは根本的

に異なった方法で物理学に組み込まれまし

た。19 世紀の物理学は、化学を取り込む

ことは不可能でした。実際、物理学は変え

られなければならなかったんです。化学を

組み込むために、根本的に、新しい考えが

出されたり、新しい概念が発見されたりし

なければなりませんでした。ですから、化

学と物理学の場合には、化学が物理学に組

み込まれることはできず、物理学が化学を

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  25

取り込むために拡張されたり、修正された

りしなければならなかったんです。

AIJ■言語学の場合にも、やはり物理学と

の関連からみた位置づけが問題になるわけ

ですね。

チョムスキー■ただ、言語の場合には、遺

伝学のように物理世界に組み込まれるのだ

ろうか、それとも化学が取り込まれたとき

のように、物理学が修正されなければなら

ないのだろうかということが問題になりま

す。その答えはまだ分かりませんが、どち

らの可能性もあります。

ニュートン以降、

もはや身体という

概念は存在しない。

AIJ■話が少し変わりますが、先ほどもふ

れましたけれど、言語学といわゆる心身問

題の関係について考えてみたいのですが。

どうでしょう、心身問題そのものの位置づ

けが問題ですか。

チョムスキー■いわゆる心身問題は、非常

に混乱した問題です。実はそのような問題

は存在しません。この問題は 17 世紀には

提起することができたのでしょう。という

のは、当時は身体というものが非常に明確

に定義されていたからです。もし身体とい

うものが明確に定義されていれば、心身問

題を提起することができます。心の現象が

その概念の範囲内にあるのか、それともそ

の概念の外にあるのか問うことができるん

です。しかし、現在十分な注意が払われて

いないことは、伝統的な身体の概念がもは

や存在していないということです。デカル

トの心と身体の理論は、18 世紀までには

もはや受け入れられなくなっていました。

そしてこれは、心の理論に何かが起こった

からではなく、身体の理論が取り除かれて

しまったからなんです。ニュートンは、身

体の理論が天体の動きや物体の落下などを

扱うのに全く妥当なものでないことを示し

ました。ということは、実はニュートンは

身体の理論を拡張したんです。身体の理論

は、重力のような力を包含するために、デ

カルトの力学から拡張されたんです。これ

は、化学が物理学に組み込まれていく過程

と非常に似た過程です。しかし、ここで重

要な点は、ニュートン以降もはや身体とい

う概念が存在していないことです。身体は、

中核的自然科学に吸収されるもの全てなん

です。ですから、身体が質量を持たない素

粒子を含んでいても構わないし、10 次元

空間における振動紐を含んでいても構わな

いし、力の場を含んでいても構わないんで

す。身体とは何なのか、私たちには予め分

かっていないんです。私たちが理解できる

いかなるものでもあるんです。そういうわ

けですから、心身問題というのは存在しな

いわけです。

AIJ■つまり、問題の出し方が違っている。

チョムスキー■ええ。ですから、問題指摘

の仕方は次のようになります。心の現象は

遺伝学のような形で化学に組み込まれるん

だろうか。すなわち、組み込み方さえ考え

出せば、私たちの現在の理解が、実は既に

心の現象を包含していることになるんだろ

うか。それとも、心の現象は、化学や 17

世紀の天体の場合のような形で、物理学を

変えることによって自然科学に組み込まれ

るんだろうかと。

AIJ■あなたは、京都での講義の中で次の

ようなことをおっしゃったと思うんですが。

「言語を研究すればするほど、ますます物

理学の研究に似てくるように思える」とい

うようなことを。覚えていますか。

チョムスキー■ええ、覚えています。それ

はつまり、言語のことが分かれば分かるほ

ど、他の生物学的システムと異なっている

ように思えるんです。知られている全ての

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  26

生物学的システムが、たいへんごちゃご

ちゃしているんです。そして、これにはちゃ

んとしたわけがあうんです。つまり生物学

的システムは多くの余剰性を組み込んでい

るんですが、それにはちゃんとした理由が

あるわけです。非常に余剰的なシステムが

あれば、損傷や障害などの影響をより受け

にくくなるわけです。その上、生物学的シ

ステムは進化を通して発達してきたわけで

すが、進化というのは修理屋のようなもの

で、美しい構造を設計しないんです。手に

入る材料を使って、当面の目的のために機

能するような構造を設計するんです。です

から進化は、どちらかというと、そこにあ

るものを使って、いちばん良い方法で当面

の問題を解決するわけです。普通そういう

ものは、エレガントな解答を出して来ない

ものです。ちょうど修理屋がテーブルの上

に転がっているものを使って何かを組み立

てる場合のように。このようなことは、ずっ

と繰り返し気づかれてきました。

AIJ■しかし、言語システムの場合は事情

が違う……。

チョムスキー■ええ。言語を研究していて

驚いたことに、こういったことが言語には

当てはまらないように思えるんです。例え

ば、句構造規則と語彙規則は余剰的で、両

方とも同じことをやっているということを

前に言いました。生物学的システムではこ

ういうことは悪くないことでしょう。同じ

ことをするのに二つのやり方があったとし

ても。生物学的システムの働き方というの

は、そういうものだからです。物理学の問

題を研究をしていて、例えば量子物理学を

研究していて、同じことをしている複数の

異なった原理を見つけたとしたら、何かが

間違っていると思うでしょう。何かまだ理

解していないものがある、もっと深い原理

があると思うでしょう。でも、このような

問題のアプローチの仕方は、生物学ではふ

つううまくいかないんです。同じことをし

ている複数の異なったシステムが存在する

からです。ところが、言語の場合には面白

いことに、このようなアプローチがうまく

いくんです。こんなふうに問題にアプロー

チしたときにはいつでも、本当により深い

原理が得られ、それまでの余剰的なシステ

ムが全く間違っていたということが示され

ることに、結果としてなるんです。

AIJ■とにかく、言語の研究をつめていく

ときには、物理学の進め方が気になるので

すね。

チョムスキー■物理学で何か人工的なもの

が得られたときは、いつも気にかかります。

例えば、どうして四つの異なる力があるん

だろうか。どうして一つではないんだろう

かと。こんなふうに心配して、もっと統一

的な理論を見つけようとします。生物学的

システムの研究では、こういうやり方はふ

つう間違っています。循環器系のエレガン

トな理論などというものはありません。そ

れはただあるがままのものなんですよ。エ

レガントなシステムなんてないんです。と

ころが、言語の場合には、物理学に対する

ような知的態度で問題にアプローチすると、

答えが得られるように思えるんです。不自

然に見える原則があるときには、ふつう結

局それが間違っていることが判明するとい

うのが、どうも事実らしいんです。対称性

とかエレガントさなどによって、正しい答

えに近づいて行けるんです。

 こういったことは生物学では一般に起こ

らないことが分かっていますから、なぜ言

語の場合には起こるのかが問題になります。

デジタル計算と非決定性と指示という特性

と関係しているかもしれませんし、してい

ないかもしれません。いずれにしても、た

とえ生物界で唯一でないにしても、珍しい

と思われる自然言語の特性の集合、例えば

前に挙げたようなものがあるわけです。こ

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  27

れは、どうにかして解明しなければならな

い印象的で興味深い事実です。このような

特性をもっている唯一知られている他のシ

ステムは、数のシステムです。これもやは

り人間に特有のもので、恐らく言語能力の

反映でしょう。というか、実は、恐らく言

語のまさに一部なんでしょう。つまり、私

たちは現在次のような状況にいるわけです。

生物界全体の中で、一つだけ他の全ての知

られているシステムと根本的に異なるもの

として際だっているシステムがあり、それ

は人間の言語とそれにまつわる諸々の事柄

である。それは、デジタルな計算システム

であるという点で他と異なっており、指示

の特性をもっており、その使用はでたらめ

でも予め決定されているものでもなく、あ

る意味で創造的である。他の生物学的シス

テムとたいへん異なって、極度に単純で対

称的でエレガントな原則を内包しているよ

うに思われるという興味深い特性を持って

いる。そして、どうしてこのような特性の

集まりが生じているのか、あるいは進化を

通してどのようにして発達してきたのか、

私たちには全く分からないんです。

「認知科学」が「有機体」の「科学」

たりうるためには。

AIJ■なるほど。私たちがいま現在どのよ

うなアプローチをとっているにしても、広

い意味でのある種の認知科学における知見

が得られてきていると思いますが、そう

いった意味で、今後言語学を含めた認知科

学の隣接分野は、どのような方向に進んで

行くかについて、ご意見を伺えないでしょ

うか。締めくくりとして、言語学者として

のあなたご自身の認知科学観を伺いたいの

です。それから、あなたの GB 理論または

生成文法の企てが、どんなふうにその目標

に関連しているかについても伺いたいので

すが。

チョムスキー■そうですねえ。つまり、私

たちは、心の研究、すなわち抽象的なレベ

ルでの脳の機能と構造に関する研究に興味

を持つことができます。そういったものを

研究すると、他の複雑な有機体組織の場合

と同じように、いろいろな相互に作用し

合っているシステムが見つかります。実は、

脳は私たちに分かっている中で最も複雑な

有機体組織なんです。そして、独自の発達

様式や相互作用や機能などを持つ、特定の

目的に適応した数多くの複雑な下位構造を

持っていると考えて差し支えないという十

分な根拠があります。そのうちのいくつか

は、計算的で表象的なシステムのように見

えます。このようなシステムの研究を、認

知科学と呼んでも構いませんが、唯一のア

プローチの仕方は、その特性を発見するこ

とです。つまり、特定のシステムやその特

定の現れを研究し、原則を発見しようとし、

大人の状態に成熟し成長する様式を発見し

ようとすることです。他のシステムとどの

ように相互作用するかを問うことです。特

別なことは何もありません。まさに科学以

外の何物でもないんです。

AIJ■そのような意味での認知科学とは

ニュアンスの異なる認知的な研究もあると

思いますが。

チョムスキー■ええ、あります。ところが、

認知科学の学問領域は、それが発達してき

たドグマによって随分阻害されてきたよう

に思われます。心理学が主張し続けてきた

厳格なドグマがあるんです。例えば、ピア

ジェのドグマは、生得的構造を見てはいけ

ないというものです。発達の段階を研究し

なさい、全てのものが一様だと仮定しなさ

い、分化された構造などというものはあり

得ませんよというわけです。これらはみん

なドグマです。ドグマはいつも問題を引き

起こします。ドグマが真実でなければなら

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  28

ない理由は何もありませんし、大抵間違っ

ています。こういったドグマは、他の全て

のシステムで間違っているのと同じように、

このシステムでも間違っています。いろい

ろな種類の行動主義も、別の種類のドグマ

です。

AIJ■なるほど。なかなか厳しい見方です

ね。行動主義の後に出てきたいわゆる認知

心理学の研究はどうですか。もっとも、こ

の二つが区別できればですが。例えば、ノー

マンやラメルハートなどに代表される研究

などはどうでしょう。

チョムスキー■彼らは別のドグマを持って

います。彼らのドグマは、全てのものが分

化されていないというのと、生得的構造に

注意を払うことはできないというものです。

この点では、ピアジェに似ています。そし

て、こういったドグマが正しいと仮定する

理由は全くありません。だから彼らは全く

どこへも行き着かないんです。要するに、

科学者はこのようなドグマを持っていない

ものなんです。科学者は、事実がどうなっ

ているのか、根底に横たわるシステムは何

なのか見つけ出そうとするものなんです。

全てのものが分化されていないなどという

ことを仮定して、問題にアプローチしたり

してはいけないんです。そんな仮定がどこ

から出て来るというんでしょう。

AIJ■AI の科学者はどうですか。

チョムスキー■AI のかがくしゃですか。

ええと、ミンスキーがもう一つの事例です

ね。ミンスキーは研究の最初から心―脳の

システムは分化していないと仮定してきま

した。すなわち、全てを行うただ一つのシ

ステムがあり、もし十分大きなコンピュー

タがありさえすれば、そのシステムがどの

ように働いているか示せると。これは、科

学ではうまくいきません。もし物理学にこ

んなふうにアプローチしたら、うまくいか

ないでしょう。もし化学にこんなふうにア

プローチしたら、うまくいかないでしょう。

生物学にこんなやり方は通用しません。で

すから、得られるものは実質的にゼロです。

AIJ■AI 的な研究の中で、あなたの言われ

る意味での科学的な研究はありますか。

チョムスキー■本当に正しい結果がいくら

か得られた AI 科学者には、デビッド・マー

がいました。その理由は、彼が科学者とし

て問題にアプローチしたからです。彼は、

分化の欠如に関する全てのドグマを捨て去

り、生得的構造の欠如に関する全てのドグ

マを捨て去って、ただ次のように言ったん

です。「ほら、視覚系は生物学的システム

だ。だから、それ自身の特性を持っている

だろう。私は、その特性が何なのか見つけ

出したい。人工知能を正しく使うことにし

よう。こういった人たちは、コンピュータ

をとても柔軟に使うための技術を開発して

くれた。だから、それを私はモデルを作る

のに使おう」彼は、人工知能を物理学者と

同じやり方で使ったんです。物理学者は、

コンピュータをモデル化や予測などのため

に使おうとすることがあります。そして、

マーも同様だったんです。しかし、彼は科

学者らしく問題を研究しました。彼は言っ

ています。「私は、このシステムの生得的

構造がどうなっているのか、その特性は何

か、それはどのように処理を行うのか、そ

の段階はどのようなものかなどを見つけ出

したいと思う。それが他の全てのシステム

と同じように働くと主張するつもりはない。

実際そんなことはないのだ。独自のものを

持っているのだ。例えば、2.5 次元の表象

を持つシステムは、他にはない。しかし、

視覚系はそれを持っているのだ」。彼は、

ドグマを捨てたから、進展がみられたんで

す。それ以外のいわゆる認知科学も、もし

ドグマを捨てれば、たぶん進展がみられる

でしょう。

AIJ■なるほど。その場合のドグマは、「仮

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  29

説」とか、「アプローチ」という意味に近

いと思いますが。結局、この後者の方の意

味での研究の方法論が問題になっているよ

うに思うのですが。

チョムスキー■なるほど。ただ、認知科学

で研究されているテーマの多くが、私には

有益なテーマではないように思えます。例

えば、人がレストランでどんなふうにお茶

を頼むかを研究することは、ほとんど意味

がありません。そういった問題には、答え

など無いからです。全くその状況に特有な

ものだから、心の特性を反映していません。

つまり、これは変数の多すぎる問題なんで

す。科学では、変数の多すぎる問題を研究

することはできないんです。これは、物理

学でも分かっていることですし、それ以外

のどの分野でも分かっていることです。根

本的な原理を見つけるようにしなければな

らないんです。そしてそれは、実験と呼ば

れる人工的に単純化された状況で行わなけ

ればならないんです。そしてそれから、複

雑な世界でどのように相互作用しているか

を示すようにするんです。もし生物学者が

複雑な現実世界から研究をはじめたら、ど

こにも辿り着けないでしょう。ひょっとし

たら植物学はできるかもしれませんが、花

や花の色や虹などといったものから始めた

ら、生物学はできません。つまり、分類学

者としてやることはできても、何も発見で

きないだろうということです。何かを発見

したいのなら、高分子の特性などを研究し

なければなりません。同様に、もし認知科

学を研究したいのなら、いくつかの特定の

下位システムを見なければなりません。そ

うすればたぶん、それらがどのように相互

作用しているかについて何か発見すること

ができるでしょう。そういうわけですから、

上で述べたような種類の研究は、予め実り

が無いことが保証されています。そして、

実際に実りが無いと思います。

AIJ■AI ないしは広い意味での認知科学の

研究の一例に、ゲームのシミュレーション

や問題解決の研究がありますね。

チョムスキー■例えばチェスのようなゲー

ムですね。これもあまり実りが無さそうで

す。理由は、ゲームというものの性質に関

係があります。なぜチェスはゲームになり

得るんでしょうか。それは、人間がそれを

巧くないからです。もし巧かったら、いい

ゲームになりません。例えば、文理解ゲー

ムなんてできません。みんなとても巧いか

らです。文を理解することの方がチェスを

することよりずっと難しいけれど、みんな

が完璧にやってしまうから、それをゲーム

にすることは意味が無いんです。チェスは、

ある点で私たちの認知能力の境界線上にあ

るという意味で、興味深いゲームです。私

たちはそれが巧くないから、差別化される

わけです。「さあ、ここからあそこまで歩

きましょう」などという運動競技はありま

せん。みんなができるからです。「ここか

らあそこまで飛びましょう」という運動競

技ならあります。巧くできないからです。

私たちは蛙ではないから、巧く飛べないわ

けです。ですから、人間の能力が差別化さ

れるから、ゲームやスポーツになるわけで

す。しかし、巧くできないものを研究して

も、有機体組織のことについてはあまり分

かりません。巧くできるものを研究するこ

とによって、有機体組織のことについて何

かが分かるんです。

AIJ■そうですか。私には巧くできないも

のの研究も、いろんな知見を提供してくれ

ると思いますが。実験心理学の研究に関し

てはどうでしょうか。

チョムスキー■実験心理学の全歴史が、有

機体ができないものに関する研究でした。

例えば、彼らは迷路の中のラットを研究し

ます。ラットは、迷路の中では哀れなもの

です。人間も同様です。実際、人間もラッ

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  30

トと同じくらいひどいものです。ですから、

迷路を研究しても、ラットや人間のことに

ついて何も分からないか、分かってもほん

の少しでしょう。もし例えば巣作りなんか

を研究すれば、ラットのことについて何か

分かるでしょう。実際、実験心理学の全歴

史を通じて、ずっと有機体が行えないタス

クを研究してきたんです。それはどうして

かというと、有機体が行えないタスクだっ

たら、滑らかな学習曲線や試行錯誤の学習

などが得られるからです。有機体の能力の

範囲外のものだったら、全ての有機体が同

じように、試行錯誤でやるでしょう。そし

て、滑らかな学習曲線などが得られるで

しょう。でも、もし有機体の能力内のこと

を研究したら、こんなことは起こらないで

しょう。学習が突然起こったり、証拠無し

で巨大なシステムが動きだしたるなどとい

うことになるでしょう。

AIJ■ただ、そのような意味での実験主義

的な研究は、いわゆる行動主義的な研究に

かぎられているんじゃないでしょうか。

トップダウン的なモデルと実験とのからみ

からなる認知的な実験研究もあるわけです

が。

チョムスキー■ただ、有機体のことを理解

したいのなら、それが得意とすることを研

究しなければなりません。これもマーが

行ったことです。彼は、「有機体ができな

いことを研究してはいけない。できること

を研究しなさい」と言いました。人間がで

きることは、言語、視覚、概念形成などで

す。できないことは、チェス、物理学など

です。これらはとても難しく、人間が差別

化されてしまいます。これから人間につい

ての知見が得られる可能性は、あまり無い

でしょう。例えば、命題論理学の定理を証

明する場合を例にしてみましょう。形式的

な観点から言えば、これは簡単なタスクで

す。十分よく分かっているからです。とこ

ろが、人間はどういうわけかこれがとても

下手です。初等論理学の講座を担当すると

すぐ気がつくことは、たいへん優秀な数学

者でさえ、命題論理学の定理を証明するこ

とができないということです。私たちは、

そういったことに十分適応していないんで

す。ですから、命題論理学の定理をどのよ

うに証明するかを研究しても何も得られな

いことは、やる前からほとんど明らかなこ

とです。

AIJ■ラットなどの迷路のように?

チョムスキー■ええ。迷路の中のラットを

研究しているのと同じことです。人間が巧

くできないタスクをたまたま選んだために、

人間の本当の能力についてあまり発見でき

ないんです。ですから、これは全く間違っ

た種類の研究方法だと思います。ひょっと

したら何かが分かるかもしれません。でも、

もし認知科学の進歩を望むなら、もっと合

理的なアプローチをとるべきです。もっと

合理的というのは、ドグマを捨てることで

す。ミンスキーやピアジェや行動主義など

に見られる未分化の学習というドグマなど

です。知能のシステムには遺伝的に決定さ

れた構造などは存在しないというドグマを

捨てなければなりません。これは全く間違

いだからです。もっと賢明に研究テーマを

選ばなければなりません。もしある有機体

について何らかの知見を得たいと思うなら、

その有機体が行うことができるタスクを選

ばなければなりません。その有機体の認知

能力の範囲外にあることを選んではいけま

せん。そんなことをしたら、大して知見が

得られないでしょう。もし認知科学が、科

学の合理的な方法に基づいて研究テーマに

アプローチできるようになったら、その時

たぶんいくらか進歩し始めるでしょう。

個別言語は、言語機能のネットワーク

のスイッチ設定によって生じる。

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  31

AIJ■なるほど。では最後になりますが、

隣接分野における認知科学のこのような研

究状況を考えて、言語研究や生成文法の企

てを、最も広い認知科学の視野の中でどの

ように位置づけるか。GB 理論に関してど

のように研究を進めていったらいいか。GB

理論の意義は、あるいは、あなたの研究が

将来どのような示唆を与えてくれるか。そ

の辺のことを伺いたいのですが。

チョムスキー■言語学は、人間の心の重要

なシステムの一つを研究するものです。心

的器官の一つを研究するもので、いままで

述べたような理由でたいへん重要なもので

す。このシステムは、人間に特有なもので

あり、なおかつ人間に共通なものです。私

たちの思考や解釈の全てに関与しているも

のです。非常に驚くべき特性を持っている

ので、このシステムの研究から、人間につ

いて多くのことが分かります。

 ところで、いわゆる GB 理論は、前にも

言ったように、この言葉は使いたくないの

で、現在の言語理論、つまりええと、原則

と媒介変項によるアプローチと呼ぶことに

しましょうか、これは言語に対する、以前

のアプローチと根本的に異なっているんで

す。伝統的な文法とは、非常にはっきり区

別されるものなんです。最近までの全ての

言語学、まあこれは、変形文法のいろいろ

な変種を含み、さらに気をつけてもらいた

いのは、GPSG や LFG なども変形文法の

変種に含めているわけですが、これらの体

系全てが、非常に伝統的なモデルに基づい

てきたんです。伝統的な規則という概念を

採用し、それに特定の形式化を与え、それ

を適用しようとしてきたんです。これは正

しくない、伝統的な規則の研究は、随伴現

象、すなわち実際には存在しない現象の研

究だという結論に到達した点で、原則と媒

介変項によるアプローチはそれらと異なっ

ているんです。規則が存在するように見え

るけれども、それは間違った方法で言語を

研究しているときだけそうなるんだ。正し

い方法で研究したときには、規則が存在し

ないことに気づくんだ。ただ普遍的な原則

とその可能な変異の範囲、限られた変異の

範囲があるだけなんだというわけです。も

しこれが正しいならば、初めて伝統から本

当にきっぱりと決別したことになります。

正しいか正しくないかは、経験的事実の問

題です。私は正しいと思いますが。

AIJ■なるほど。

チョムスキー■そして、もし正しいならば、

新しい研究課題が生じます。例えば、言語

を習得するというのはどういうことなのか

という課題を例に取ってみましょう。言語

を習得するというのは、原則と媒介変項に

よるアプローチの観点から言うと、有限個

の質問に答えることです。言語機能が、こ

こにこれらの限られた有限個の変異の媒介

変項があるよと言っているんです。そこで

子供は、それらの質問にそれぞれ答えてい

くという課題を与えられるんです。イメー

ジ的に言えば、このシステムは多かれ少な

かれこのように見ることができます。決

まったネットワークがあるんです。脳波、

言語機能というある種のネットワークを

持っているんです。そして、それに結びつ

けられたスイッチ・ボックスがあるんです。

スイッチ・ボックスには、決まった数のス

イッチがあります。例えば 83 個のスイッ

チがあるということにしましょうか。それ

らは、オンかオフになっています。それら

がどちらかにセットされないと、システム

は動きません。いったんスイッチをセット

すれば、システムは特定の動きをするよう

になります。子供は、スイッチがどのよう

にセットされるかを決めなければならない

んです。主要部先行型なのか、主要部後続

型なのか。WH 句を動かす言語なのか、動

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  32

かさない言語なのかといったように、限ら

れた数のスイッチについて、いったんス

イッチをどちらかにセットすれば、ある言

語が得られるんです。

AIJ■そのような形で媒介変数の価を決め

ていきながら、可能な個別言語の集合を限

定していく。そう言っていいでしょうか。

チョムスキー■ええ、そうです。もしこれ

が正しいとすると、スイッチ設定の集合か

ら個別言語が出て来るはずです。媒介変項

の値の選択すなわちスイッチ設定の特定の

集合から、文字どおり日本語が出て来るは

ずです。そして、もしスイッチを変えたら、

別の言語が得られるでしょう。ここで注意

しなければならないのは、この得られた言

語は非常に違ったものに見えるかもしれな

いということです。スイッチを一つ逆方向

に倒しただけで、全く違ったふうに見える

現象が得られるかもしれないんです。とい

うのは、この変化の結果が複雑なネット

ワークを通り抜けていく間に、あらゆる種

類の不思議なことが起こるだろうからです。

実際これは、生物学における種形成と似て

います。つまり、細胞の生化学的属性は生

物間で似かよっている、あるいはたぶん同

一でしょうが、例えば細胞のタイミング機

構にはほんのちょっと変化を加えただけで、

全く違った生物ができあがるんです。とい

うのは、その小さな変化が、非常に入り組

んだシステムを通り抜けていくからです。

AIJ■言語の場合にも、これに似たような

発展の形態が考えられないことはない、と。

チョムスキー■これは、言語の場合に似て

います。言語変化においては、非常に関係

の深い言語同士が、しばしば、驚くほど多

くの特性に関して異なっているように見え

ることがあります。恐らくこれは、スイッ

チがどこかで切り替わっているんでしょう。

同様に、知られている限り全く歴史的に関

係の無い言語同士が、しばしば同じ特性を

持っているように見えることがあります。

例えば、日本語と韓国語は、分かっている

限りでは、十分に立証された歴史的関係は

ありませんが、驚くほどよく似ています。

ですから恐らく、どういうわけか同じよう

にスイッチをセットしたんでしょう。これ

は、歴史上ずっと昔に行われたのか、ある

いは別の理由に拠るのか分かりません。

ひょっとしたら、何の歴史的関係も無いの

かもしれません。それでも似ていることは

あり得ますから。例えば、英語と中国語は

非常によく似ていますが、歴史的関係は全

くありません。ただ単にスイッチを同じよ

うにセットしただけです。というわけで、

類型論や言語変化や言語習得や言語解析や

翻訳などの問題が、このかなり根本的に異

なる観点からすると、全て違ったものにな

るんです。

AIJ■そのような新しい言語観によって、

言語学や関係分野が新しく見直されること

になるわけですね。

チョムスキー■はい、もう一度言いますが、

これは教義にしがみつくという問題ではな

いんです。この観点は、正しいか間違って

いるかどちらかなんです。正しいのか、間

違っているのか見つけ出したいわけです。

もし正しいならば、規則などというものは

ありません。それは、随伴現象だったんで

す。それは、単なる伝統文法の過ちであり、

それを取り入れた現代の生成文法の過ち

だったんです。もしこのアプローチが間

違っているなら、規則は存在するんです。

これは、真実を見つけ出すという問題なん

です。お互いに争っている宗教上の教義の

問題ではないんです。

AIJ■どうも長い間ありがとうございまし

た。

インタビュー:山梨正明(京大) 翻訳:五十嵐義行 写真:西山裕

Aha の瞬間 ノーム・チョムスキー  33

[チョムスキーの代表的著作]

言語学関係:

●Syntactic Structures (Mouton, 1957)/『文法の構造』勇康雄訳、研究社刊

●Aspects of the Theory of Syntax (MIT Press, 1965)/『文法理論の諸相』安井稔訳、研究社刊

●Cartesian Linguistics (Harper & Row, 1966)/『デカルト派言語学』川本茂雄訳、みすず書房刊

●Language and Mind (Harcourt, Brace & World, 1968)/『言語と精神』川本茂雄訳、河出書房新社刊

●The Logical Structure of Linguistic Theory (Plenum, 1975)

●Reflections on Language (Pantheon, 1975)/『言語論』井上、神尾、西山訳、大修館書店刊

●Essays on Form and Interpretation (North-Holland, 1977)/『形式と解釈』安井稔訳、研究社刊

●Rules and Representations (Columbia U.P., 1980)/『ことばと認識―文法からみた人間知性』井上、神尾、西山

訳、大修館書店刊

●Lectures on Government and Binding (Foris, 1981)/『統率束縛理論』安井稔訳、研究社刊

●Some Concepts and Consequences of the Theory of Government and Binding (MIT Press, 1982)

●Knowledge of Language (Praeger, 1986)

●Barriers (MIT Press, 1986)

政治関係:

●At War with Asia (Random House, 1969)

●American Power and the New Mandarins (Pantheon, 1969)/『アメリカン・パワーと新官僚』木村雄次他訳、

太陽社刊

●Problems of Knowledge and Freedom (Pantheon, 1971)/『知識と自由』川本茂雄訳、番町書房刊

●The Backroom Boys (Pantheon, 1973)

●For Reasons of State (Pantheon, 1973)/『お国のためにⅠ、Ⅱ』いいだ・もも訳、河出書房新社刊

●Peace in the Middle East? (Pantheon, 1974)

●Towards a New Cold War (Pantheon, 1982)