lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し...

64
I I _l_r 1 _ _ _ _ -_ _ _ . J ._. 1 l r , . - l I 1 il I-iヽ. flH-tl.iii_ q∴ 1 -. r l / - - ' L l t _ 1 - _ L i , IlI H Lト 「▼ . 1- L - I・ il - 1 I ,f _. ヽ- 一. , .i .・・ 1 ′ ′ー ■ー ′ . . r~ r I - I 1 3 r . l L . ∴P 守.,Ill ・車 -ヽ・ 「歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究 I 止7 -l l . T J, . r r , : i , T . L J I L I I l r.-. r L . 1 . 仁.′ . . J I - , I I , HTJ.ll I.ら ( _二__三 I J I L ′′1ー J'・Jltf:i.告 ・主、 I I-、Lヽ1 '~h・ / ":・ JL _1 . - r rr ll l L I I 2 0 0 9 9 r■ L J J】 【I ・I . J・1 1ヽ It l ■'■ L / ir ( . l 3 - 7> / (・ - .r /I , J/ 二・ J l , ,工,l二 - 1- ヽI T Ii JJr t . i .I 1- J i ・I /h U Y ] ヽ・ t J r . 1 J T . J r I ルー r h . L T . / L r T _ A 12・- 」. ={= . ; 1 - i . . 〜. i; 1 1 ' .・ I , - 1 L ll l . / , {- , 早, J } J-l-γ l・■l ■■ LI 一・ 1 - I J 娼J - ・/I I E - r , l r - / J ' L f , / jJ,露 ,7 圭一J..,-・・ ∴ ノ` ..:rll -I._ -1 - 1- - J I / I ;

Transcript of lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し...

Page 1: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

II_l_r1____-___.J._.1

lr

㌔,.-lI1 illI-iヽ.

flH-tl.iii_

q∴1-.

rl

▲■・●ノ/--●'

L lt_1-㌔~_Li ヽ

,IlI

「HLト「▼.1--L-I・

il

-1I,f

_

.

ヽ-

一.・,.i.・・・1

′′ー

■ー′

..∫r~

r′

I-I・岡山大学文学部プロジェクト研究報告書13r.lっL十.

∴P

守 .,Ill・車■- ・ヽ

「歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究」

I止7-ll

.・TJ,.

rr,:i,T.L・J ILII章二一lr.-.

rL.1.・仁.′

.チ.

・JI′-・,II,

HTJ.llI.ら(

_二__三 IJ トIL′′1ー

臣 J'・Jltf:i.告 ・主、I I- 、Lヽ1'~h・

/柿":・JL_1.-・rrrll

l LII岡山史料ネットⅢ

2009年9月

r■′′

LJ

J】一【I・I.J・11ヽIt

l

■'■L/ir(

.l3-7>・/「

(・-.r

/I,J/

代表者今津勝紀二・二J

l

差 , ,工 ,l二-ヽ

1--ヽITIi

・■・JJrt許

・.i.I1-J札∫

i・I

/hU-

~..己

lI_・lfI

Y

●・-.

ヽ一

一]一ヽ

・ヽtJヽ■r.1

JTL.Jrl

I

ルーー・rhL.Llrが什rハ・T~T.ーi;/LJ・・

rT「_・A一 12・

-、V

」.・={=.;Ir'こ

し1、-

i..~.

i;工11・;'

'い.・ふい・「

学文学大山岡

\I,-1Llllノ.■/ ■

,部{-,早, ・一亡J}」J-l-γ

l・■l■■LI

一・・1-IJ

J-

/II:r

′E-」rl,lr-p-・JLr.Ir

/二才J'-∴r

Lf,/

jJ,露 ,7圭一J..,-・・∴ ノ`

..:rll -I._ヽ-1

-1--・JII/

IIl_;・[中・∫.

Page 2: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

目 次

1 事業計画と経過 .…...…..………….……….…………..……………………………3

1.1 計画の概要 ..………‥…‥‥……………‥‥.………...……‥……‥.…….……‥5

1.2 事業の経過 ……‥………‥‥‥‥…….…….‥ 7

2 岡山史料ネ ット講演会.………‥…‥……….………‥…‥….….……………….ll

2.1 開会にあたって ……….……‥…‥………….……‥‥ ‥….….‥.13

2.2 小野市がめざす地方博物館の役割について..……...……大村 敬通 15

2.3 保存活動体験報告一官の立場、民の立場 ‥‥…..….‥…‥田村 達也 34

2.4 討論….…………..‥‥………‥……………‥……‥‥….………..…‥………‥‥45

3 論 説..………..…….…….…‥…‥………..….…‥…….…….……….…….……49

3.1 16世紀以降の東方キリス ト教 (正教会)の文化財‥.鐸木 道剛 51

3.2 史料ネ ット、各地の動向 ……‥‥‥‥.……………………… ‥今津 勝紀 56

・--1-

Page 3: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 4: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

1事業計画と経過

- 3-

Page 5: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 6: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

1.1 計画の概要

これまで、2005年度 「災害など緊急時における歴史遺産の保全に関する県内自治

体等との連携事業」(平成 17年度学長裁量経費・地域貢献支援事業費)・2006年度 「歴

史遺産の保全と活用に関するネットワーク・岡山」(平成 18年度学長裁量経費・地域貢

献支援事業費)を実施 し、それぞれ報告書を 『岡山史料ネット』・『岡山史料ネットⅡ』

として刊行 した。本プロジェク ト 「歴史遺産の保全 と活用をめぐる地域ネ ットワー

クに関する研究」(代表者 今津勝紀)は、それに引き続 くもので、平成 19年度

岡山大学文学部プロジェク ト研究経費の交付を受けて実施 された。

申請時の計画は、(丑自治体に所属する文化財行政の担当者、博物館や文書館・資

料館の学芸員・アーキビス ト、県内の研究諸団体、当該問題に関心の深い諸個人 と

連携 し、歴史遺産の保存 と活用に関する講演会を開催す る。 ②大地震による史料

の保全活動に従事 した神戸大学・島根大学・愛媛大学・東北大学・新潟大学などの事

例を検証する。 ③史料ネ ッ トセ ミナーを開催 し、西崎家文書の整理を行 う。 学内

の歴史遺産の保全状況を調査 し、必要に応 じて適切な措置を講ずる。 ④以上を報

告書 『岡山史料ネ ットⅢ』にまとめ、県内に広 く配布する、とい うものである。

これまで本学教員は、自治体史の編纂や文化財行政への助言など、岡山県内の文

化財の保存 と活用に少なか らず貢献 してきたが、文化財保護法によって制度的な

保護の対象 とされていない、地域の古文書などの歴史遺産の多 くは 日々消滅 しつ

つあるのが実情である。 とりわけ、こうした状況は水害や地震 といった災害時に

深刻であ り、生活復興の陰に、多 くの歴史遺産が失われることとなる。 現状では、

こうした緊急時に、歴史遺産の保全活動を既存の行政機関だけで行 うことは不可

能であ り、関係機関・団体・個人の緊密な連携による保全活動が必要 となる。 本プ

ロジェク トでは、歴史遺産の保全 と活用に関する日常的な取 り組みを重視すると

ともに、災害時の史料の消滅を最小限に食い止めるための予防を目的 とした連携

の構築を模索することとした。

言 うまでもなく、地域社会は、そこに生活する人々の歴史認識により支えられて

いる。 そ うした歴史認識のよりどころとなるものが、地域に残 された古文書や行

政文書、絵画、考古学的な遺跡 ・遺構・遺物などの歴史遺産である。 未来に向けて、

より豊かな地域社会を形成するためには、こうした歴史遺産の積極的な保存 とそ

の活用を前提 とした科学的な歴史認識が不可欠である。 こうした取 り組みは、歴

史遺産の保全 と活用をはか りつつ、地域社会の 「町づ くり」に貢献することにつ

ながると言えるだろ う。

なお、本研究は岡山大学中期 目標 ・計画の 3- (1)-1)「社会 との連携、協力

- 5-

Page 7: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

に関する基本方針」同 2)「産官学連携に関する基本方針」にも従ったものであ り、

大学の知や技術の成果を社会に還元するとともに、地域社会・自治体などとの双方

向的連携を目指すものである。

研究組織 :今津勝紀 (代表者 日本史)・倉地克直 (日本史)・久野修義 (日本史)

松木武彦 (考古学)・鐸木道剛 (美術史)

- 6-

Page 8: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

1.2事業の経過

本年度のプロジェク トでは、①一昨年、岡山大学に搬入 され保管 されている西

崎家の襖下貼文書の整理 を継続す る必要があ り、これ を実施す ること、また②昨

年同様 に史料ネ ッ ト講演会 を開催す ることで、当該問題 に関わる岡山県内の諸機

関 ・諸個人 ・諸団体の交流の機会を設 けること、③他県や他大学での地域資料の

保存 と活用をめぐる取 り組みについて知見を得 ること、④報告書を作成 し広 く県

内の諸機関 ・諸個人に配布 し、交流の場を提供すること、を目指 した。

本プロジェク トでは、災害時に顕著な歴史遺産の散逸や消滅 を防 ぐための岡山

大学 と県内の関係諸団体 との連携の構築を目的 としているが、いざとい うときに

力 を発揮 して くれ るであろ う学生をは じめとす る若い人々に、こうした問題-の

関心を喚起することが大切である。本年度は文学部プロジェク ト研究 として実施

す るため、文学部で開講す る博物館実習のなかで学生に襖剥が しを体験 してもら

うこととした。

さらに、県内で当該問題 について最 も重要な役割 を果た している岡山県立記録

資料館 と共同 して、関係す る諸団体や個人を対象 とす る講演会 を開催す ることを

目指 し、岡山地方史研究会 ・岡山近代史研究会・岡山古代史研究会な どの県内の研

究団体に、それぞれの会員-の情報提供などの協力を仰 ぐこととした。

本年度の事業

1. 西崎家文書の整理 (当初計画の①に対応)

・博物館実習の授業を使 って、本学部学生を対象 とした文書整理の体験学

習を行った。

授業外でも襖 より剥が した文書の整理、写真撮影 を行った。

2. 岡山史料ネ ッ ト講演会の開催 (当初計画の②③に対応)

・岡山県立記録資料館 と共催で、2008年 3月 2日に同資料館 にて講演会を

開催 した。

・小野市立好古資料館館長大村敬通氏が地域 に根 ざした博物館活動の実

践例を講演 した。

・鳥取地方史研究会 田村達也氏は、鳥取県西部地震での被災資料の救出活

動や鳥取市での歴史 と文化を活か した町作 りの実践例を講演 した。

・これ らはいずれ もテープ起 こしを行っい、本報告書に収録 した。

- 7-

Page 9: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

以上が本年度実施 した活動の概要であ り、これ らの内容は本報告書に収録 した。

本報告書が、当該問題 に関わ る方々の交流の場 としての役割 も果たす ことができ

れば幸いである。

なお、積み残 した課題 も多い。西崎家襖下貼文書については整理の途中であ り、

内容を紹介す ることができなかった。また、史料ネ ッ トのメー リング リス トにつ

いても準備 中で未だ運用に至 っていない。 これ らは何れ も次年度以降に持ち越 さ

ざるをえなかった。次年度以降 も継続的な取 り組みが必要である。

(文責 今津勝紀)

2007年 7月 21日 博物館実習にて襖下張 り剥が し体験

- 8-

Page 10: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

l 岡山大学文学部 .岡山県立記録資料館共催

2007年度 岡山史料ネット講演会歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワ-ク

【講 演】

大村敬通(小野市立好古館館長)

「小野市が目指す地方博物館の役割について」

【コメント】

田村達也(鳥取県地域史研究会 )

開催日:2008年3月2日 (日)

開催時間:13:00-17:00

会場:岡山県立記録資料鋸

〒700・0807 岡山市南方2丁目13-1

TEL:086-222-7838

ち...

a

● Jli剛 LT駅から徒歩約20分

● TR岡山駅か らFnlJ駅7番のりば津高宮某所

行きバス、 跨線橋東停留所下市徒歩約10

分 r二間電バス)

● JR岡山駅か らRLj山駅13番の りは国立病院

行きバス、探偵機棄停留所下草徒歩約10

分 F.中敵バス)

〒700-8530岡LLl市津島中3-1-1岡山大学文学部 今津 勝紀

この講演会Eも2007年度岡山大学文学部プC]ジェクト研究「歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究」の一環で実施するものです.

電話 086(251)7408Emall:kEmaZu軌氾Okayama・uaoJP

- 9-

Page 11: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 12: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

2岡山史料ネット講演会

2008年 3月 2日

於 :岡山県立記録資料館

- 円1-

Page 13: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 14: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

2.1 開会にあたって

今津 :どうもみなさんこんにちは。お忙 しいところお集 りくださいましてあ りが

とうございます。今年で三回 目にな りますけれ ども、岡山の史料ネ ッ トの講演会

をは じめさせていただきたいと思います。今年は標題にあ りますように 『歴史遺

産の保存 と活用を巡る地域ネッ トワーク』 とい うタイ トルで、 日頃からこうい う

文化財の保存 と活用にご関心をお持ちの皆 さんに集まっていただいて、各地の経

験を色々 うかがって、明 日か らの糧にしようとい う集ま りでございます。本 日拙

い進行であ りますけれ ども司会を務めさせていただきます、今津でございます。

よろしくお願い致 します。

まず最初に岡山県立記録資料館館長の在間宣久 さんか らご挨拶を頂いて、進め

させていただきたいと思います。在間さんよろしくお願い します。

在 間 :失礼 します。 ようこそお出でいただきま した。今 申し上げましたように第

三回になろうかと思います。今 日私は午前中にある雑誌を読んでお りました。『歴

史評論』 とい うご存知のものですが、神戸の奥村先生が書いていらっしゃるもの

で史料の活用を市民 と共有するとか、その研究成果を社会 と共有する、い うこと

を書いてい らっしゃって、そ うだなあと思いなが ら読んでお りま した。そ して最

終的に定着するにはどうした らよいかとい うことで一 ・二 ・三挙げていらっ しゃ

ったのですが、その三つ 目に人々のネ ットワークの形成が必要だといい うことと、

その場が必要だ とい うことを書いてい らっしゃいま した。なるほど我々ささやか

な施設ではあ りますけれ ども、こうい う場に皆 さんをお迎えして、岡山大学文学

部 との共催でこうい う会が持てることを幸せに思います。 どうかこの会を盛 り上

げていただくと同時に、記録資料館 もせいぜい利用 していただいて、我々をまた

盛 り上げていただければ幸いかと思 うところでございます。

今 日はとてもいいお話が聞けそ うで私も楽 しみにしてお ります。いろいろな情

報を得て、今後の我々の糧に致 したいと思います。今 日はご苦労様です。 よろ し

くお願い致 します。

今津 :あ りがとうございます。それでは本 日の講師のお二方を私の方から簡単に

紹介 させていただきます。お話 しいただくのは兵庫県の丁度、加古川中流域のと

- 13-

Page 15: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

ころに小野市 とい う所がございますけれ ども、その小野市好古館の館長 さんでい

らっ しゃる大村 さんと、鳥取県地域史研究会の会長 をしてい らっしゃる田村 さん

です。

大村 さんは長 らく兵庫県の埋蔵文化財行政を リー ドされてきま した。埋蔵文化

財事務所長をなさってお り、兵庫県の考古学の分野を リー ドされてきたのですけ

れ ども、その後、小野市の好古館に移 られま して、現在館長 さんを務めてい らっ

しゃいます。兵庫県はもともとこうい う運動のスター トした阪神淡路大震災があ

りま して、その後、被災史料をどうしようかとい う風な運動が始まるのですけれ

ども、史料を保存 ・活用す るとい う点で先ほどもあ りま したように地域での、そ

うい うネ ッ トワークを生か した形で、なんとか上手 く保存 と活用 して町づ くりに

生かせないだろ うか、 とい うような段階に至るわけです。その中で大村 さんは大

変ユニークな活動をなさって らっ しゃいま して、それを今 日これからお話 くださ

います。ぜひ とも岡山でも役に立った ら良いなとい う思いで、大村 さんをお招き

致 しま した。

また田村 さんは、岡山に近い ところです と鳥取県西部地震、鳥取県の 日野を中

心 とした地震であ りますけれ ども、それが起 こった時に鳥取県の公文書館 にお勤

めでい らして、被災史料の救済活動などに携わ られま した。そのほか最近では鳥

取市の町並み保存の運動 も積極的になさってお り、これ もまた岡山にとって大変

有益なお話になるのではないか と思ってお ります。

岡山の文化力を高めるために、ぜひ兵庫 と鳥取の経験を学べればと思います。

長々と話 して申し訳あ りませんで した。それでは大村 さんの方からお話を進めて

いただきたいと思います。 よろしくお願い します。

- 14-

Page 16: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

2.2

小野市がめざす地方博物館の役割について

大村 敬通

(小野市立好古館)

大村 :皆様こんにちは。ただいま紹介頂

きました小野市立好古館、好むに古いと

書きますけれども、歴史系博物館の館長

をしています大村 といいます。よろしく

お願いします。

今 日は知ってる方もおられますので非

常に喋りにくいのですけれども、『小野市

の目指す地方博物館の役割について』と

いう非常にかっこ良いタイ トルで中身は

全然充実 した話にならないと思いますけ

れど、今津先生がおっしゃいましたよう

に私は兵庫県で埋蔵文化財行政をやって

いまして、平成 13年度に退職 し四月一

日付けで小野好古館に雇っていただきま

した。色々事前に話はあったのですけれ

ど好古館に行くというのは全然思いもし

なかったです。いい加減にハイハイとい

う感 じで返事をしていたのですけど、三

月の末頃に市長 と教育長 と前館長が、明

石まで来られ、話 したいと言われてお目

にかかりました。

そこまでされてしまいまして断 り切れ

ずに四月一 日から好古館に行っています。

その時に市長から言われたのはただ一点

だけです。今まで好古館は平成 2年度か

ら13年度までずっときているのですが、

入館者が五千~六千人だということで何

とか活性化を図って欲 しいと。 この一点

だけです。

それを言われまして、人口五万人でそ

れの一割は最低入っていたのですが、そ

れをどれだけ伸ばせるかということにつ

いては自信も何もありませんでした。前

段の話ばかりになりますけれども、好古

館が歩んできた平成 2年度から13年度

までには年間計画の展示会とか出前講座

とかいろいろやっているのですけど、そ

れを調べましたら残念ながら一点だけ欠

点があったのです。展示会は非常によく

やっています。小野 ・加古川の流域の歴

史を掘 り起こし、それを展示 して皆さん

に見ていただくといったことは非常によ

くやっています。それから小野市立好古

館なので平成 2年度から13年度の間に

小野の市民と連携 した展示会をどれだけ

やっているか、とい うことを見てみまし

た。職員は小野出身の者は誰もお りませ

ん。小野市外の出身者ばか りです。それ

- 15-

Page 17: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

が学芸員として展示会を行っていたので

すけれど、残念ながら私から見れば市民

と連携 した展示会は一切ありませんでし

た。また平成4年から市史編纂室ができ

て全八巻が平成 15年度末に完成 したの

ですけれど、 13年度末までに市史編纂

室に古代 ・中世 ・近世の文書専門の先生

方が 10人おられたにも関わらず好古館と

何の縁も連携もないとのことでした。

そこで好古館の職員に聞きましたとこ

ろ、考古編を出す時に自分達が掘った史

料を市史編纂室に全部取られて市史の中

で発表されてしまった、使われてばかり

だとの苦情を聞かされました。つまり市

民との連携もなく、行政の横の連携もな

く好古館が独立独歩で歩んでいたのです。

これでは、やはり市民のいわゆる市立好

古館にはならないだろうということを最

初に気がつきました。それからが出発で

した。

これにつきましては、大 した物ではな

いのですけれど今からレジュメを使って

話をさせていただきます。今前段で話を

しました経過についてちょっと話をして

いきたいと思います。好古館の成 り立ち

ですが、「1.はじめに」と書いていると

ころを見ていただくと平成 2年の 11月 3

日にオープンしています。

この好古館がどういう施設を利用 した

ものなのかということですが、これは新

設ではありません。小野市立小学校とい

う120年ほどたつ小学校の講堂を再利

用 して好古館に充てています。その絵が

2ページの一番下の写真です。暗くてよ

く見えませんが、こういう情景の小学校

です。これの一番左側にありますのが今

ー 16一

Page 18: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

好古館 として使っている元の講堂です。

戦前の昭和 12年にできて講堂としてず

つと使われたのですが、 58年度から新

しく校舎を造るとい うことでこの講堂を

含めて校舎を全部解体するという話にな

りました。

その時に小野に歴史を知る会 (今 36

0名の会員なのですが)の会員が非常に

年季の入った講堂で卒業生も非常に多い

ので、講堂だけはぜひ残 して欲 しいと市

長に談判され、この講堂だけ残そ うとい

うことになりました。それで現在この講

堂、外観は当時のままです。講堂ですか

ら非常に天井が高いので二階に展示室を

設け、旧校舎のところに事務所兼 という

ことで新たに二階建ての収蔵庫を造って

います。

そ うい う経過がありまして現在好古館

としてやっているのですが、資料につい

ては、ここに書いてありますように一柳

家とい う一万石の陣屋があるのですがそ

の当主から文書を市に寄贈 してもいいと

いう話が出ましたので、その文書類約三

千点を市から愛知県にある徳川美術館の

保存会に依頼 して目録を作っていただき

ました。それを基礎にしてこの建物を改

造した上で、好古館 (歴史博物館)にし

ようとい うことになり、約三億つぎ込み

平成 2年 11月3日に博物館 としてオープ

ンしました。元の小学校の講堂です。昭

和 12年のもので小野市唯一の鉄筋コン

クリー ト建ての建物なので、冷暖房施設

が非常に不備です。その中で展示会を平

成 2年度からずっとやってきているので

すが、このように十分防湿 ・防音 ・耐震

を備えた施設ではありませんので、残念

ながらいわゆる国の重要文化財 ・県指定

は展示をできない、貸 していただけない

のです。

そ うい う施設で小野市の五万人の方々

にどれくらい来ていただき、また小野市

以外の周辺の方々にどれくらい来ていた

だけるのか、それにはどうしたらいいの

か。私が行った四月 ・五月の二ヶ月間で

全部調べ上げて、百人アンケー トという

のが市の行政にあるのですけど、それで

アンケー トを取 りましたら、小野好古館

の名前を知っている方が百人のうち二十

五パーセン ト、好古館に来たことがある

方は十五パーセン トでした。百人のうち

それぐらいしか小野市の好古館に来たこ

とがある、知っているとい う人がいなか

ったのです。

これではいくらがんばっても市長から

言われている五千から六千の今までの入

館者の活性化を図ることは難 しいです。

それではどうしたらいいか。先程言いま

したが、狭い考えではあるかと思 うので

すけど、地方の博物館はやはり地方の市

民のためのもので市民に慕われて初めて

好古館 (歴史博物館)は成 り立つと思 う

のです。それプラス周辺に影響を与えて、

周辺の方々も一緒に来ていただけるとい

うのが地方博物館だと私は思っています。

その時に地方博物館であれば地元の住民

の方々に一緒に参加をしていただくよう

な展示会を計画すべきだとい うことを考

えました。後から冊子が回ると思 うので

すけど、ひとつの町を選んで町の歴史を

展示するということです。

お宮から遺跡から、町々にはいろんな

歴史があります。それについて好古館に

- 17-

Page 19: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

来 られた小学生に聞いています と、お父

さんお母 さんに自分の町の歴史の話を聞

いたこともないとい うことで した。また

お じいちゃんおばあちゃんに聞きます と、

そ うい う自分の町 ・村の話をしようと思

っても孫は何も聞いてくれない、そんな

古臭い話は要 らないと言われるとい うこ

とで した。 これは全ての町がそ うい うな

状況のなのです。それならば余計やろう、

今やるしかない、とい うことで言葉は悪

いですけれ ど、六月ある町に仕掛けまし

た。

話が前後するのでご勘弁願いたいと思

うのですけど、6ページの左上に 「わた

したちのまち ・阿形」 とあるのですが、

ここの町がたまたま公民館の改築をして

いて、私が行 く前の年の 11月に改築祝い

をされていま した。 この町は慶長年間の

文書等が非常によく残 り市史の方で目録

野 慧 慧 欝 . 欝 .一問 .・、弼 河 .・●、

わたしたちのまち・阿形一村JJJ文.1芋から比たり~

L#J

+・FJ.叫ネ.

・. 、 .▲丁 二二 ~て こ

・、'爺

を全部作っているのですが、改築祝いの

時に市史編纂室の先生を公民館に呼び、

一部の史料を選んで約二時間展示会をさ

れたそ うです。私は新聞を捲っていてそ

れを見たわけです。その時に平成 13年度

の秋に町が市史編纂室の応援でこうい う

展示会をやっていたのだが行ったことは

あるか、と学芸員に聞いたところ、知 り

ませんとい う返事が返ってきました。誰

も行っていないのです。私の思いですけ

ど、本当ならばそ うい う事業を好古館が

やるべきだと思 うのです。地元の公民館

で自分達がその史料を市史編纂室 と一緒

になって解読 して、それを市民の方 ・村

の方に見ていただく。それが公民館で行

われて、なぜ好古館が関係 していないの

か。これにはショックを受けました。

好古館 とい う歴史博物館があ りながら

新聞す ら読んでいない、兄にも行ってい

ない。 これは本当にショックを受けまし

た。何のための好古館なのか。こうい う

ことがあったのですが、約二時間ほどし

かこの町の公民館でやっていないとい う

情報を聞いていま したので、四月~六月

にそ うい う調べをや り六月にここの町の

区長さんに好古館であらためて文書のお

披露 目をや りませんか、と飛び込みで頼

みま した。

その時訴えま したのが、ただ展示をす

るだけではなく調査は好古館 と村に住ん

でいる小 ・中学生が総合学習の一環 とし

て行い、そ してお父さん、お母さん、お

じいちゃん、おばあちゃんが子供に教え、

批 ノ、日脚 脚 ㊨ それを子供が聞いて模造紙に絵を描いて

cD 平成1・5年2月15日ttl~3月2E3(a;I I

bi_・..tL~,U 」一_ … _ I.ん ..L JJ、.A_.._-、_一一:.._ふ _ー't__

まとめたものを展示 しましょうとい うこ

とです。またそれ以外で村にとって非常

- 18-

Page 20: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

に重要な文書については、好古館 と市史

編纂室と古老の方と一緒に選んで展示に

プラスしましょう、という発想でご相談

に行きました。

最初は食わず嫌いだと思 うのですが、

その時、区長さんから 「私の町は他の町

と比べて何の変化もない、これといった

お宝物といわれる史料は何もない。だか

ら今更こういう展示会を行 うのはあまり

賛成 しない」と言われました。最初はそ

う言われたのですが、一度役員会に諮っ

てみるとい う回答を頂きました。六月の

時点です。

それから一ケ月ほどたって連絡があり

ました。好古館からの話を役員会で諮っ

たところ、前年度の区長 さんがたまたま

町有地がどれくらいあるのかということ

を法務局で色々と調べておられ、そのた

めの史料が非常にたくさんあったのです

が、その前区長さんが是非やるべきだと

発言されて、そのおかげで全役員さんが

賛成されたということでした。そ うい う

ことで六月に好古館 と一緒にや りましょ

う、やらせてくださいとい う回答を受け

ました。これが最初のきっかけです。

私が行ってからの四月 ・五月、調べる

中で新聞のそ ういう記事を見つけなかっ

たら、恐らくこういった企画は出なかっ

たと思います。たまたま新聞に出てお り

職員も兄にも行っていないという状況が

分かったので、これは是非やるべきだと、

反対にこちらの方から村の方-話を繋い

でいけたのだと思います。当然十三年度

の事業計画 ・予算は全部決まっていまし

た。それを強引に次の年の二月にや りま

しょうということにしました。二月を選

んだのは丁度役員さんが替わられる時だ

からです。役員は十一人おられるのです

が丁度交代する時期なのです。その時に

や ります と現役員さんまた次の役員さん

にもその趣旨を分かっていただけるとい

う発想で二月に取 り組んだわけです。

当然小学生が自分の町の歴史を調べ、

掘 り起こす とい う事業なので、その準備

は小学校が休みの七 ・八月の盆までの間

とい うことにしました。残念ながら中学

校については、行きたい、参加 したいけ

れど運動クラブに入っているので練習と

か試合とかの関係でなかなか参加できな

いとい うことになりました。ですから参

加はほとんど小学生です。 これは非常に

重要なことなのですが、小学生が調べる

時ひとりでやっては駄 目です。やはり大

きくなって社会に入った時、周 りとのい

ろんなコミュニケーションをとりながら

生活 していくのは当然でありそ ういう社

会であるので、ひとりではなくグループ

を作ってもらいその中でテーマを自分達

で選んでもらうとい うことにしました。

お宮について調べたい人はお宮のグルー

プ、古墳を調べたい人は古墳のグループ

ということにして、 20項 目ほどを役員

さんと作って小学生に自分で決めてもら

う。 そして七 ・八月の夏休みにこのこと

について村の中で一番よく知っておられ

るとい う方の元-小学生のグループが自

分達で訪ねに行 くわけです。もちろん役

員会の方から子供がこの期間に話を聞き

に行 くから十分対応 してやって欲 しいと

いう話はできています。

そ うい う状況を作って一番最後に重要

な点は、普段私たちは小学生とあまり接

- 19-

Page 21: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

触がないですから小学生に動いてもらう

にはどうしたらいいかとい うことでした。

それを効率的に上手く動いてもらうこと

は私たちにはなかなかできないと思われ

ました。その時に考えたのが学校に行っ

て小学校の先生に対 し、こうい う町を取

り上げてこうい う事業をや ります とい う

ことを伝え、それぞれの地区担当の先生

方に小学生が調べる目、まとめる目の全

てに来て頂くことにしました。それを校

長先生と話 して、総合学習の一環だから

地区担当の先生も現場-行 くように、と

指示をしていただきました。行政 ・学校 ・

地域の全部がひとつになって調べ上げ、

展示も一緒にするとい う風な事業を考え

たわけです。これが始まりです。

そ うい う状況を作ってやってきたので

すけれ ど、最初に言われたのは、やはり

今までやったことがない方法だというこ

とです。ましてや好古館でこうい うこと

を住民と一緒にやるとい う事は経験がな

いわけです。だから非常に反対されまし

た。なぜ住民と一緒にやって苦労をして、

夏休みを削って、現地を調べて、子供と

接触 しなければならないのかと。 休みが

取れないのです。七月 ・八月は絶対夏休

みがとれず、年休も消化できないのです。

そ うい う状況もあるので、非常に反対さ

れました。ですがこれを地域の博物館 と

して定着させるにはとにかく一番最初に

バンッとひとつのア ドバルーンをあげて

しま うことが大切ではないかと考えてお

りました。よほどのことでもない限り小

野の好古館の名前を覚えていただくとか、

また展示会に来ていただくきっかけを作

るという発想で強引に押 し切 りました。

しかしただ展示会だけをするのではあ

まりにも能がなさ過ぎる、そ う思ったと

きにもうひとつ考えたのが 「江戸時代の

村」というテーマで講演会をするとい う

ことです。筑波大の田中圭一先生の本を

新書版で読んだことがあったので飛び込

みで電話をかけて、こういった内容で講

演会をするので講師に来ていただきたい、

とお願いしたところ非常に喜んで来てい

ただきました。普通ですと大学の先生に

来ていただいて江戸時代の農村集落はこ

うい う生活だ、とい う内容で終わると思

うのですが、しかしこれだけでは村はな

かなか盛 り上がらないと思 うのです。そ

の時にひとつのポイン トとして考えたの

は、これだけ住民全体と学校 と行政を連

携 した事業を村が賛成 したか、賛同した

かとい うことを田中先生の講演の前に区

長から話をしてもらうとい うことです。

これはものすごく人気がありました。

自分の町を、自分の歴史を、なぜ今こ

うい う風に取 り組むのかということを自

分の区長が自ら話をしたということで住

民も非常に感動 されました。そ してその

後にいわゆる専門の先生方に話をしてい

ただいたとい うことです。住民の世帯数

は大体 86世帯で、江戸時代の 53世帯

とほとんど代わ りありません。人口は約

380人です。 この話ばかりになってし

まうのですけど、もう暫くお付き合いく

ださい。阿形町というのは小野市内の一

番南側にあるのですが、小野の街-行っ

て阿形町と言っても 「阿形町とはどこの

市にあるのか」といわれるような町だっ

たのです。 ところが講演会をやったおか

げで、阿形町というのは小野の一番南に

- 20 -

Page 22: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

ある町だということを分かっていただく

ことができ、これにも非常に感動されて

いました。

これも嬉 しい話なのですが、そ うい う

状況でこの事業を終えた翌年の年度初め

に、小野のロータリークラブから小野の

地域の方と好古館 と一緒に地域を選んで

展示会をしたいとの話がありました。ロ

ータリークラブとい うのは町に補助をし

たことがないのです。やはりロータリー

というひとつの趣旨があるのでそ ういう

関連 したところには補助をしていたので

すけど、初めての試みとして小野の文化

に役立っ補助をしたいと担当の方が相談

に来られました。それならばいいチャン

スだということで、この町の下には自然

歩道が通っているのですが、そのことと

引っ掛けて自然歩道を歩かれる方にも阿

形町を知っていただこうとい うことでそ

れに費用を充てさせて頂きました。

この補助金 (全額負担)をどうしよう

かとい うことで、役員さん全員に集まっ

ていただいて内容を検討 して選びました

のは、村のお寺 ・お宮 ・お墓いわゆる無

縁墓 ・参 り墓 ・個人墓、古墳 ・公民館か

ら十三箇所選んでそれの各場所に説明板

を作ろうとい うことになりました。さら

に、公民館に町全体の地図を作 り、それ

に十三箇所の説明写真を入れ、また現地

に説明板を立てました。公民館から十三

箇所-の距離を自分たちで測っていただ

き、全体で何キロ、何十分で歩ける案内

地図 (A3)を作りました。

これも嬉 しい話なのですが、当日のオ

ープン式の市長の挨拶で小野市で最初の

地域づくりの典型例であると評価をして

頂きました。その時にそれだけでは能が

ないとい うことで、町の方の発想から十

三箇所を歩いていただこうということに

なりました。 10時からセ レモニーを始

めて終わるのが大体 11時です。歩くの

は、11時から大体一時間半かかるので、

村の方々が自分達でおにぎりを作 り、お

にぎりを二つとペ ットボ トルなのですが、

それを来られた方全員に進呈して一緒に

歩くということをしました。これは村の

方の発想です。その費用は全て村が負担

して下 さいま した。そ して案内は村の

方々にしていただきました。文章も、多

少私も下書きはや りましたが、最終的に

は街の役員さんが全部チェックし自分で

直して点検 したということです。

公民館にある村の全体の地図の中に、

十三箇所の場所 と距離、それからいわゆ

る江戸時代の街道について、村の中を通

っている道でどの道が当時のものと重な

るのかとい うこともカラーで入れまして、

公民館 と好古館に置いています。自然歩

道を通られる方がもし十三箇所をまわる

とい うことであれば、それを自由に持っ

ていっていただけるとい うことです。こ

れも三千部作られまして自由に持ってい

けると。 この費用も自分たちの町の費用

で印刷されています。そ うい うことで、

小野市全体で66町あるのですが、非常

に話題になりました。

これはどこに行っても同じなのですが、

最初は町の方も私のところは何もない、

どこにでもあるようなことばかりで、子

- 21-

Page 23: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

供に教えるようなことなど何もないとお

っしゃられていました。 ところが 14年

度に阿形町の事業をやってから、実際は

15年の二月ですけれ ど、ようや く他の

町からも自分達の町もやって欲 しいと言

われるようになりました。

と申しますのも、 15年度から小野の

中で町づくり協議会ができたのです。六

箇所あるのですけど、その町づ くり協議

会の中で何をするかということを役員さ

んは考えなければいけないわけです。 自

分達の町の活性化を図るとい う時に、好

古館が阿形町の活性化を行った、子供 ・

大人 ・学校 ・行政の全部が一緒になって

行った、その上自分のところの費用はほ

とんど要らない (実際阿形町はウオーキ

ングをやって非常にお金を使われたので

すけれ ど)とい う評判にな りまして、次

の年から自分の町もやって欲 しいとの言

われるようにな りました。そ ういうわけ

で 14年度からずっと毎年やっています。

そ して、神戸大学の奥村教授が小野市

史の関係で小野へ来られる時にたまたま

市史編纂室の方と一緒

に好古館へ来られまし

た。そして展示を見て、

こういった展示の方法

もあるのだな、との評

価をしていただきまし

た。 これ も偶然だと思

うのですが、神戸大学

文学部に地域連携セン

ターができたのが平成

15年で、そ うすると

神戸大学も地域に貢献

するとい うことで地域

と連携 した何かをする必要があるとい う

ことにな りました。好古館で行われた 1

4 ・15・16年の展示を見ておられた

のですが、 16年度に入って小野の好古

館 と連携をしようと、声を掛けていただ

きました。

私どもの所は、私が専任嘱託で、その

下に男性の学芸員一人、常勤嘱託の学芸

員が一人、臨時の学芸員が一人のスタッ

フで支えています。 これだけのスタッフ

でこれから毎年地域に取 り組んでいくに

は、夏休みや盆も休めないといったよう

な問題があ りま した。その時に神戸大学

との連携の話があったのですが、私達に

は研究的な問題や人的な問題もあり、連

携 させていただくことによって好古館や

小野に非常にプラスの結果がもたらされ

るだろうと思い大賛成いたしました。

それから連携をしたいとの旨を市長に

話 したのですが、その時市長は小野から

少 し北に行ったところにあります兵庫教

育大学とい う国立の教育専門の学校 と覚

書を交わ したいと思ってお り、もう既に

- 22-

Page 24: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

話は進んでいるので神戸大学については

ちょっと待って欲 しい、将来にして欲 し

い、ということをおっしゃいました。 し

かし、私どもの方は神戸大学とい う総合

大学といろんな部門で連携もしたい、た

だ文学部だけではなくいろんな部門も一

緒にや りたい、という思いもあったので、

市長を押し切って神戸大学と連携させて

いただきました。そのおかげで好古館に

来た小学生を指導する時にも神戸大学の

連携センターの先生方、また博物館学を

受講されている学生さんに博物館学の一

環として来ていただいて小学生を指導 し

ていただくとい うことができるようにな

りました。

町も神戸大学の先生方が自分達の町に

来てくれたということで非常に誇 りを持

つようになりました。そういうことが全

体のプラスになり、おかげさまで 17年

に神戸大学と具体的に覚書を結びました。

神戸大学からやって来る費用については

神戸大学が負担するということになりま

した。それ と蓄積 されたさまざまな学問

的内容もこちらの方-教えていただける

とい うことになりこのふたっのメリット

があったので非常に順調に行き、17・18・

19年と今年で三年目になります。更新の

時期ですがもう三年間延ばすとい うこと

になり、現在来年に向けて次の町に取 り

込んでいく準備をしています。

神戸大学と結んでやっているのですが、

14年度にやった阿形町の時は偶然国の芸

術文化形成事業という文化庁事業の補助

金利用ができましたので、これは幸いと

いうことで申し込んだのですが、たまた

ま当選 し補助金をいただきました。それ

が 14年度から今年 (19年度)までずっと

続いています。また通常は図録を作って

販売するのですが、私どもは町全体にな

って一緒にやっているので町と連携 して

いる以上は各世帯一冊ずつ図録を配分す

るとい うことが当初からの大前提となっ

ていました。ありがたいことにそれにつ

いて文化庁の方は 「OKです、冊子代は

全て文化庁が持ちましょう」とおっしゃ

ってくださいました。なぜならこういう

事業を全国的に申請する中でこういった

内容のものは初めてだと評価 していただ

いたからです。

最近のことになりますが一番感動した

ことを話 したいと思います。私達は、大

人は当然として、子供さんが自分の町を

調べるにあた り親に聞いてグループを組

んで作品を作って展示会をするというこ

とや、そ うい う時間をとってそれに打ち

込むということに対 してどう感 じたか、

ということを調べてまとめの目に感想を

書いてもらい全部図録に収集 しました。

それを見ると、「今までおじいちゃん、お

ばあちゃん、お父さん、お母さんから自

分の町の歴史について話をしてもらった

ことは一回もなかったが、自分の町がど

んな町で江戸時代以降のものやそれより

ももっと古い歴史的な文化を持っている

ということが今回自分で調べて始めて分

かった。そ うい う町に僕はずっと住んで

いたい」とい う感想が出ているのです。

これには私も泣けましたし、勇気付けら

れました。やっぱりやって良かったと思

- 23-

Page 25: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

いました。

神戸大学の先生方 と連携 した時でも全

ての役員さんにアンケー トをするし、子

供さんについては小学生全員にも感想を

書いてもらいます。 これが図録の一番良

い所だと思 うのです。 と言 うのも役員会

の時に 「今の高齢者 (私も昭和十六年生

まれなのでもう高齢者なのですが)の次

を引き継 ぐのはあなた方 しかお られませ

ん。それはその町にとっての責任です。

だからそれは何も難 しく考えずに、自分

たちが聞いてきたことや学んできたこと

をあなた方が次の世代に話 してやってく

ださい」ということを訴えてきたのです

が、それが小学生の感想文を見たらやは

り出てくるのです。 これは私たち好古館

にとってやってきた一番のメリットだと

思います。勇気付けられた内容だと思 う

のです。もちろん神戸大学もそ うです。

それから本来です とこれを先に話 した

かったのですが、そ ういった事業をや り

ながらどうい う体制でやっていたのかと

R り 1 け l ′ト 中 学 /fl.に よ る 濁 せ

いうことです。最初に先ほど15年度につ

いて話 しましたが、好古館の平面図を見

ていただたくと、一番下の講堂を二階建

てにして一階 ・二階を展示場にしていま

す。そ して、図の一・階にある白抜きの方

を見ていただくと研修室 ・研究室 ・作業

室とあります。 これは好古館に歴史博物

館 として展示場をプラスし建てられてい

るのです。全てを歴史博物館の施設 とし

て使っているのではないということです。

上図の白抜き部分の作業室 ・研究室 ・研

修室は文化財係の事務室として使われて

いたわけです。好古館の職員はここにい

ないのです。 どこにいたかとい うと、図

面の左側にちょっと飛び出しているとこ

ろがあってこれは元々この講堂の玄関な

のですが、この玄関を区切って事務室に

していたのです。ここに書いてあるよう

にその (好古館)の職員、館長 ・学芸員 ・

学芸員嘱託 ・臨時任用の四人がこの狭い

所に入っていたのです。

元々好古館 として造 られた部屋全体を

9月51j 小学校での党衷会

7月30口 古文.li:m査

- 24 -

Page 26: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

文化財係が使用 していました。それはな

ぜかというと付け足 しだからです。文化

財係 (好古館)。かっこですから文化財係

の主幹が人事権から財政面の全てにおい

て力を持っているのです。好古館に行っ

て年間予算を決める時にどうしているの

かと聞くと、文化財係の主幹が全部やっ

てお り、自分達は後で報告をもらうだけ

だという回答を受けました。こういう状

況なのです。せっかく好古館の活性化を

図って欲 しいと言われてもこれでは何も

できないのです。

ようやく14年度から地域展をや りだ

したのに体制は過去のままだったわけで

す。これではたまらない、とい うことで

14年度末に市長に、いろんな提案を持

ってきました。最初は好古館を市長部局

にして教育委員会の管轄からはず して欲

しい、といったものでした。これは教育

長抜きです。私個人が独断で市長の元-

相談に行きました。その時に市長から「そ

れは良い、それで行こう」という返事を

いただきました。ところが年度末に行わ

れる次年度にかけてのヒアリングの時に

教育長に呼ばれて、市長に相談 した 「文

化財課から独立して市長部局に移 り好古

館を頭にする」とい う内容について 「教

育委員会からはずすのを待って欲 しい。

何とか館長の思 うような格好にするから

市長部局に移行するとい う考えは降ろし

て欲 しい」と言われました。

そこで教育委員会の教育長から提案さ

れ、 15年度になって説得されてできた

のが 「教育委員会生涯学習課好古館」で

す。そして好古館の下に文化財係があり

ます。組織はあくまでも好古館が頭だと

いうことで鞍替えをしました。そのおか

げで嘱託ですけれど人事査定から人事考

査 ・予算など全部館長がやるようになり

ました。普通嘱託はそ うい う権限がない

のですが、それをや らせてもらっていま

す。そ して文化財係も要求を挙げ、それ

を一緒に上-上げて行きます。それがで

きてこの研究室等を文化財係も含んだ好

古館全体の部屋にしてしまお うというこ

とになりました。

作業室等にも考古資料等いろんなもの

があったのですが、それは移せないので、

それならば市長に談判 して予算をもらい

収蔵庫を造ってもらお うとい うことにし

ました。この小野小学校には新 しい講堂

があるのですが、二月末に約二千万いた

だいて、その講堂に上がる階段の下の踊

り場に、収蔵庫を作 り考古史料と博物館

史料を入れました。 15年度に市史が全

部終わり、それを行政史料としてどこ-

移管するかとい うことが非常に問題にな

りまして、私もそのメンバーに入ってい

たのですが、図書館に置いても専門家は

いないし公開もできない。専門家がいて

施設 さえできれば公開して、いっでも市

民に見ていただける状況にできるという

ことで最終的に好古館が全て引き取 りま

した。

その代わ り、収蔵庫を造って欲 しいと

いうことで、今現在新 しい小野小学校の

講堂の一階の床下が空間になってお り、

柱なんかありませんので、それを間仕切

りにして収蔵庫にしています。ですから

市民と一緒にやるような事業も行ないま

すが、それに応えられるような体制も当

然必要だと思 うのです。好古館 として、

- 2 5 -

Page 27: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

博物館 として動きやすい体制をつくる。

今までの通 り (好古館)では何もできま

せん。権限が何もない状況では身動きも

できないということで、この体制を15

年度に変えていただき非常に動きやすく

なっています。

今はもう何かあれば市長のところに相

談に行くのですが、非常に動きやすくな

りました。職員にとっては一番のメリッ

トです。この括弧書きの好古館の時は正

職の学芸員は一人であとは嘱託のもので

した。そ うすると文化財係 とは勤務体制

が違ってきます。文化財係は行政なので

土日が休みですが、好古館の方は土日出

勤です。交代すればいいのですけど、正

職がひとり、臨時が一人、嘱託が一人の

三人 しかいないので、これではやってい

けないのです。そ ういったこともあった

ので、とにかく体制を変えてしまお うと

いうことになりました。好古館ひとつに

すれば、出勤体制も今まで文化財係にい

た職員と全体でコマ回しをしてできるよ

うになるので、ようやく好古館 ・歴史系

の博物館の職員も何とか年休を取れるよ

うになりました。

私はこういう地方展をやっていますが

この体制をひっくり返さなかったら恐ら

く続かなかったと思 うのです。やはり上

司がいて人事権から財政権を握っていま

す。こちらは館長として、お伺いした上

でないと何もできないのです。これでは

やはり何もできない、とい うことで変え

たのが非常に良かったと思 うわけです。

それから博物館 とか史料館 とか非常にい

ろんなものがありますが、予算等の権限

を握れる体制は最初に作らねばならない

と思います。途中で変えようと思っても、

史料館 ・博物館がよほどの実績を上げて

市長の評価をあげた上でないとできない

と思 うので、これは非常に困難なわけで

す。そこの所が非常に難しいと感 じます。

おかげで 15年度に強引ですがこうい

った形に体制も改善しました。神戸大学

さんとの連携に関しても恐 らく前の体制

でしたら括弧付きですから勝手にこうし

たい、これだけ予算が欲 しい、だとか要

求できなかったと思 うのです。それを変

えてしまったので神戸大学との連携もで

きたということだと思います。

もう余 り時間もなくなってこの話ばか

りで申し訳ないのですけれど、 14年度

については企画展(D 「わた したちのま

ち ・阿形」をや りました。これが最初で

す。それから15年度になって 「わたし

たちのまち ・中番」をや りました。それ

から16年度になると、この二年間の地

域展の実績が非常に反応も良かったので

特別展で持っていこうということになり、

企画展から特別展に変えました。大体一

カ月半ということで 16年度から現在ま

で春か秋に、現在は秋にやっていますが、

特別展をするようになりました。それか

らもうひとつ目玉にしてお りますのは、

16年度をちょっと見ていただきたいと

思 うのですけれど、 16年度の企画展の

中で①②、これを新たに立ち上げました。

地域展がそろそろ定着 してきたので好古

館 というのは市民のためにあるのだ、新

たに市民にがんばってもらお う、という

- 26 -

Page 28: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

ことで地域展と同じような内容で立ち上

げたのが 16年度の企画展① 「市民が考

えた企画展」です。

これの中心は小野の歴史を知る会のメ

ンバーの方々です。その方々に 『橋 と池

の歴史 と写真展』、翌年の 17年度には

『拓本で見る隠れた小野の史跡』をやっ

てもらいました。それからもう一本は 「小

学生が考えた企画展」で、これも16年

度から立ち上げています。今までは地域

と好古館で地域展をやっていました。今

小学校では総合学習 とい う年間百時間

(現在は五十時間に減ったみたいですけ

れど)の授業があるのですが、その授業

の中で特徴ある学校を目指 して各学校が

いろいろやっておられます。その三年か

ら五年の間にやってこられたことについ

て、市民全体にその小学校でやってきた

こと、特徴ある小学校であるということ

を見知っていただくという企画展があっ

てもいいのではないかとい うことになり

ました。

それで最初にある小学校に行き、『水辺

の楽校展』の構想を持ち込みました。学

校のすぐ横に小川が流れているのですけ

ど、そこに県の河川課が水辺を作って鯉

とか蛍とかいろんなものを蘇 らせる事業

をやっているのです。それを小学生が生

物の先生の指導で、この川には何がいる

かと、いろんな調べをやっているのです。

それを水辺の楽校 と呼んでいます。その

実績を市民に広く公開し、冊子は好古館

が作 り、小学校 1年生から6年生の全体

の写真を撮 り、これも好古館で撮って、

それを冊子の表紙に使 うことにしました。

中身については先生方が小学生と一緒

に三年から五年の間に総合学習でやって

きた作品を出し、自分達独 自で好古館に

きて展示をして頂 く承諾を得ました。そ

こで、始めてひとつの小学校が自分達で

考えた企画展になりますという話をさせ

て頂き、学校側も賛同して頂けましたの

で、そ うい うことで始めました。その時

に、これもひとつのポイン トですけれ ど

も、県が河川事業として改修 し、蘇 らせ

た川を使って学校が学習しているので、

冊子作 りについては県の河川課から補助

をもらお うとい うことになり、相談に行

きました。

「実はお宅が管轄される河川を小学校

はこういう風に非常に喜んで使っておら

れ、これは県のPRにもなる」と河川課

の県民局に持ちかけました。河川課は補

助についてなかなか判断をすることがで

きなかったので、本庁の河川課に交渉 し

てくれて、約二十ページの冊子にかかる

費用全額分の補助金をもらいました。私

どもの好古館の展示会費用というのは年

間五百万しかありません。たったの五百

万です。五百万しかないがどうしてもこ

れだけは費用が要る、という時はいろん

なことにかこつけて、今みたいに 「水辺

の楽校を県がしているから県の補助金を

もらえないか」と相談に行きます。大体

成功しています。

また、神戸大学 とのいろんな連携をし

てやっていくにはこれだけの費用が必要

ですと、市長に直談判に行きます。市民

と一緒に事業をや ります、ある地区の市

民が参加 し、共同で事業を行なう説明を

すれば、今までの実績から承諾を得てき

ました。 しかし、何回も市長 との直談判

- 27-

Page 29: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

は財政課の方からよく思われていないの

が実状です。

最近財政ヒアリングで財政課から 「館

長、こんなものはいい」と言われるので

す。まあ押 しかけていきますが。非常に

今予算が厳 しいですからそれ ぐらいしな

いと予算とい うのはなかなか取れないの

です。小野の市長は民間出身です。非常

にシビアです。実績を上げないと予算は

つけられないと言 うのです。極端ですけ

どそれ くらい割 り切っておられます。で

すから逆に言えば、実績 さえ上げれば予

算をくれるわけで、好古館には非常にプ

ラスなのです。市民と常に一緒にやるし

バ ックに市民がついているのでこんな強

みはないと思います。

表を見ていただいたらいいのですが、

14年度から入館者全体が右肩上が りで

す。入館者数のことはあまり言いたくな

いのですけれど、しかし市長に訴えるに

はこれが非常に有効なのです。学芸員は

入館者が増えたどうのこうのとカウン ト

するのを非常に嫌います。 しかし私は館

長ですから割 り切 りました。館長の仕事

とい うのは二つ しかありません。まず人

事として職員を増やすこと、それから予

算を取ること。 これができない様な館長

は辞めたらいいのです。館長 とは言えま

せん。私はそ う思っているのです。それ

ぐらいの覚悟で当たらないとなかなか市

民に応えていただけません。

えらそ うな事ばか り言って本当に申し

訳ないのですけれ ど、やはりそれ ぐらい

の気持ちでやっていかないと岡山市のよ

うな七十万人の市と違いまして高々五万

人の市です。好古館は国の重要文化財 ・

県指定等は展示できない欠陥のある施設

であり、しかも予算が少ないのです。こ

ういった中で、入館者数は人口の一割で

したら簡単ですけども、二割 から二割五

分ぐらいまで維持 しながら毎年やってい

くにはどうしたらよいかと考えています。

やはり一番、判断する基準、とい うのは

数字です。いくら市民から良いものを寄

贈 していただいて 「これ ぐらいの重要な

ものです」と言っても 「ああそ うか、重

要性はわかる」と言 う程度なのです。や

はりそれに反応する結果が出ないとなか

なか評価はしていただけません。

学芸員と市民の方々には私の考えにつ

いての反発はいくらでもあります。これ

も止むを得ないです。それから一番上の

表につきましては、 11年度からいわゆ

る小学生 ・中学生の子供さんがどれぐら

い入館 されているかということを表 して

います。これをずっと見ていただけたら

いいかと思 うのですけど、例えば 13年

度は6233人の内いわゆるココロンカ

ー ド、これは小学校中学校無料の制度が

兵庫県にあるのですが、その無料で来て

いただいている人数が2674人。それ

と比べて一番下の表の 18・19年度を

見ていただきたいと思います。 19年度

二月末現在の数字を言いますので入れて

いただきたいのですが、 19年度の二月

末の個人が 3618人、団体が 1634人、合

計 5252人になります。

好古館は、小野小学校の校内の一角に

あります。小野小学校は 1年から6年ま

での生徒は大体 800人くらいです。そ

の生徒が 3時ごろに帰るのですが、 18

年度になってから4時ごろになると大体

- 28-

Page 30: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

一 目平均 15人から20人が毎 日遊びに

来るか勉強をLに来るようになりました。

その子供さんが非常に多くなってきまし

た。これはいろんな現象があると思 うの

ですが、一時、兵庫県で子供の殺人等い

ろんな事件が非常にあって、登下校の時

に親が全部ついて家まで送るという制度

はあったのですが、今は好古館に来たら

安心だということでそ うい う子供さんが

大体 15人から20人毎 日来られます。

なぜそれが維持されているかと言います

と、嘱託の学芸員がいてその人が、子供

さんの相手をするのが非常に上手なので

す。勉強にきた子には勉強を教え、遊び

に来た子には遊びに対応する。非常に柔

軟性のある若い女性で、そのフアンが非

常に増えたということです。

これは極端なのですが、その女性がい

ないとその日は全然来ないのです。大体

その女性の休む 日を知っているのです。

私が思いましたのは、窓口がいかに重要

かということです。学芸員もそ うですけ

れども、普通窓口業務 というのを非常に

嫌います。なんだ椀ぎりか?といった感

じで。そ ういう印象 しかないのです。彼

女を見ていましたら、私は決 してそ うで

はないと思 うのです。椀ぎりだけではな

く、やはり市民が来られた時に 「どこか

ら来られましたか?」と声を掛ける、そ

ういう声が窓口には非常に大事なのです。

それにお客さんが反応されたら話をして、

自分で分からなければ学芸員を呼ぶとい

った感 じです。そ うい う体制がやはり一

般の博物館以外の地方博物館にはなかな

かできていないと思います。私はこれを

彼女から学びました。

昼は職員全体で入館者-の窓口業務を

するのですが、男性だとお客さんが来て

もチケット料金をいただいて半券を渡す、

それだけです。絶対声を掛けないです。

私は常にサービス業だと思っていますの

で職員 ・学芸員であろうがなかろうが、

とにかく迎えたら 「どこから来られまし

たか?」など声を掛けるべきだと思って

います。そ うするとお客さんというのは

絶対反応されます。だまってへ一一ンと

いう方は絶対おられないです。やはり何

らかの反応を示されます。こういうとこ

ろが非常に大事だと思 うのです。極端に

言いますと窓口業務の影響が年間の入館

者に非常に大きい反応を示 しているとい

うことだと思います。

それの一番いい例が小学校を迎えた時

です。一番多い時に三十人から三十五人

を迎えるのですが、普通ですと学芸員が

迎えて案内する、それだけで終わってし

まうわけです。 ところが私は最近意識的

に行っているのですが、迎えた時に挨拶

するようにしています。入った時に浄土

寺とい う所にある阿弥陀三尊の写真がバ

ンッと立っているのですけど、そ うい う

ものの話をして、色々話題を投げながら

次の学芸員に渡 しています。これを意識

的にしています。やはりそ ういう何らか

のアクションをしないと小学生は正直で、

「好古館に行ってもあまりよく判らない

から面白くない。興味がわかない」と感

じるのです。これは窓口にピッチリ表れ

ます。それを感 じると、その時来られた

方は以後来られない事が多いです。

あとは 「市民とともに取 り組む好古館」

これはもうこうい うことをやってきた、

- 29 -

Page 31: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

中身はこうだ、趣旨はこうだ、と話をし

ましたのでお分かりいただけたと思 うの

ですけれ ど、③の学社融合についてです

がこれは最近文部省の博物館担当の栗原

さんとい う方が学社融合をもっと強める

ように盛んに言われています。これはま

さしくそ うだと思います。いわゆる学校

と社会教育施設をどう連携 して、どう展

示会をして、小学生 ・中学生に見ていた

だくか、やは りこれを強化 していく必要

があると思います。私のところは消防署

と連携 して小野小学校 ととりくみました。

それから、ケースの蝶々の展示 とさな

ぎから育てた蝶々を室内で飛ばせて喜ば

れた 『日本の蝶 ・播磨の蝶』もや りまし

た。主な史料が大体三万点ほどあります。

それの約八割はいわゆる農機具です。そ

の農機具プラスあと二割あるのですけど、

市民の方から絵葉書とか剥製 とか、寄贈

していただいたものがいろいろあります。

ところがせっかく寄贈 していただいても

それ単独ではなかなか展示ができないの

です。寄贈 した方々は自分の寄贈 した品

物を未だに見たことがないと言われ、そ

うい う声が最近ものすごく聞こえてくる

のです。それについてはどうしたらいい

のか、それ単独ではできないのでどうし

ようか、ということで考えました。『日本

の蝶 ・播磨の蝶』がまさしくそ うなので

すけれ ど、蝶々十ケースを市民からいた

だいているわけですが、十ケースだけの

展示会とい うのはなかなか難 しいのです。

そこでいろんな資料をあた ります と、県

立赤穂高校の校長 さんをされている方が

日本の蝶々をほぼ収集 されていて自宅に

持っておられるとい うことが分かりまし

た。同じ県にお りますのでいろいろ通路

を通って紹介 していただき、小野の好古

館に展示をしていただくということにな

りました。それプラス市民からもらった

史料も一緒に展示するとい うことです。

そ うすると十ケースを寄贈 していただい

た市民の方から非常に喜んでいただきま

した。やっと実現しましたか !と。

それに味を占めまして、できるだけ市

民以外の方にでも私は 「こういう展示を

したいのだけど、こういうのが足 りない

のでこれをたくさん持っておられる方を

探 しています」とい うことでいろんな手

筋を使って探 し、展示会をするというこ

とを始めました。これは四つ目の目玉で

す。

これに当分集中しようと思 うのですが、

生き物や文書等は使い方次第なのです。

古文書もどこに行っても概説 くらいは説

明しているのですが、小学生でも読める

ように書いている解説 とか、現代語で書

いた古文書の説明書きは、ほとんどない

状況です。だいたい、小学生の高学年 ・

中学年一年ぐらいの基準に合わせている、

と日本全国の博物館 どこでも言います。

しかし分からない、読めもしない文書

をそのままにして概説だけ書いてあって

も何 と書いているのだと思 うわけです。

見た人はどうい うことが書いてあるのか、

どうい う内容かとい うことをやはり知 り

たいと思 うのです。それが書いてないと

いうことはひとつの欠陥だと思います。

それを今徹底 しなくてほならないと思 う

のです。例えば、現代文にすれば、文書

について子供達も理解できます。これを

コレクションと言 う風に言っているので

- 30-

Page 32: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

すけれど、そういういろんな事業をこれ

から続けていきたいと思っています。本

来の仕事内容からかけ離れていると思わ

れる音楽会を、年4回開催 しています。

ジャンルは色々ですが、入館料のみで、

プロの音楽家が間近で演奏 して下さって、

お話も聞けるので市民等の皆様方に大変

喜ばれています。これも好古館を少 しで

も親 しんで頂ける一つの方法だと思って

います。

非常に話が雑多になりまして、参考に

も何にもならなかったかもしれません。

私も聞きようによっては小野好古館の館

長の自慢話ばかりに聞こえるのが非常に

気になるのですが、しかしやはり自分の

預かっている好古館を市民にいかに利用

していただけるか、利用 していただくに

はどうするか、利用方法はどうするか、

これを考えていくことだと思います。そ

れについてやるには、どういうことをや

ればいいのか、と考えることだと思いま

す。そ ういう趣旨で雑多な話をさせてい

ただきましたけど、予定の時間が来まし

たのでこれぐらいにしておきます。後で

また質問等の時間がございましたら私の

分かる範囲でお答えしたいと思います。

本 日はどうもありがとうございました。

- 31-

Page 33: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

- 32 -

Page 34: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

- 33-

Page 35: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

2.3 コメント

保存活動体験報告一官の立場、民の立場-

田村 達也(鳥取地域史研究会)

田村です。先程の大村先生のお話で感

じたことを若干お話 ししたいと思います。

今こうい う財政難で、博物館、特に地方

の博物館、あるいは地方の図書館は、危

なくなったり消えていった りしてお りま

す。 どうして生き残っていくかとい うこ

とが大きな課題です。それで、一つの試

みを大村先生はなさった。聞いていて、

大切なのは人だなあとい うことを感 じま

した。大村先生自身の行動力、責任感、

情熱 とい うものが入館者を増や している。

少 しお話になりましたが、受付の女性

の方は非常に大事です。親切で熱心に受

け答えをしてもらえるところには、人が

たくさん集まります。建物 自体がおもし

ろいです。昭和十二年の建物ですから、

これは登録文化財になります。そ うい う

建物を歴史の資料館 として使 うというの

は、大事なことです。

それから、子供が参加 したとい うのは

非常にいい。学校の教科書の歴史ではな

くて、自分たちの生活基盤 としての歴史

を伝えるということは、子供を育てて行

くということにおいて大事で、それは子

供にとっても誇 りになっていくのではな

いでしょうか。

私のお話に入 りたいと思います。 レジ

ュメと資料を用意しました。1ページから

6ページまで表がありますけれども、これ

は史料ネットの島根大学の中林さんはじ

めネットの方々がインターネットで交わ

したものです。矢野さんは前回簡単にそ

れをまとめ、私はこんな風にまとめたの

ですけれども、すごい量です。

「どこどこにも資料があった。こうい

う風な成果があった。調査はここまで。

次回はこうい うことをしたい」と、そ う

い うことが書いてある。 非常によく分か

る。 こうい うものが来れば、「行かなけれ

ばならない」とい う気になります。事務

局の小林さんは大変きつかっただろうと

思います。これがあったから、顔を合わ

せない方々も同じ仲間としての共感がも

てた。7ページから14ページまでで、そ

れから民間で私たちがやったことですけ

れども、まちづくりの報告書の中のもの

を抜粋 したものです。まちづくりにつな

げてゆく、一つの史料救済の展望のよう

なものです。松下さんも前々回にそ うい

うことをおっしゃていたみたいです。

- 34-

Page 36: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

まちづくりで、色々な人がお話 してく

ださってる中で、9ページに乗本先生の資

料を抜粋 して出しておきました。島根大

学の講師をやられていた方で 「全国で一

番私が過疎の地域をまわった」とおっし

ゃっています。「かつてはここで人口を供

給 し、日本の文化のもとになったような

ところなのに今は見る影もない」とい う

ことを嘆いておられます。それから、15

ページの最後のところ。これは私が公の

立場で関わった公文書の資料保存活動で

す。学校資料調査と市町村合併に伴 う資

料調査です。同僚の清水太郎さんの 「地

域の歴史が消えていく」を資料に入れさ

せてもらってます。ページ数は少ないで

すけれども、いい論文です。

それでは、公文書館 とい う職場につい

て話すことから始めたいと思います。県

庁の職員が行政を執行するためにつくっ

た公文書は、現用が終わります と、廃棄

あるいは永久保存になります。廃棄にな

るものにも大事な歴史資料がありますの

で公文書館で保存 します。永久保存文書

は、鳥取県では30年が経過すると原課か

ら公文書館に移 します。それ らの県の公

文書を保存 しておくのが公文書館です。

100年前の資料もあります し、最近のもあ

ります。でも、明治、大正、戦前は随分

捨ててお ります。明治、大正はたった 1000

冊程度です。一年間に捨てる文書が 1500

から2000冊ありますけれども、明治、大

正の公文書はそれくらいしか無いという

ことです。

捨てられるのを何 とか残 して歴史資料

として保存する職場で私は働いてお りま

した。誰が一番、公文書館を利用するか

とい うと、県庁の職員です。市町村も、

公文書館ができれば資料も保存できる。

職員も助かる。 また、自治体史をつくる

ときにも非常に役に立っ 。 しかし、鳥取

県には市町村の公文書館は無いです。県

の公文書以外にも、県の歴史にとって大

事な資料はあります。それで、小学校の

資料調査、高等学校の資料調査、市町村

合併に伴って史料保存支援に関わる事業

に取 り組みました。これは公の立場で関

わった。「民の立場」で関わったものは、

鳥取地域史研究会とい う仲間と鳥取県の

西部地震の史料保存活動に関わりました。

それから、NPO市民文化財ネットワーク。

これも民間のものです。この仲間と武家

屋敷保存運動とまちづくりという形で歴

史遺産を残 していく活動に関わっていま

す。

二番 目ですが、小学校の資料調査につ

いて述べます。平成 10年から3年間かけ

て小学校の資料調査を行いました。なぜ

調査をやったかと言いますと、市町村合

併が行われると小学校が廃校になる。資

料がおそらく捨てられるであろう。 その

前にどういう資料があるか調査する必要

がある。できるだけ資料を公文書館が借

りてきて、マイクロに録ってしまお うと

いう計画です。明治時代に建てられた学

校を主な対象にして、戦後に建てられた

学校は対象にしなかった。今、全部まわ

ればよかったと思います。調査が終わっ

てみると、明治の資料よりも戦後の資料

の方が少ない。どんどん捨てられている。

明治のものは捨てにくかったのでしょう。

学籍簿の古いものもあります。今、学籍

- 3 5 -

Page 37: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

簿も20年たったら保存義務はありません。

学校は、もう使わない、あるいは個人情

報だから出せないとい うんで廃棄 してし

まう場合がある。鳥取市、倉吉市、米子

市、境港市は全部廃棄している。だけど、

学籍簿は生徒の存在証明です。地域で活

動 していた、あるいは全国で活動 してお

られた人たちの、小学生のときの情報が

あります。親はどんな職業に就いていた

か、どこに家があったのか、とい うのが

分か りますけど、廃棄するとそれが分か

らなくなってしまうのです。学籍簿を廃

棄するのは犯罪行為です。歴史の法廷で

裁かれるような犯罪行為だと思います。

学籍簿を焼くについて、校長はなかなか

決断できません。やはり抵抗があった。

それで、みんなで焼き場に持って行って、

みんなで確認 しながら焼却炉に捨てたと

い う 。 「今、非常に残念です」。資料調査

の中で、そ う嘆かれた人がいました。

境港市の小学校の先生です。 境港市は

アメリカなどに、たくさん移民で行った

方がおられる。 その二世 ・三世の方が帰

って来られる。 お父さん、お祖父さんの

ことを知 りたいから、資料を見せて欲 し

いと学校に来られる。学籍簿を、そのと

きは出せたのだそ うで、見せてあげた。

どんなところに住んでいたのか、どんな

人だったのか、とい うのを知 りたい。そ

れを教えてあげると非常に喜ばれた。「と

ころが、燃やすということになって、私

は大反対 したけれども、校長会で燃やす

ことになった。今でも非常に残念です」

とおっしゃいました。鳥取市、米子市、

境港市、倉吉市は廃棄 したのですが、郡

部の方は残 してます。米子の小学校に資

料調査に行ったとき、「もう廃棄 したから

ない」といわれましたが、しばらくする

と、電話がかかってきて、「資料がまだ講

堂の下の地下室にありますけど、調査に

来られますか」と言われたので、行きま

した。すると、学籍簿が残っていたので

す。めくってみると、二 ・二六事件で北

一輝 とともに死刑になった西田税のお父

さんの職業、読んでいる新聞、学校に通

っているときの資料、そ うい うものが記

してありました。それで、「これらを撮影

したら返 しますから」と言いましたら、

小学校の方は 「いや、返 してもらっても

困る」という。「ああ、そうですか。公文

書館にいただけますか」と言 うと、「いい

です。持って帰ってください」と言われ

ました。「寄贈手続きを」 と言 うと、「い

や、寄贈手続きも困る」と言われました。

何でかと言 うと、「これは廃棄したことに

なっています」とい うことでした。それ

で、公文書館に入っています。いずれは

日の目を見る大事な資料になると思いま

す。

作曲家の田村虎蔵は、ご存 じと思いま

す。この人の学籍簿もあるのです。これ

は、郡部だったから燃やされずにすんだ。

でも、いっなくなるか分からない。公文

書館にもらいました。色々な基礎資料が、

学校にはあります。小学校の資料調査に

入る前ですけれ ども、県の校長会と教育

委員会の許可承認を得て、それから、市

町村の教育委員会に、「資料調査をや りた

い」と連絡する。 各小学校に 「いついっ

に行きますから」と市町村の教育委員会

の許可が得 られた後に連絡 します。これ

が、官の手続きです。予算措置をして、

- 36-

Page 38: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

手続きをしてから行動する。調査に町村

の教育長が同伴 していただける場合があ

る。教育長と一緒だと、非常に調査がや

りやすい。「校長室のあそこのロッカーに

あったのを出してあげなさい」と言 うと、

校長はすぐに出してくれる。 私一人で行

くと、抵抗される校長もおられます。特

に職員の履歴書とかいうのは 「これは今

まで学校から出たことがない資料だ」と

言って出し渋る。 さっと出してくれる校

長も、いますけれども。

教育史をやっておられる方、篠村昭二

先生です。一緒に来てくださる予算措置

をして、初めのころはついて行ってもら

いました。校長室に入ってみると、校長

が 「よう来られた」とか軽く挨拶される。

篠村先生がしばらくして、後からのそっ

と入っていくと、校長が緊張する。教育

のことをよく知ってる人が来た、と。 こ

れも、調査が円滑にゆきました。篠村先

生が、資料を出してもらう前に校長と話

をされる。「かつてここはこういう教育が

行われた。そして、こうい う人が出た」

と、明治の頃、大正 ・昭和の頃を30分ぐ

らい話をされます。そのとき、校長さん

が、メモ帳をとっておられる。つまり、

校長は自分の勤務校が、どうい う学校で

あったかが分からない。だから、「ああ、

そうですか。そ うですか」と、一生懸命

メモをとられる。かつて学校は地域の中

心にありました。情報を生徒に伝えるセ

ンターでした。「学校のセンターとしての

役割は変わったんだなあ」 ということを

目の当たりにしました。資料は殆どかり

ました。段ボールにして、多いところは

15箱ぐらいありました。自動車があった

から、出来た事業だと思います。 市町

村合併が行われた後、随分学校がなくな

りました。だから、ぎりぎりの調査だっ

たと思います。資料がどうなっているの

か心配です。置くところが無いし、使わ

ないし、汚いし、とい うことで捨てられ

るのが学校資料の運命ではないかと思い

ます。学校資料を-箇所に保管する施設

が必要だと思います。

気付いたことがあります。それは、戦

争中の教育資料は殆 ど無いことです。高

等学校の調査をしたときも、無かったで

す。御真影 とか教育勅語も無いです。校

長が白い手袋をして掲げた御真影は、み

んな返却 して、学校にはありません。教

育勅語も学校には一枚も無いです。教育

が、時の政治の動きに左右 されるという

ことが、資料の残 り具合でも分かるので

す。高等学校は流石に学籍簿は残 してあ

りますから、その学籍簿で戦時中の教育

が少 し分かります。私が教員になったこ

ろ、年配の先生方が 「わしらは学徒動員

でなあ、勉強してないから、教壇に立っ

のが不安だった」と言われてました。高

等学校で資料調査 して、昭和 19、20年の

学籍簿をみると学校に出たのは本当にわ

ずかでした。後は全部学徒勤労動員。学

籍簿は大事な資料です。その学籍簿には

進学先が書いてあります。予科練に行っ

た、何に行った、というのが全部書いて

あります。

三番 目ですけど、市町村合併に伴 う役

場の資料調査についてです。これも官の

立場でやったものです。公文書というの

は、誰のものなのかというと、これは、

- 37-

Page 39: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

県民、市町村民のものです。文書管理規

定とい うものがあります。これは県にも

あります し、市町村の役場にもあります。

県の職員はきちんと守ってお ります。市

町村の方は、きちっとしているところも

ありますけれど、かなりルーズです。例

えば、永久文書あるいは無期限保存文書

は絶対に保存 しておかなければいけない

のですけれ ども、廃棄 して しまって無い

場合がかなりある。それから、文書とい

うのは、課ごとに置いて管理 している。

今、使っているものはすぐ出せるけれ ど

も、古いものは物置に、有期限、無期限

いっしょに詰めこまれている。 -カ所だ

けでなく、あちらこちらに散在 している

場合もある。これらが一杯になったらど

うするかというと、有期限のものは廃棄

するので、 トラックに載せて廃棄 してし

まいます。

廃棄を証明する廃棄 リス トを作 らない

といけないのです。 しかし、廃棄 リス ト

が全然無い。最近は作ってるかもしれな

いですけど、昔はありませんでした。だ

から、何を廃棄 したか分からない。 どん

な文書が無くなったかわからない。恐 ら

く、全国の傾向ではないかと思います。

情報公開をしなければならなくなったの

で、管理もきちんとし、廃棄 リス トも作

るようになりました。そのルーズさを清

水太郎さんが実証してます。

この表は昭和 39年に、鳥取県史編纂事

業があり近代編をつくるとい うので、市

町村役場に、県史の執筆者たちが資料調

査に入っていった。県史に使えそ うな資

料をリス トにとっていきま した。そのリ

ス トは、公文書館にあります。昭和 39年

にはあった資料が、今は無いです。ここ

に 3市町村のリス トがでてお りますけれ

ども、全部廃棄 しています。いかに公文

書がいい加減に扱われているか。廃棄 リ

ス トも無いので、誰がいっ廃棄 したかも

分からない。鳥取市は、清水太郎さんに

ついて行き、書庫に入って一緒に資料を

見せてもらったのですが、昭和 2年の資

料が一番古いです。明治、大正期の公文

書はありません。市議会資料はあります

けど、一般行政のものがありません。一

般行政の資料が無いと、鳥取市史のきち

っとしたものは書けないです。だから市

史の事業はずっと遅れています。昭和 30

年頃に大合併があったときに、町村が自

分のところの公文書を持ってこようとし

ましたが、「持ってくるな」とのことでし

た。色々なところがそ うであったみたい

です。ずっと置いてあるところはそのま

ま残っています。

日野郡の日南町の例です。 日南町の奥

に多里村があります。かつて合併で日南

町になるときに、多里村の人たちが村の

資料を全部持ってきた。そしたら 「そこ

-放っておけ」 と言われた。多里村の人

たちは 「放っておけ」と言われたことに、

「何だ」と持って帰った。土倉にずっと

入れてあった.土倉で、湿気温度が一定

ですから、入れた設備もよかった。鳥取

県史は、近代編 ・史料編を書くときにど

この資料を主に使っているかとい うと、

この多里村の資料です。資料というのは、

そのときには価値が分からないけど、捨

てたら後になって後悔する。 今の資料も

50年、100年たったら貴重ですからとっ

ておかないといけません。

- 38 -

Page 40: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

鳥取県立公文書館は年に一回、公文書

保存のことについて市町村役場、学校の

公文書担当の人に来てもらって、研修を

しています。地下書庫の資料を見学 した

時、大山町の方が 「私のところにも、こ

うい う古い簿冊がたくさんあ ります」と

い う。次の目に大山町役場に行きました。

びっくりしました。大東亜戦争関係のも

のとか、国民精神総動員法関係のものと

かがあ りま した。全国にこんな資料を残

しているところがあるだろ うか。殆 ど無

いだろうと思います。昭和 20年 8月 15

日に 「燃やせ」の指示があった といいま

す。県庁の役人も、燃やせ と言われて燃

や した。けれ ど、大山町はそれをや らな

かった。土倉の中に入れたままになって

いた。最近、合併に伴って壊 さなければ

いけなくなって、出てきたわけです。防

衛庁の図書館か ら、柴田さん とい う方が

来てくださいました。柴 田さんに 「全国

でこんなに資料を残 してあるのは、どこ

があ りますか」 と聞いたら、ここと長野

の村 と、それ くらい しかないと言われま

した。

ついでですが、昭和 20年 8月 15日に

「資料を燃やせ」 と言われたのは市町村

だけじゃなくて、県も同様です。 どんど

ん燃や したみたいです。公文書を大八車

に乗せて、鳥取を流れている千代川 とい

う大きな川の河原にもって行って、燃や

した といいます。ある人が大八車を引き

ながら、「貴重な資料のようだけど、燃や

していいのか」 と思い、自分の家に持っ

て帰った。五〇年後に公文書館ができて、

持ってこられました。「私の名前は出さな

いでくれ」 とのことです。戦中の資料が

100点そこらあ ります。資料は、誰かの意

思が働かないとなかなか残 りません。誰

かが残そ うとしたから残ったのです。

鳥取県立公文書館で取 り組んだ市町村

合併に伴 う役場資料保存支援事業は鳥取

県ではスムーズにいきました。よその県

も残 したいと思って、苦労 しておられる。

鳥取県はなぜスムーズにいったか。県議

会で、伊藤議員が知事に質問した。「市町

村合併が行われ ると資料が無 くなって し

まう可能性があるが、これは大事だ」と。

それに対 して、知事が答えました。「私も

同感だ。残 したい」 と。 知事が県議会で

こう言ったのです。 トップダウンです。

下か ら上にいくのは大変ですけど、上か

ら下にいくのは楽です。予算措置 もでき

て、清水太郎 さんとい う人が担当員とし

て配置 されて、彼がずっとや りました。

それか ら、四番 目です。鳥取県西部地

震被災史料救済事業です。10月 6日に、

この地震があって、史料が どうなってい

るのか公文書館 も心配 していました。で

も、被災地の方々の生活の方が大事です。

「文書がどうなっていますか」 と問えま

せん。鳥取地域史研究会の仲間で 「とに

かく新聞に書いてもらお う」とい うこと

で、書いてもらったのが新聞記事 「公文

書を捨てないで」 とい うものです。地域

史研究会の中に記者がいたので、書いて

もらいま した。公文書館が関わったのは

県史の史料です。県史をつ くるときに調

査 した家の史料がどうなっているのか、

電話をかけた り、地元の研究者 と連絡を

した りしま した。でも、具体的にどうし

たらいいか分からなかった。11月 4日に、

- 39-

Page 41: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

史料ネ ッ トのことが分かって、史料ネ ッ

トの小林 さんや竹永 さんと会い、一緒に

まわ りました。「こうい う風にやればいい

のか」 と思いました。

具体的な方法論は史料ネ ッ トが持って

お られた。 この人たちと一緒にやれば、

資料救出活動に参加できるとい うことで、

後は、小林 さんから連絡が入ってくるた

びに行きました。 これは準備や後始末を

事務局長がやる。大変だったと思います。

日野の地震のときは、小林 さんが要にな

られま した。 もちろん多くの先生も来 ら

れま した。 こうい うネ ッ トワークがある

のは非常にあ りがたかったです。地震当

初はどうしていいのか、戸惑いましたが、

地元に行 くと、全然違います。 もっと早

く行けばよかったと思います。 日野地震

が 10月 6日です。3日後には骨董屋が入

っている。めぼしい価値のあるものは手

に入れて、さっと去っていきま した。史

料ネ ッ トと行政 とどうタイアップするか。

出来れば、非常にいい。行政 といっても、

担当は教育委員会か公文書館みたいなと

ころですけれ ども。民間の、地域の研究

者。 この人たちの存在は非常にあ りがた

い。地域の研究者が熱心だ と、町村 も動

く。 史料を救済 しても、置 くところがい

ります。世話 してくれる人が、やは り地

域の研究者です。しかし、私は 2000年に

地震があ り、2001年の初めごろまで関わ

りま した。その後は武家屋敷の方に足を

移 していきました。

そ して、五番 目ですけれ ども、 日野地

震の資料救済活動は色々なことを私に考

えさせてくれました。一軒一軒まわ りま

す。茅葺の家が何軒も建っているところ

があ りました。家の下に断層が入ってい

て、使えなくなっていました。それは江

戸時代か明治の初めの建物です。大事な

歴史的建物です。文書だけが資料ではな

く、建物 もまた歴史資料なのだとい う印

象を強 く抱 きま した。家の中に入ると、

「雰囲気が違 う」とい う感 じです。生き

た資料です。民俗資料の救済はしたけれ

ども、建物は救済できません。そ うい う

ことがバ ックにあ りま したから、武家屋

敷を残 したい、と思いました。

それが岡崎邸です。鳥取は池田家 32万石

の城下町として形成 されました。1943年

の鳥取大震災で町は壊滅 しました。 これ

は阪神淡路の地震級です。そのあと 10年

後再び鳥取大火で焼け野原にな りま した。

鳥取は空襲を受けませんで したが、この

地震 と大火で、古い建物は殆 ど無 くな り

ました。ですから、県外の人が来 られて、

「何か無いですか」 と言われても 「鳥取

は来 られても何 もあ りません。砂丘ぐら

いです」 と答える。でもそれは大変な間

違いです。歴史をきちんと知 らないから、

あるいは見ていないからです。山の手に

は、鳥取大火にも地震にも免れた建物が

残ってお ります。国の重文も残っていま

す。仁風闇 といって、大正天皇が皇太子

のときにできた洋館風の建物です。それ

から、東照宮です。 日光東照宮から勧請

し、今は樗累神社 といいます。それから

観音院。国の名勝です。いい庭です。他

に池田家に関係のある菩提寺もたくさん

残ってお ります。ですから、鳥取に来 ら

れたら、そこを案内すればいい。当時の

建物 もあるし、庭 もあります し、有名な

- 40-

Page 42: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

人のお墓もたくさんあります。何も無い

ことはありません。知 らないだけです。

その一角に、岡崎邸もあるわけです。

この岡崎邸という建物は、天保 6年に

できた江戸時代の建物です。因幡の大工

の技術がそこに使われている。それがど

んなものであったかを伝える建物です。

昭和 18年の地震にもびくともしなかった。

そ ういう建物の、技術が伝わっている。

それから、総土台の建物です。柱は大体

石の上に乗せるのですけど、岡崎邸はお

城のように総土台をめぐらしてその上に

柱を立てているから、地震のときはおそ

らくユニットみたいな感 じで建物全部が

動いたのではないかと思います。また、

山の手ですから湿気があるけれども、湿

気対策も抜群です。地盤改良してありま

す。これを移築 したら意味がなくなる。

その場で残 してほしい。最初は、新聞も

テレビもよく扱ってくれました。6年経っ

た、今は、細々とやってお ります。新聞

テレビも扱ってくれなくなりました。鳥

取市の初代市長は、岡崎平内です。鳥取

県は明治 14年、島根県に合併されて、5

年間無くなり、それを復活させたのが岡

崎平内です。建物を重要文化財にしても

史跡にしてもいい。鳥取市が何もやって

くれないのは非常に残念です。

初めは岡崎邸だけしか、鳥取市には武

家屋敷は無く、唯一の武家屋敷だと思っ

ていたのですが、もう一つありました。

不勉強で知らなかっただけです。二つを

比較しました。もう一つというのは、3500

石の武家屋敷です。鳥取の家老級です。

岡崎は 300石です。最終的には 500石に

なるけど、建物ができたときは 300石。

300石と3500石の建物とは、どんなに違

うだろうと思っていました。 ところが、

建物は岡崎の方が上で、3500石の方が下

なんです。材料が全然違います。3500石

は4寸の柱を使っているんですけれども、

岡崎は5寸 2分。しかも、全然節が無い。

それだけではなく、岡崎は畳の下に栗板

が全部使ってある。 土台も大引きも、束

も全部、栗。湿気に強いから全部栗を使

ってある。 それから、床板の栗板に節が

無いです。材木屋が 「畳の下の見えない

ところに、節のない栗の板を使 うなんて

非常識だ」とい う。なかむくというんで

すけど、それを使ってあります。「こんな

なかむくを使 う武家屋敷は、一体どんな

家だ」と言 う。 また、田中文男という宮

大工が来てくださって、「異常な武家屋敷

だなあ、この異常なのは、岡崎という、

ここに住んだ人に理由があると思 うから、

岡崎のことを調べろ」と言って帰られた。

文化~天保期、おそらく全国どこも一

緒だろうけど、鳥取藩は大借金を抱えて

ました。鳥取藩は82万両の借金で首が回

らなくなっていた。その借金返済を命 じ

られたのが岡崎平内です。彼は借金を返

しました。その功労によって岡崎家とい

う異常に立派な屋敷を建てさせてもらっ

たと思っていました。 しかし考えてみる

と、身分制の社会では、300石の建物が

3500石の建物を越すということはない。

身分制の原則を崩 してしまうことになる。

だから、別の理由が無いといけません。

丁度その時期の徳川本家、家斉の娘泰姫

とい う人が池田家に輿入れ してくる。正

妻ですから江戸に住みます。泰姫のため

に御殿屋敷を造 らなければならない。徳

- 41-

Page 43: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

川本家が敷地をくれました。帝国劇場の

あた りです。でも、建物は鳥取藩で建て

なければならない。岡崎平内がそれを命

じられます。岡崎平内は立派な建物に見

えて、安くできるものを考えました。岡

崎が使ったのは、槍の四方柾ではなく杉

の丸太です。数寄屋風の造 りで面皮仕立

てを用いました。上品な建物になります。

泰姫御殿の試作品として彼は一旦つくっ

てみたのが岡崎邸です。めどがついて、

江戸に出て行っておそらく泰姫御殿を造

ったに違いありません。鳥取の材を使っ

て、岡崎の屋敷 と同じ様式で作ったと思

います。岡崎邸を泰姫御殿の試作品と考

えると、色々なことの説明ができます。

今、岡崎邸を単体で残すよりも周辺にあ

る他の建造物 とともに地域作 り、町づく

りの中で残す取 り組みをしています。町

づくりは若桜町 ・日野町の町づくりに広

がっていきました。

まとめに入 りますけれ ども、官と民の

いずれの立場も資料を残 したいのです。

紙史料であれ、民俗資料であれ、建物で

あれ。景観であれ残 したいのです。 しか

し、全部は出来ません。特定のものにな

ります。「ああ、こうであったのか」とい

うものを残 したい。そして、残 した資料

を何 らかの形で還元 したい。今、日野町

の場合は、救済した史料を使って、島大

の小林先生や鳥大の岸本先生が、現地で

古文書を読む会をもってお られます。 日

露戦争当時の戦地から来た手紙です。 ど

んどん燃や しておられるところを救出し

た資料です。その家に日露戦争の戦地か

ら来た手紙です。フォークリフ トで壊 し

ているところに行きあわせ、一時その作

業をとめて民俗資料を救出した話もあり

ます。これ らは官ではまずありません。

民でやる資料救済は現地に入っていきま

すから、 ドラマのようなことが起こる。

歴史をやる人は、考古学、西洋史、東洋

史に関わ りなく、資料究済に関わられた

方がいい。この史料ネットの活動は、み

んなでやるわけです。仲間意識も出来る

し、何 と言っても臨場感があります。そ

の辺は、公文書館の仕事などとは違いま

す。問題点は救済 した資料保存をどうや

るのかとい うことです。今、日野地震の

場合は、学校が廃校になったので、そこ

に文書を入れ、民俗資料は公民館に入れ

てます。官 と民がタイアップできれば非

常にいいなと思います。

資料の所有者は、もとの持ち主です。

それから、活動主体は、史料ネットが援

助をするけれども、やはり最終的には市

町村です。市町村が活動主体なら、県は

救済活動協力要請の文書を出すのは史料

ネットの竹中代表ではなくて、市町村が

出すべきだとい う。非常に動きがぎこち

なくなります。そのあたりがスムーズに

できれば、官と民でいい仕事が出来ます。

まちづくりの場合も、そ うです。お金は

官がもち、民は方法論を持っています。

これからの流れは民と官の連携です。そ

れをどうスムーズにやっていくかとい う

体制を構築することが問題だろうと思い

ます。以上で終わろうと思います。

- 42-

Page 44: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

こ二二二∃

2く)挽 き,2 於 博狙 横 領紀観恕鮮単科併

保存活動体験報告一宮の立構、民の立場-

ll廿f達也

1史料保存活動

官の fJ',壌・.・公文衝館の職員 として

小学校資料開棄 1998 (畢成 IO).4-2t1300.3

高等学校資料諏奄 2002.4-2006.:・i役場常料関釜 2004.4-2007,3

民の立象-・鳥般地域史研究会,NPO-1眠 文化財ネ ットワ-クの会員として

鳥取県紺部触発被災史料救済活動 2000. 10-2001、8

歴史遺産 f.武家屋敷)保存運動 2001.6-

町づ くり運動 (日野町L若桜町) 2004.112-

2学校資料調査

小学校調査 県公文番に教育内幕にかかわるものはない 学校が所感する資料が塵整

市町村合併にともな う学校消滅の恐れ

公文賓轄-鼎教育委粗金-ヰ県校長会- 市町村教 歯車民会-各学校

県内 170小学校調査 (分校含む)

過疎過密減少はそのまま学校児蛮数に現れている S30年代生徒数-定

開校以来の資料を保存 している学校は少ない かつての地域の軟膏が不明

学校の役割の変化

高校調査 学科改変 統廃合

15校 (内4校廃校')

ともに資料を徴用 公文番館でマイクロ撮影

立番はあっても、教具、生徒作晶、明治以来の校舎なし

戦時期の資料ほとんど無 し 学籍簿、記念誌が貴毛な資料

マ ッカーーサ-・教育 司令ほとん ど無 し,-戦後教育の班凝点

3役場資料訳重

公文書-・県民 ・市町村民の所有物 行政活絹資料 歴史資料

平成の大合併による役場資料消滅の恐れ 39市町村-→19市町村

県議会 合併にともなって公文事廃棄の危険があるので保存の手当をすべきではないか

と質問

・-L・同感、保存するよう努力 したい、と知事答弁

市町村公文番保存支援事業の立ち とげ揮 成 15- 17)担当職艶 1人配澄

公文杏館-棉 町村役場文杏担当裸 支援額菜の主旨とアンケ一、-ト 実地調査

文番廃棄停止依頼 文書管理状況 ・車庫状況 文番管理東棟有無 有期文番廃

寮状況 無期保存文番保脊状況 廉廉 リス ト有無

1964(昭和 39)県史縮簾事案 約 40市町村役場 ・支庁 ・出華所翻意

利用できる主要文番の リス トア ップ 現在醸 し

なぜ公文番は壌 IHこくいか

4鳥取県西帝地震被災史料救済活動

獲史資料ネッ トワ一・-クの活動に参加するまでの経過

10月 6日(愈)地膿凝集 館内施殴駿磯点検 ・異常な し

8EH ED地域研究肴 (江府町臥 ij氏) と電路連絡 日野郡 ・-・灘 の被 災状況 .根面

近藤家穀粒の状況等聞 き取 り

.【.

- 43-

Page 45: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

i=

9日(月〉引き続 き惰報収艶

fO冒 (東上軒櫓那 ・E沼野郡cTI,機械吏研究者と連絡を取 り被災史料があれば教理 ・

保管に協力する静を申し入れる

審寮の大きい地域・lJ)小学校に魔鮪連絡、学校関係資料の情報収集

歴史資料ネッ トワークより資料散逸防止について忠告及び協力の申 し

出がある

10月日 日 (尭)引き続き西部地区地域史研究者 (兼子 坂田氏) と連絡を取 り情報収

- 13日 (<金)塞

12日 く木)県立博物館坂本氏と協議 (連携、協力 して資料保雄、対策)

10月 王6日用 )県史関係資料所蔵者と連絡 被災状況聞き取 り

- ほ 臼 (求;,必饗に応 じて協力す る旨を申し入れる

l十日 軌 )被災地現地調査 (米子 Ei野町役場 日野町近藤家 江府町役場)

】8日 く永さ歴史資料ネットワークの現地訪問のため (32日)被災地地域史研究者

等と連絡調整を行 う

10月 王9日 (木)被災地現地調査 県史関係資料所鼓者訪問 役壕統問 (米子 境港

- ヱ0 日 (廉さ西伯 会見 落日 田野)日野町菅轟小学校 日野町滝山公園の廉廉

物置視察 (膨大かつ雑然、文番等は見つけられない)

21日 tL土)演 目町役場資料受け取 り 廃寮予定文番の中から歴史資料収集

22日 (冒)歴史資料ネッ トワ--・クメンパー、地元研究者現地状況調蜜

11月 ヰ Ej 上目 歴史資料ネ ッ トrj-クの被災地巡回調査に参加

歴史繁料亭・/トワークの活動参加後の経過 配付資料参照

参加感想 簡務園が輩 メンバー間の連絡が密-経過と予定を熟知できる

活動に ドラマ 歴史は地に着いた具体的なもの 全てが歴史資料 (文番 建

物 鼠観 町並 家並 地元住人の詰)歴史をやる仲間の共感

5歴史遺産 偲 家屋敷)保存運動 奥野鳥取は地相家 32)3-着の城下町 1943(昭和 18)鳥取寮炭と 1952(昭和 27)で町は壊

滅的打撃 藩政時代の町人商家、武家屋敷は少ない 都市開発 ・立替等でさらに歴史的

建造物は少なくなった マンシ昌ンの濫恵で魚観の変化-武家屋敷岡崎邸保存葦動

6町づ くり

NPO法 人健鯨 中山間地の′若桜町 ・日野町で実施

7共通点 いずれも資料保存が日的 資料消滅の危機

何かの形で還元

将来、何 らかの形で活用を期待

8相違点 点的な調査 ・活動 人員限定

蘭的な翻壷 ・活動 仲間

活・動資金の工面

9間短点 驚料保存箇所

民と宵、相互の灘解 ・連携 ・魅力 民は方法酪 ・人脈 を持つ

蛍鰯 7-14Pr敢観薮もづくり餅膝金策磯部常尊慮 lSP鳥取県敷金資料 ieSP滴凍太郎 r鳥取鼎における

市町村公文藩哲理の現牧と漁撫一軒町村公文脊保存二束凍事薬から1F横死妃準 灘阿尊慮鳥取輿党公文番飯

浦加太鮎 機 械の捷史が消えてい(JF'9第救7号相貌温今冬鴇 734

′1

● ▲. ~

- 44-

Page 46: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

2.4 討論

今津 :どうもありがとうございました。

このまま討論に移 りたいと思います。終

わりが 5時で、あまり時間がとれなくて

申し訳ないのですけれども、皆さんのほ

うからなかなか勇気の出る話をしていた

だけたので、そ ういうのを受けて少 し交

流してみたいと思います。いかがでしょ

う。 ご意見など、ございましたらよろし

くお願いします。

田村 :私から、少し大村先生にいいです

か。大村先生は市庁舎に、市長に会いに

行った、と思うのですけれども、例えば、

市庁舎につけたほうが、県だったら知事

部局につけたほうが資料が残 しやすいの

ではないかと思います。おそらくここも、

公文書を残す体制を作らないといけない

だろうと思 うのですけれども、教育委員

会の方に行くと、教育委員会の資料は入

るけれども、知事部局の一般行政の資料

は手に入 りにくい。先生は、成功 したら

そういう風になるのかなと思いましてね。

公文書館みたいなものはあるのですか。

大村 :好古館では別に公文書は扱ってお

りません。ただ市史関連の史料だけは好

古館で預かっているのですけれども、そ

れ以外のものはもう本庁の、いわゆる知

事部局の方でやっています。

田村 :それでは、市の倉庫に入っている

のですね。なら、廃棄されているかもし

れないですね。

大村 :はい、庁舎の地下の倉庫です。そ

れを何とかしないといけないということ

で、神戸大の奥村先生などの色々なア ド

バイスを受けて、山崎断層のことなども

ありますので、どうしていくかという研

究会をしようということになりました。

今準備をしているところです。

今津 :何でも結構ですので、折角の機会

ですから、いかがでしょうか。埋蔵文化

財のことでも結構です し、何でも構いま

せんので。

参加者 :私がお聞きしたいと思 うのは、

資料館 ・博物館 ということなのですが、

その範囲がどれほどまで広がっていくの

が理想なのかということについてお聞き

したいのですけれども、今先生方のお話

をお聞きしていると、今のところ、その

地域の住民の方であったりとか、学芸員

の方、あとは公共の館で働かれている方、

そういった範囲だと思 うのですけれども、

他にもそ ういった活動を行っている企業

とか色んなものが社会にはあると思 うの

- 45-

Page 47: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

ですが、どこまでを含めば地域博物館 と

いうものが発展 していくと思われている

のかとい うことについてお伺いしたいの

でよろしくお願いします。

大村 :私は今のところ、加古川を中心に

上下に市町があるのですけれ ども、いわ

ゆる加古川市ですね。約 30万人です。そ

れから加古川の西側に加西市とい うのが

ありまして、これが 5万です。で、三木

市が 7万です。で、そういうエリアの、

いわゆる、小野を中心に加古川流域の、

加古川の上流までの大体50キロ範囲です

ね。そ うい うエ リアが最終的には好古館

の、一つの地域博物館のエ リアという風

に考えています。ただし、今は小野を活

性化 しないとまわりに影響 していきませ

んとい う風に考えています。現在は小野

を中心に活性化を図ろうとい うところに

力を入れています。ですからまあ、大体

小野が 18キロ範囲です。で、それを 50

キロ範囲ぐらいにエ リアを広げたいな、

というところです。

参加者 :やはり、その博物館が取り扱 う

資料に関わる地域を中心にしていくとい

うのが基本になるんですか。

大村 :そ うですね。一つの流域の歴史の

中の、やはり小野のメインの中に加古川

流域の周辺も必要だとい う風に考えてい

ます。

田村 :私は、博物館ではないですが、ど

こまでそ うい うのを広げていくかとい う

のは、まあ公文書館だから公文書が中心

だけど、何も県の歴史は公文書の歴史だ

けではないわけです。 どんどんなくなっ

ているので、企業の資料も入れたいし、

それから農協だとか林業組合だとか、そ

ういうのもまだあるはずです。それから、

組合です。私は教員だったから、分かる

のですが、鳥取県の日教組の資料を、教

組 自身が置くところがないから捨ててい

ます。だから、これは鳥取の教育にとっ

ては重要にしたいし、企業もそ うです。

そ ういうのをしませんでした。

これはやは り、官の職員の中で意思統

一 して、何もまあ公文書だけでないとい

うのをどうやって説得するか。公文書館

だから公文書だけなんていうことはない

です。 どんどんなくなっています。農協

のものも林業のものも。漁協なんてもう

ないです。県だから面積は決まっていま

すが、できるだけ範囲を広げたいです。

大村 :最後に、言お う言お うと思ってい

て、忘れていたのですが、実は神戸大学

と連携 して、青野ヶ原は大正時代の初め

の約 4年間、捕虜収容所があったのです

が、それを基点にした図録なんですけど、

実は今年の9月に、神戸大学と私の所と、

それからオース トリアの三者共催で、ウ

ィーンで展示会をや ります。小野市から

は、小野周辺 と捕虜収容所 との間で、住

民が接触された史料を持っているのです

けれども、その史料を、小野市がウィー

ンに送 ります。神戸大学は、捕虜収容所

- 46-

Page 48: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

で演奏会をやっているのですけれ ども、

それを復元 してウィーンで演奏 します。

ウィーンでは、ウィーンの国家文書館で

やるのですが、そこでウィーンの方で展

示と、それからその施設を貸 していただ

きます。ということで、9月 2日から始ま

りまして、3ケ月間ウィーンでや ります。

小野から飛び出してヨーロッパ-行くと

い う。極端ですけどね。ようやく予算が

通 りましたので。そ うい う夢も小野市民

に、加西市、加古川市の方々に見ていた

だけたらなと思います。

今津 :ありがとうございました。他に何

かございませんでしょうか。岡山ではこ

んな状況なのだけれども、何かこつはな

いでしょうかとか教えていただけるとあ

りがたいのですけれども。例えば大村さ

んは地域との連携をしていく上で、区長

さんと結びつきがあるとおっしゃって、

田村さんも学校長さんです とかと。 何か

こういうネットワークをつくっていく上

での、こつみたいなものはありますか。

大村 :いや、それは、私自身は、こつは

何もありません。ただ、自分から呼びつ

けたり電話で話をするのではなくて、直

に相手に飛び込んで、こちらから話を持

って行くとい うのを私は徹底 しています。

絶対に電話では話はしません。やはり直

接会って、自分の思いをぶつけるという

ことが大切かなとは思っていますけれど

も。

田村 :やはり、同じ体験をする場をつく

って、同じ課題に取 り組んでみるとい う

ことが大事だと思います。まちづくりも

環境団体の人に来てもらって見てもらっ

て話を聞いてもらって一緒にまわっても

らうのが大事だなと思います。だけど、

会費とりますよね。活動資金 として。そ

れに対する見返 りが無いと、活動がスム

ーズにいきません。でも、こういう成果

物がでたときには、必ず送るようにして

います。そ うい う一緒の場の体験と、そ

れからお金を出したときの見返 りを出す

ということが大事だなあと思います。地

域史研究会も結局毎月勉強会をやって、

それは何があったかとい うと、いっも送

っているから、だから出したりしてあげ

ることが出来るから会も続いているんだ

と思います。

今津 :その他、例えば田村さんが、日野

でのお仕事をなさったときに、当時の片

山知事からの支援があったわけですよね。

大村さんも小野市長に談判 されて、市長

との結びつきもいただいて、いずれもト

ップからの指示をいただいたわけですけ

れども、これはなかなかそ う簡単にいか

ないところもありまして、それぞれ鳥取

の文化力や小野の文化力があるからだと

思 うのですけれども、その辺岡山なんか

だと、知事も市町村長も、なかなか落差

を感 じるところがありまして、大きな課

題なのかなあというのは思いました。

大村 :私はたまたま嘱託だから何でも大

- 47 -

Page 49: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

胆にできるとい うところがあります。や

はり普通の職員さんです と、上まで行 く

には関門がたくさんありまして、これは

もういや とい うほど経験 しましたが、そ

れが小野に行くと嘱託でいつでも首切っ

てもらっていいですよとい う覚悟でどん

と行けますので、それが有利なんでしょ

うね。

今津 :どうでしょう。他に、この際です

から何かございませんか。はいどうぞ。

参加者 :田村先生に聞きたいのですが、

まあ公文書館でも色々資料を集めてます

よね。今、個人情報とい うのを色々考え

ました。私、智頭町に行きました。石谷

家に行ったら、あそこは何か専門に集め

てますよね。で、資料を知 りたくて石谷

家に行ったら村尾さんに聞いてくれと言

われました。それで、石谷家の山林の面

積を知 りたかったんです。そしたら個人

情報だから教えられないと言われました。

何の目的かと言われたら、鳥取県の山持

ちで一番多いのは誰か、と思いましてね。

西は坂口家で、東では石谷家と言われて

ますけど。 どっちが多いのかなと思いま

して。公文書館でも、個人情報があれば

学籍簿でも見せませんよね。何か基準が

あるのですか?

田村 :個人情報とい うのは、難 しいので

すけど、例えば政治家などの場合、大体

のものは公人だから出していいのではな

いかと思います。だけど、そ うでない人

のものは、やはり出せないといわれてま

して、出さないですね。絶対出せないの

は警察の、犯罪履歴書ですからそ うい う

ものは出せないです。なんでもないもの

は、私は出してもいいと思 うんですけど

ね。

今津 :今の個人情報の話は、昨年ここで

取 り扱ったカルテの話なんかもそ うです

ね。岡山大学の医学部がカルテを捨てよ

うとい う風にして、それを何とか保存 し

ましょうとい う話だったのですが、まあ

これからそ うい う個人情報やプライバシ

ーの問題も関わって資料保存がどうい う

風になっていくのかとい うことは今後考

えていきたいなという風に思います。

また、史料ネットは、文化財保護法や

公文書館法の網の掛かっていない歴史資

料をどれだけ救えるか、そ うした歴史資

料をふまえてどれだけ地域の歴史像を豊

かにしうるか、が勝負なのですが、今 日

大村さんはここに来られる前に月ノ輪古

墳に行ってこられたそ うです。まさに、

歴史とまちづくりの原点みたいなところ

だと思 うのですが、21世紀において、歴

史遺産を保存 して活用 していくとい うこ

とが、どうい う意味を持つのかとい うの

が、今後大きな課題になってくるのでは

ないかなと思います。 なかなか十分に

議論を深めることができなかったので申

し訳ないのですけれども、本年の史料ネ

ットセ ミナーは以上をもちまして終了さ

せていただきたいと思います。

ー 48-

Page 50: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

3論 説

- 49-

Page 51: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 52: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

3.1 16世紀以降の東方キリス ト教 (正教会)の文化財

-セルビア聖堂壁画を中心に-

鐸木 道剛

1453年にコンスタンティノープルが

オスマン ・トルコに陥落 し、キリス ト教中

世が最終的に終わった。ヨーロッパの中心

は名実ともにローマを中心とする西ヨーロ

ッパに移った。それ以降の東ヨーロッパの

国々は、イスタンブールの 「囚われの正教

会」(ランシマン)を中心として、政治と分

離 し、国家的援助もなく、細々と存続する

ほかなかった。そ ういうなかでオスマン ・

トルコの支配には属さなかったロシアは例

外で、 1589年にはモスクワの府主教イ

オフがロシア最初の総主教となり、コンス

タンティノープルの総主教から独立し、モ

スクワを都とするロシアは正教会の盟主を

自認することになる。それは、世界の中心

はローマからコンスタンティノープル-、

そしてさらにはモスクワ-と移ったと主張

する 「モスクワ第 3のローマ」のイデオロ

ギーの実現であった。

しかしロシアをも含めてオスマン ・トル

コ時代の旧ビザンティン文化圏 (ギリシア

やセルビアやブルガリアなど)の美術、す

なわちポス ト・ビザンティンの美術の研究

は、いまだローカルな研究テーマに留まっ

ている。つまりそれぞれの国の研究者が自

国の美術を研究する状況である。 ローカル

な研究テーマとしては社会主義崩壊後の宗

教の復興、またポス トモダンを画する西ヨ

ーロッパの世界支配の終蔦以降、若い研究

者も研究対象 として取 り上げ、注目され始

めているとはいえる。 しかしそれはそれぞ

れの国内でのことでしかない。正教会の美

術として影響関係はあるし、現代の国境を

またがった移動もあるので、国際シンポジ

ウムが開催されたこともあり (たとえば1

989年開催のシンポジウムの報告書は出

版されている。『西ヨーロッパのバロックと

ビザ ンテ ィン世 界 (Zapadno・Evropski

BarokiVizantijskiSvet)』ベオグラー ド、

1991年)、研究者のネットワークもなくは

ない。 しかしそこに当事者以外の国の研究

者の参加はない。

例えば 1683年の トルコのウィーンか

らの撤退以降、 1690年にセルビア人が

大挙 してハブスブルグ領内に移動 し (ヴェ

リカ ・セオーバ :「大移動」)、西欧カ トリッ

ク美術の影響を受けて、セルビアの近代美

術が始まるのであるが、その最も重要な作

品である1737年のポジャニ (Bodjani)

修道院の聖堂にフリス トフォル ・ジェフア

ロヴィチ(HristoforZefarovic)が描いた壁

画については、セルビア人以外の美術史研

究者はいまだ言及 したことがない。最も近

- 51-

Page 53: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

いギリシアにおいても、ポジャニの修道院

の壁画については、画家の名前こそフリス

トフォロス ・ジェフアールとして知られて

はいるが、その代表作であるこの壁画につ

いては研究者ですら知るひとは少ない。そ

もそも近代セル ビアの宗教美術 (「セルビ

ア ・バロック美術」という)について、セ

ルビア語での研究と文献は多数あり蓄積も

されているが、セルビア語以外の言語で読

める専門書は、セル ビア ・バロックの権威

で最近亡くなったデヤン ・メダコヴィチ

(DejanMedakovi61922-2008)の著書『セ

ル ビア ・バロック :ドナウ河流域の宗教美

術 (SerbischerBarock:sakraleKunstim

Donauraum )』(ウィーン、1991)が唯一

の書物である。そこにはフリス トフォル ・

ジェフアログィチについても1章が割かれ

てお り (246-261頁)、ポジャ二の壁

【図1】ボシャ二修道院壁画 1737年

創世記の「ノアの方舟」全図

画とフリス トフォル ・ジェフアログィチに

ついて知るには、まずこの 1章を読むこと

から始めねばならない。なお 日本語では、

小学館の世界美術大全集の第 19巻 『新古

典主義と革命期美術』(1993年刊行)に、

西欧の古代復興とならべて東欧における民

族新生の美術 としてポジャニの壁画の図版

を選択 し、図版解説も記 しておいた (図 1

45、417頁)0

フリス トフォル ・ジェフアログィチは、

オスマン ・トルコ支配下のマケ ドニアで生

まれ、おそらくア トスに滞在 したのち、ポ

ジャニとシクロ-シュ (ハンガリー)のセ

ルビア教会の聖堂壁画を制作。その後ウィ

ーンに住んでセルビア人で最初の銅版画家

となり、なかでもセルビアの歴史と伝統を

強調 して王家の系譜を図解 した版画 『ステ

マ トグラフィア』を1741年に出版 した。

【図2】ポジャ二修道院壁画 1737年

覧諾韻常夏砦鵠響禁商 魂をつまみな

- 52 一

Page 54: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

1745年にはイェルサレムに巡礼 し、3

年後の 1748年には 『イェルサレム巡礼

記』を出版。最後にモスクワにおもむき、

1753年にそこで亡くなったいわば放浪

画家であり、その作品には、中世以来のビ

ザンティンの伝統、カ トリックのウィーン

経由の西欧バロック、ウクライナ経由のロ

シアの影響が交錯混在 し、しかも単なる模

写模倣でなく極めて個性的な様式を示す

【図1】【図2】。

構図や細部についても画家の独特のそ

の場での工夫が見られることが指摘されて

お り、現在ベオグラー ドのバルカン学研究

所のリリアナ・ス トシッチ(LjiljanaStosic)

博士がモノグラフを準備中であり、その出

版が待たれるところである。アカデ ミック

な研究書は一冊だけ戦後に出版されている。

建築をズ ドラフコヴィチ、壁画をラザ-

ル ・ミルコヴィチが記 している1952年

刊 行 の モ ノ グ ラ フ で あ る (Lazar

Mirkovic/Ⅰvan Zdravkovic, Manastir

Bodjani,Beograd,1952.)。 ほかにポジャ

二の壁画について最近ではオルガ ・ミキッ

チ (01gaMikic)の出版物が 「文化記念碑

(SpomeniciKulture)」のシリーズの一冊

として出版されていることも付記 しておく

(Bodjani,NoviSad,2005.)。本文 12頁、

図版47枚の版形も小さな小冊子である。

しかし、そもそもポス ト・ビザンティン

の文化と文化財の研究の意味はどこにある

のだろうか?

物質文明を積極的に追及 していくことを

キリス ト教的に基礎付けた西ヨーロッパは

16世紀以降、イエズス会の世界伝道、そ

し て オ ラ ン ダ の 「富 の 持 て 余 し

(embarrassmentofriches)」(サイモン ・

シヤーマ)の通商が近世の我が国に至って

【図3】ゲオルギオス.マルコス「冥府下り」

ファネロメ二修道院聖堂壁画 1735年

- 53 -

【区】4】ピエロ.デラ.フランチェスカ「復活」1450-1463

フレスコ画

225x200cm

サンセボルクロ(イタリア)公立絵画館

Page 55: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

いる。同じ時期に同じ西ヨーロッパが正教

世界にも影響を与え始めるのであり、神中

心の中世的な世界観を残す正教の文化圏に

ルネサンスと宗教改革を経た近代の人間主

義的なキリス ト教美術が影響を与えるので

ある。そこでの近代との接触と近代化-の

試みは、我が国の非キリス ト教文化地域に

おける状況と比較でき相対化できる。たと

えばザビエル以来我が国にもたらされた西

洋絵画はリア リズムを伝え、それを模倣 し

た平賀源内や司馬江漢の試みは、幕末の高

橋由一の画業に繋がってくるO

ここでは正教世界における西欧カ トリッ

ク図像の影響を、現在、調査中の作品から

2例を挙げるにとどめたい。

ギリシアのサラミナ島のフアネロメニ修

道院の壁画 とイコンは、画家ゲオルギオ

ス ・マルコスによって 1735年に描かれ

た。聖堂正面に設置されたイコノスタスに

【図5】ドニェ.ドラゴウリ工(セルヒア、ニーシュ近郊)

聖二コラ聖堂のイコン、制作年代不詳

描かれた 「復活」のイコンの図像は、ビザ

ンティンの伝統的な 「復活」の図像である

「冥府下り」を踏襲 しつつも、キリス トの

足元には、「冥府下り」で描かれる破壊され

た扉の冥府が石棺の形となってお り西ヨー

ロッパのルネサンス以来の 「復活」図像で

ある石棺から立ち上がるキリス トという物

語的な図像を取 り入れている【図3】【図4】。

またセル ビアのニーシュの南東に位置す

る ドニェ・ドラゴヴリエ (DonjeDragovlje)

のニコラ聖堂のイコノスタスに掲げられて

いる 「昇天」のイコンには、フランスのギ

ュスターヴ・ドレ (GustaveDor61832183)

が描き木口木版で出版 された聖書挿絵 (ト

ウール、ロン ドンで 1865年に出版)の

図柄が転用されている 【図 5】【図 6】。こ

のイコンは20世紀初頭の制作でしかない

が、我が国のイコン画家である山下 りん

(1857-1939年)が 1911年に描いた「昇

【図6】ギュスターウ・ドレ画「聖書挿絵」

1865年トゥ-ルとロンドンにて刊行

- 5 4 -

Page 56: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

天」のイコンも同じ図柄のキリス ト像を模

写してイコンとしてお り 【図7】、セルビア

とわが国の近代イコンがロシアを通 じて全

く同じ現象を示 していることがわかるので

あり、 ドレの図柄の借用が山下の独創では

ないことをはっきりと示す例がここに見つ

かったことになる。

山下りんのイコンの裏には、このイコン

が 「大主教ニコライ師真筆」であると記さ

れてお り 【図8】、画家個人の存在が消えて

いる。このイコンをニコライ (1836-1912)

が描いたなどとはありえないことであり、

イコン自体の筆法を見ても、山下 りんが描

いたものに間違いはない。ルネサンスの個

人主義が克服 したところの、中世の神中心

で個人を否定する世界観が 20世紀の現代

にまで正教世界では及んでいるのであり、

このことは、昨今のロシアを中心とする物

【図7】山下りん昇天のイコン、1911年

帯広正教会蔵

質文明の在 り方についても様々な考察のき

っかけとなるものである。

【図8】山下りん昇天のイコン(裏面)、1911年

帯広正教会蔵

- 5 5 -

Page 57: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

3.2 史料ネット、各地の動向

今年度 (2009年)、神戸大学大学院人文

学研究科の奥村弘氏を代表者に、科学研究

費補助金基盤研究 (S)「大規模 自然災害時

の史料保全論を基礎 とした地域歴史資料学

の構築」が採択された。五年間で、全国の

史料ネット活動を総括 しつつ、地域の歴史

資料を保全するための 「学」を構築するの

が課題であるが、このほど2009年 7月 28

日に神戸大学文学部で 「第 1回地域歴史資

料学研究会」が開催されたので、その概要

を紹介 したい。

』 奥村弘 「基盤研究 (S)「大規模 自然

災害時の史料保全論を基礎 とした地

域歴史資料学の構築」」

奥村氏からは、科研の概要について報告

があった。現在、コミュニティの危機に端

的に現れているように、地域社会の急激な

構造転換の中で、日本の地域社会で維持さ

れてきた膨大な地域歴史資料は滅失の危機

にある。さらに活動期を迎えた地震による

災害、地球温暖化に関連する大規模風水害

の続発は、この事態を早めることになった。

阪神 ・淡路大震災以降の大災害時における

歴史研究者による歴史資料保全活動の継続

的展開の中で、指定文化財を基本とした歴

史資料保存や、地域住民による保全に依拠

するのみでは、地域歴史資料の保全が不可

今津 勝紀

能であることが明確になった。この危機的

状況を放置するならば、地域社会の歴史を

明らかにし、歴史研究を発展させることは

著しく困難となる。

よって、地域歴史資料を巡る問題が集約

的に問われた被災各地で、その保全に当た

った歴史研究者を中心に、各地域での歴史

資料の現状を現地での再調査や関係者等と

の共同討議等から把握 し、データとして相

互に共有する。 これを基礎に、これまでの

歴史資料学の研究蓄積や国際的な歴史資料

学の成果を利用 し、さらに歴史学に隣接す

る文化財保存科学、建築史等の協力も得て、

各地で生まれた歴史資料保全論や萌芽的な

地域歴史資料学について比較検討を行い、

その中から、緊急の課題 となっている、地

域歴史資料を次世代に引き継ぎ、地域住民

の歴史認識を豊かにしうる地域歴史資料学

の構築を目指す、とのことであった。

報告では、このような研究計画に対する

疑問としてあげられるであろう点、この場

合の 「地域」とは何か、またこうした研究

の国際的な意義についても言及があり、前

者については、さしあた り村 レベルから郡

レベルまでを想定しているが、現実の史料

保全活動が展開している地域を念頭に設定

した 「地域論」の必要性があると述べられ

た。後者については国際文書館評議会 (ICA)

~ 56-

Page 58: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

に参加 し、主として紙を素材 とする資料の

保全についての先進的な事例として日本か

ら世界に発信 したいと述べられた。

また、博物館 ・文書館 ・資史料館 ・図書

館などの文化財担当部局で史料保 全に関わ

る人々の社会的評価が、行政内部でも住民

の中でも低いこと、総じて史料保全にかか

わる研究者が十分に評価されていないこと

を例に挙げ、地域の歴史資料保全のための

学を構築し、このモデルを普及させたいと

抱負を述べられた。

■ 佐々木和子 「阪神 ・淡路大震災にお

ける震災資料整理・保全活動の概要」

佐々木氏からは、1995年の阪神 ・淡路大

震災後からこれまでの震災資料の整理 ・保

全活動を概観 し、震災の記録保全にあたる

諸団体についての説明があり、佐々木氏自

身が携わられた活動、収集対象の種類につ

いての報告があった。今後、大震災以外の

災害時の記録保存の有 り様と比較すること

で、大震災の活動の客観視 ・総括につなげ

たいことなどが述べられた。

■ 小林准士 「山陰史料ネ ットの活動に

ついて」

小林氏からは、2000年鳥取県西部地震を

契機 としてスター トした山陰史料ネットの

活動概要と成果、現在の被災史料の保管 ・

整理状況について報告がなされた。

日野町を中心とした救済史料のうち、古

文書 ・書簡 ・新聞 ・写真などの八割方は目

録カー ドが作成されていること、民具につ

いては整理が済み、一部が返却され、引き

取 りがなかった分については日野町歴史民

俗資料館に保管されていること、襖につい

ては全体で三〇〇面程度あるが、そのうち

剥離し終えたのは二〇面程度で、これが大

きな課題であること、その他、境港市 ・南

部町 ・伯者町についての例が報告された。

今後、整理済み史料のデータベース化と

活用方法、地域の実情に応 じた史料整理方

法、襖など建具類を剥離 した史料群の整

理 ・保存 ・活用方法について検討 したい。

また鳥取県西部地震被災地をモデルケース

として、中山間地 ・過疎地における歴史資

料保全の仕組みに関する検討も行いたいと

述べられた。

1 寺内浩 「愛媛資料ネット(芸予地震被

災資料救出ネ ットワーク愛媛)の活

動について」

寺内氏からは、2001年芸予地震を契機と

してスター トした愛媛資料ネットの活動概

要と成果、現在の状況や今後の課題につい

て報告があった。愛媛資料ネットの活動の

基盤には、松山や今治といった各地に史談

会という地域史研究団体が存在 し、2004年

の新居浜水害にも対応 している。

この間、『今治市 ・曽我部家資料 目録』

(2003)・『今治市 ・璃 山家資料 目録 Ⅰ』

(2005)・『同Ⅱ』(2006)・『同m』(2007)

を整理 ・刊行 した。2006年からは愛媛大学

で 「歴史懇話会」を実施 し、実際に資料整

理作業を体験 してもらい、整理方法の普及

をはかるとともに、資料保 全活動-の理解

を深める活動を行なっている。などなどの

報告があった。

現状で、資料ネッ ト中核メンバーの多忙

化により活動がやや停滞気味であること、

資料所有者 リス トがほとんどないこと、西

予市を除き文書館がないこと、資料の保存

- 57-

Page 59: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

場所が不足してお り原則所蔵者保管をお願

いしている点などが課題であるとされた。

今後は、各地の小規模な資料ネットの活動

状況の情報交換と愛媛で実施可能な内容の

ワークショップの開催を計画 していること

などが述べられた。

なお襖の迅速な処置や保管スペースに関

しては、鳥取の事例でも課題 となっている

が、愛媛では骨からはがした下張 り文書を

布団圧縮袋に収納することで省スペース化

を図っていることなどが紹介された。いず

れにせよ、襖の処置については、早くて簡

単な方法の開発が急務であることが確認 さ

れた。

■ 平川新 「NPO法人宮城歴史資料保

全ネットワーク (略称 :宮城資料ネ

ット)」について

平川氏からは、2003年宮城県北部連続地

震を契機 としてスター トした宮城資料ネッ

トの活動内容について報告がなされた。地

震が連続 して発生している地域での事例で、

アクティブなネットの一つである。

宮城資料ネ ットの特徴は、2007年より

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク-

と改組 されたことで、これにより責任体制

を明確化 していることにある。 宮城資料ネ

ットは、主に宮城県内の歴史研究者や大学

院生、文化財担当の自治体職員、市民によ

り校正されてお り、2009年 6月までに約 350

軒の旧家の訪問調査を行なっている。現在

は、災害前に歴史資料の所在と現状を確認

するための 「歴史資料の所在調査」、主に個

人や組織が所蔵する資料の全点撮影 と保全

措置を行 う 「一軒型資料調査」、故人の研究

者が借用したままの未返済史料返却作業を

行っていることが紹介された。

また、2008年岩手 ・宮城内陸地震-の対

応もあわせて行ってお り、返却事業の際に

新たに発見される史料群の整理ともあわせ

て、その対応が課題 となっていることが述

べられた。また、その際には、少ない人員 ・

資金 ・時間で可能な宮城資料ネット方式の

史料調査方法の有効性があることも紹介さ

れた。

今後は、宮城以外の地域でも資料保全体

制を確立できるよう、立ち上げ-の支援策、

とくに直下型地震が想定されている首都圏

地域における保全体制の構築や、史料保全

が歴史研究者の社会的使命であるという研

究者倫理を大学の歴史教育のなかに導入す

る方法を検討 してほしい、という旨が語ら

れた。

} 多仁照康 「福井史料ネットワークの

活動と本研究課題-の取 り組み方」

多仁氏からは、2004年 7月の足羽川水系

で起きた福井水害を契機 としてスター トし

た福井史料ネットの活動内容について報告

があった。

福井水害では水損被害が確認された例は

少なく、むしろ土石流などによって流失 し

てしまった事例が多いのではないか、その

ため直接的に水損史料の保全活動を行った

わけではないが、福井では災害ボランティ

ア活動が活発であることを利用し、市民防

災ボランティアとの連携によって史料の被

災を予防、または雁災時の対応方法を探る

こと、福井では研究者も少なく、被災史料

を保全する人材が枯渇している現状をふま

え、比較的簡単な器具で被災史料を修復で

きる技術開発を取 り組みたいと述べられた。

- 58 -

Page 60: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

今後は、県下の自治体にアンケー ト・聞

き取 りを実施 し、地域資料保全のために行

政ができることとできないことを明確にし

てゆくことの必要性を指摘された。

} 矢田俊文 「新潟県における史料保全

活動一新潟歴史資料救済ネ ットワー

ク ・新潟大学の取り組みについて」

矢田氏からは、2004年新潟県中越地震を

契機としてスター トした新潟歴史資料救済

ネットワークや、新潟大学 (新潟大学人文

学部附置地域文化連携センター ・新潟大学

災害復興科学センターアーカイブズ分野)

の活動内容 ・成果についての報告があった。

この地域も地震が連続 して発生 してお り、

アクティブなネットである。

自治体の文化財担当部局とも連携 しなが

らおこなわれた、2004年中越地震、2007年

中越沖地震での被害状況 ・史料保全活動を

PowerPointのスライ ドで解説を交えながら

紹介された。特に、被災時の図書館員同志、

寺院相互の横のつながりの強さや、小千谷

市に残る師範学校在学時の日記などの災害

記録にも注目すべきとの指摘があった。

今後取り組みたい点として、前近代地震

災害を中心とした災害史の研究、新潟県に

所在する近代 ・現代地震被害 ・復興関連史

料の調査 ・研究、2004年中越地震以後の新

潟県内における史料保全 ・活用の歴史的研

究を挙げた。

また、文化財 ・歴史資料の保全、多くの

分野の支援活動、災害時の文書機能論 (公

文書論、避難所文書論)、災害記録論 (市民 ・

生徒による災害の記録等)、文書 ・日記によ

る災害の研究 (開発と災害、地盤被害等)

等を含む真の災害史研究を確立すること、

文化財 ・歴史資料保全活動の自体を客観的

に、歴史的に研究することの必要性が述べ

られた。

討論では、大量の民具が保全されたこと

についても議論となった。生活雑器、民具

の動態保存がなされれば、さらなる活用の

道は開けるのではないかという意見が出た。

また文書だけではなく、「書」や 「画」も数

多く残されている。特に 「書」は書道教室

が現在でもあることに象徴されるように、

日本の地域文化史を語る上でも重要なもの

ではないかという矢田氏からの提起があっ

た。

■ 伊藤昭弘 「福岡県内歴史資料保全調

査会の活動記録」

伊藤氏からは、2005年福岡県西方沖地震

を契機 としてスター トした同調査会の活動

経過が報告された。この事例はあまり知ら

れていなかったのだが、伊藤氏を中心とし

て、次のような活動が行なわれている。2005

年 3月 20日に福岡県西方沖地震が発生し、

同年の 6月より現地でのチラシ配 りが開始

され、翌 7月には志賀島公民館が所蔵する

旧志賀町役場史料の調査が行なわれた。翌

2006年 2月から3月にかけて、福岡市総合

図書館を主な引受先として、志賀町役場史

料の搬出作業が行なわれた。また同 3月に

は玄界島の史料調査 も行なわれている。

2009年 3月には玄界島の史料整理が終了し、

寄贈分を除き所蔵者に返却されている。

福岡県内歴史資料保全調査会の活動は、

伊藤氏の献身的な働きがあってのものであ

ろう。興味深い苦労話もうかがえた。保全

史料の返却が完了し、報告書を刊行 した暁

には解散の予定であるという。報告書の原

- 59 -

Page 61: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

稿料 ・刊行費などについて、福岡市教委か

らの援助や個人の寄付 ・カンパなどからや

りくりしているとの話があった。今後は、

佐賀での史料調査活動を県立図書館や鹿島

市と協同で行いたい旨が述べられた。

■ 内田俊秀 「救出された民俗資料や美

術工芸品の地域における活用方法の

検討

内田氏からは、1995年の阪神 ・淡路大震

災以降で被災した文化財、特に未指定文化

財について、救出後の活用の実態や問題点

が指摘された。特に、日本の文化財保護制

度は行政による 「文化財指定」が中核であ

るが、地域には、指定未満 と呼べるものが

多数眠ってお り、「未指定品」が、地震によ

り壊れた個人のお宅や蔵、時には神社や寺

院から救出されている。

そこで、問題 となるのは以下の三点であ

る。まずは、①未指定文化財の所在の確認、

②救出後と修復、③恒久的な保管と活用に

ついてである。 (丑については、指定文化財

やそれに匹敵する未指定品が個人宅などに

保管されているが、所在は一部の人にしか

知 られておらず、地震発生時には被害の有

無、保管の安全について調査する必要があ

る。また、地域全体が大きな被害を受けた

とき、どこにどんなものがあるか、いつ救

出すべきかなどの計画を立てる必要がある。

よって、所在地調査は必須の作業であるこ

と。②については、新潟中越地震の時の例

をあげ、美術工芸品は修復 しなければなら

ない場合があり、この費用の負担に、民間

の財団などの援助が支えになることを述べ

た。また、③については、阪神淡路大震災

で明石市の民家から救出された民具が、播

磨町野添ふるさと館に保管展示されてお り、

現在も社会科の授業で、小学校が見学に訪

れているという。ただ、救出品の展示にあ

たっては、この文化財がたどってきた経過

や、救出された意味、救出され展示に加え

られたことにより、当時の生活の説明が豊

かになったことなどを加えて解説する必要

があること、救出された関連文字資料の記

録内容 も含めて解説に加えることで、民

具 ・美術工芸品と文字資料の相互利用によ

る相乗効果が得 られることなどを今後の課

題として挙げられた。

』 坂江渉 「阪神 ・淡路大震災と神戸大

学地域連携センター」

坂江氏からは、①阪神淡路大震災での諸

活動の経験を踏まえ、自治体や市民団体と

連携 して、歴史遺産や文化財を地域づくり

に役立てることをめざして 2002年に設立

された 「神戸大学大学院人文学研究科(文学

部)地域連携センター」について、②今年度

の科研の中心テーマである 「阪神 ・淡路大

震災時の史料保全を通 じた地域歴史資料学

についての予備的考察」のために、神戸大

学のセンターが毎年開催 している地域連携

協議会との合同企画についての報告があっ

た。

①については、センターの連携事業の 4

つの柱として、地域づくり支援と自治体史

の編さん、災害時の歴史資料の救済・保全、

地域遺産を活用できる人材の養成、地域の

歴史文化をめぐる情報の共有や交流の促進

を行っていることを解説 した。また、②に

ついては、来年 1月に開催予定のセンター

の地域連携協議会との共同企画として、「震

災から15年 一地域歴史資料の現在-」と

- 60 -

Page 62: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

いうテーマをかかげ、「阪神淡路大震災と地

域文献史料」と題 し、震災時にレスキュー

保全活動にあたった全史料の現状追跡調査

(保管のあり方や活用のされ方、被災自治

体の人的配置 ・被災地のその後も含め)の

成果を報告することが述べられた。

岡山史料ネットもこのプロジェク トに参

加 しており、今津が、これまでの岡山での

史料ネット活動について報告を行なった。

岡山の場合、幸いにも、他地域のように、

大規模な自然災害に見舞われていないのだ

が、事前にネットワーク化をはかり災害時

に備える 「予防ネット」であること、その

ため、関係者の自発的参加に任せた緩やか

な集まりであり、リジッドな組織を構成 し

ていないのが特徴であること、今後は、県

内の地震 ・火災 ・水害 ・早魅に関する災害

年表の作成、過去の災害被害のシミュレー

ションによる復原を行ない、災害の予想さ

れる地域でのセ ミナー開催や 自治体担当

者 ・郷土史愛好家との交流を通じて働きか

けを強めてゆきたい旨を述べた。

総 じて言って、指定文化財を基本とした

資料保存や、地域住民の努力による資料保

全に期待するのみでは地域社会に存在する

歴史資料の保全は、はなはだ困難であり、

歴史資料を含む地域文化遺産の保全が課題

- 61

であることは間違いない。こうした各地の

地域に根ざした歴史遺産の保全活動につい

ての認識は、政府も認識 してお り、内閣府、

文化庁、消防庁、国土交通省を事務局 と

して、有識者等で構成する 「災害から文

化遺産 と地域をまもる検討委員会」が平

成 15年 6月に設置 され、平成 16年に 7

月には内閣府 (防災担当)が 「地震災害か

ら文化遺産と地域をまもる対策のあり方」

を公表 し、基本的な考え方が示されている。

ここでは、未指定の文化財も含めて、これ

を地域の歴史的な文化遺産と考え、保全す

べきであるとの新たな指針が出されてお り、

文化遺産と地域をまもる取り組みについて、

地域防災計画等に位置づけることもうたわ

れている。

この答申は守るべき歴史資料を具体的に

提示するものではなく、学術的な指針は歴

史研究者からの提起に委ねられている。地

域にいかなる歴史遺産があり、それをいか

に保全し、学術的に活用するだけでなく、

社会的に活用 していくのかを明らかにする

ための知恵が求められているのだろう。 あ

えて言 うならば、そ うした知恵が 「地域歴

史資料学」なのかもしれない。ともあれ実

践的要請が大きいのは確かであるが、これ

を広く共有できる知恵に育ててゆく努力が

求められているのであろう。

Page 63: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3
Page 64: lI L I L J /h U - . L l r が什 r ハ ・ T r T 「 し 1eprints.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/2/20603/...2 0 0 9年9月 ′′r L J 1Iヽt【J・1.・I一IJ 】 l ' (ir/L 「/・7->3

岡山大学文学部プロジェク ト研究報告書 13号

歴史遺産の保全と活用をめぐる地域ネットワークに関する研究

岡山史料ネット Ⅲ

2009年 9月 16日発行

編著 今津 勝紀

発行者 岡山大学文学部長 辻 星児

〒700-8530 岡山市北区津島中3丁 目1番 1号 岡山大学文学部

印刷・製本

広和印刷株式会社

〒700-0942 岡山市豊成 3丁 目18-7