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追手門学院大学文学部紀要33号1997年12月30日
F. Scott Fitzgerald と大衆雑誌:
The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby (1925)までの期間
藤 谷 聖 和
F. Scott Fitzgerald and Commercial Magazines from 1919 to 1925
Seiwa FUJITANI
は じ め に
Fitzgeraldの短篇に対する批評を見てみると,高く評価される作品がありながら,全体的
には短篇を金儲けのためのやっつけ作品と捉える傾向があった。雑誌に短篇を売ることで
The Great Gatsby (1925)やTender Is the Night (1934)の創作に没頭できる経済的安定性
を求めたのは事実である。贅沢な妻の要求を満たすべく濫作で才能を消耗し,それを避けてい
たならばThe Great Gatsbyクラスの作品をもっと書くことができたであろうとの指摘もされ
てきた。一般的にFitzgeraldの短篇は例えば“Winter Dreams"とThe Great Gatsbyのよう
に,小説作品との関連で論じられ,短篇そのものの評価が少なく, Fitzgeraldを短篇作家の
角度から捉えようとする試みが少なかった。しかし, John A. HigginsのF. Scott Fitzgerald:
A Study of the Stories出版以来, Fitzgeraldの短篇研究が盛んになった。その動向を大きく
2つに分けると, The Great GatsbyやThe Beautiful and Damned, Tender Is the Night,
The Last Tycoonといった長編に組み込まれている短篇群研究,そして,雑誌を金儲け以外
1)に長編を書くための実験場として活用してきたとする新しい視点からの研究である。後者は当
時Fitzgeraldが短篇を投稿した雑誌の性格や当時の風潮,書評, Fitzgeraldの売り込み作戦
などについても言及し,短篇を乱発したという否定的なイメージのFitzgeraldを打ち消して
「短篇作家Fitzgerald」を示そうとしている。本論ではFitzgeraldの短篇が初めて商業雑誌
The Smart Setに採用された1919年から1925年The Great Gatsby発表までの時期に雑誌が
Fitzgeraldの短篇創作に与えた影響,またFitzgeraldが雑誌掲載を長編創作でどのように反
映させたかを捉えてみる。
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F. Scott Fitzgeraldと大衆雑誌:The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby(1925)までの期間
1 The Smart SetからThis Side of Paradise : 2つの市場
1Q1Q催妬ふ1Q9R催ホアのFit7crpralHの脊実作忌*-一瞥実にI.アみかー
-102-
発表年 作 品 名・ 発 表 誌
Sept. 1919
Nov. 1919
~Feb. 1920
Feb. 1920
March
~May 1920
March 1920
May 1920
June 1920
June 1920
July 1920
Sept. 1920
Oct. 1920
Dec. 1920
Feb. 1921
Feb. 1921
Sept. 1921
~Mar. 1922
Feb. 1922
Mar. 1922
April 1922
May 1922
June 1922
Sept. 1922
Dec. 1922
Dec. 1922
April 1923
Nov. 1923
May 1923
~Feb. 1925
June 1924
July 1924
July 1924
March 1924
~July 1924
Sept. 1924
Feb. 1925
April 1925
“Babes in the Woods"
“The Debutante" “Benediction" “Dalyrimple Goes Wrong"
“Porcelain and Pink"“Mr. Icky"
“Head and Shoulders"
“Myra Meets His Family" “The Camel's Back"
“Bernice Bobs Her Hair"“The Ice Palace"
“The Offshore Pirate"
This Side of Paradise
Metropolitanと契約
“The Four Fists" "The Cut-Glass Bowl"
“The Smilers"
“May Day"
Flappers and Philosophers
“The Jelly-Bean"
“The Lees of Happiness"
“O Russet Witch!"
“Tarquin of Cheapside"
The Beautiful and Damned
“The Popular Girl"
The Beautiful and Damned
“Two for a Cent"
“The Curious Case of Benjamin Button"
“The Diamond as Big as the Ritz"
Tales of the Jazz Age
“Winter Dreams"
Cosmopolitanと契約(掲載はHearst's Internationa)
The Vegetable
The Vegetable公演。 Atlantic City でのtryoutで失敗
“Dice, Brassknuckles & Guitar" “Hot & Cold B100d"
“Diamond Dick and the First Law of Woman"
“The Baby Party"
“Absolution"
“The Sensible Thing'"
“Rags Martin-Jones and the Pr-nce of W-les"
“Gretchen's Forty Winks" “The Third Casket"
“The Unspeakable Egg" “John Jackson's Arcady'
“One of My Oldest Friends"
“The Pusher-in-the-Face"
The Great Gatsby
Smart Set
Smart Set
Saturday Evening Post
Saturday Evening Post
Scribners
Scribner'sMagazine
Smart Set
Smart Set
Scribners
Metropolitan
Chicago Sunday Tribune
Metropolitan
Smart Set
serializedin Metro)olitan
Saturday Evening Post
Scribners
Metropolitan
Collier's
Smart Set
Scribners
Metropolitan
Scribners
Hearst'sInternational
American Mercury
Liberty
McCalVs
Saturday Evening Post
Woman's Home Companion
Scribners
藤 谷 聖 和
長編作品はThis Side of Paradise (1920), The Beautiful饒d Damned (1922), The
Great Gatsby (1925)の3作。短篇集はFlappers and Philosophers (1920), Tales of the
Jazz Age (1922)の2作。戯曲を1作。短篇は35作,寸劇3作で発表誌はThe Smart Set,
the Saturday Evening Post, the Scribner's Mamzine, the Metro)olitan Magazine, the
Chicago Sunday Tribune, the Collier's,the Hearst'sInternational, The American Mercury,
the Liberty,the McCall's, the Woman's Home Companionの11誌である。
Fitzgeraldが初めて関係を持った商業雑誌はThe Smart Set (以下Smart Setと略)で,
発表作ぱBabes in the Woods"である。 1919年6月末に親友のEdmund Wilson がSmart
Setの編集者George Nathanに紹介してくれ, FitzgeraldぱBabes in the Woods"を売り
込むことができた。 軍隊除隊後New Yorkの広告会社に勤務しながら文学修行をしていた頃
で, Zeldaの関心を引いておくためにも作家として世に認められようと懸命であった。シナリ
オや寸劇,ジョーク,短篇などを出版社に送るが,送り返されるだけで,彼の部屋には120の
不採用原稿がつるされていた。Ledger iこよればFitzgeraldが“Babes in the Woods"で
Smart Setより受けた原稿料は30ドルで,全盛時にthe Saturday Evening Post (以下Post
と略)より受ける額と比較すれば100分の1にも満たない。FitzgeraldにとってはSmart Set・
が作品売り込みの最後の市場で,原稿料の低さは問題外であった。 Scribners社がThis Side
of Paradise受諾後の1919年11月, Postは400ドルで“Head and Shoulders"を採用してく
れた。 Reynolds Agencyの文学代理人Harold Oberを通しての売り込みで,このときから
Oberとの交際が始まる。
This Side of Paradise出版にあたり, Fitzgeraldは作家としての知名度をあげたかった。
This Side of Paradiseを1919年9月15日にScribners社が受諾してくれ, 1920年初めに出
版予定であったからである。This Side of Paradise出版までの6ヶ月間で11作を発表してい
ることからもFitzgeraldの意気込みが伝わってくる。 Scribners社の編集者Maxwell
Perkinsに雑誌掲載の短篇がもたらす広告効果を語るかのように(Postに売ったこれらの作
品は2月21日に掲載されます。DalyrimpleとBenedictionはすでにSmart Setの最近号に掲
2)載されています」と手紙に書いている。また, MenckenとNathanの批評家の目を自分に向
けておくように考慮していたこともPerkinsへの手紙「私の本[This Side of Paradise]が
3)出たときにはMenckenとNathanを自分の味方につけておきたい」から明らかである。
FitzgeraldはThis Side of Paradiseが受諾されてから出版されるまでの6ヶ月で2つの市
場を開発した。 Smart SetとPostの2誌である。発行部数22,000部のSmart Setと200万部
のPostに掲載することで作家としての知名度はあがった。しかし,この2誌は編集方針や読
者層において全く異なっていた。 Smart SetはMenckenやNathanという編集者に現れてい
るように文学性の高い雑誌であるが, Postは娯楽性の高い大衆路線を歩む雑誌であった。
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F. Scott Fitzgerald と大衆雑誌I The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby (1925)までの期間
Smart Setはhighbrowな読者層を目指しており,価格が1部35セントであるのに対して,
Postは「健全な中産階級」を目標として,読者層のターゲットを男性に置き,価格は1部5
セントであった。
Stephen W. Pottsは当時のSmart Setの特色を次のように述べている
Smart Setは1900年の創立以来英国のYellow Ninetiesの審美運動の前提と態度を反映し
ていた。 SwinburneやDowsonの系列の韻文やWild流の短い劇や風刺詩,風変わりな人
や現実逃避者,皮肉屋,悪戯屋向けの小説を掲載。風刺は社会的(風俗喜劇)であって,政
4)治的でなかった。左翼についての政治的意見を持つことは賢明でないとされた。
MenckenとNathanは1909年にこの会社に入り,前者は書評を後者は芸術批評を担当した。
Menckenは英国やヨーロッパの新しい思想の持ち主や審美をアメリカに紹介した。編集者の
NathanやMenckenは,リアリズムとナチュラリズムの旗手であり,中産階級の価値観への
強い批判をしていた。Willard Huntington WrightとともにMenckenとNathanはペン
ネーム(Major Owen Hatteras, D. S.O.)で,アメリカ文化を酷評した。読者はMenckenの
異端ぶりとNathanの俗っぽさに喜んだ。 1913年, 2人は財政的困難を抱える同誌の運営に
関わるようになった。ここでMenckenは批評家と編集者の狭間での悩みを持った。批評家と
してはConrad, Dreiser, Norris, London等を推しながらも,編集者としては売り上げ部数を
5)上げるために軽薄で娯楽性のある作品に力を入れねばならなかったからだ。純文学を推進しな
がらも,雑誌としての宿命である軽さ(lightness)を負わされたのである。同誌に掲載する
作家にはD. H. Lawrench, James Branch Cabell, Theodore Dreiserらがいた。 Dreiserは
Smart Setの軽薄性を批判して内容が(まるでBroadwayや42丁目の大道芸人のようにあま
6)りにも懸勲で,ブロードウェイ的すぎて,ひやかしやいたずらが多すぎる」と抗議している。
しかし, Fitzgeraldにとっては, Smart Setの「前衛的」で知識人に評判が高い一面が魅力で
あった。
FitzgeraldはSmart Setにシリアスな内容の“Benediction"どDalyrimple Goes Wrong"
を発表した。 “Benediction"は学生時代にNassau Literary Magazineに発表しだThe
Ordeal"を書き直したもので主人公Loisの世俗か宗教かの選択をテーマにしている。世俗を
選択するところにアイロニイがあり.Smart Setの要求を満たしており採用された。
“Dalyrimple Goes Wrong"は遺伝と環境故に会社の倉庫係に収まり,それ以上の昇進を望ま
ず,暇な時間には勤めている会社に泥棒に入っているBryan Dalyrimpleが会社のオーナー
に呼ばれて上院議員になる資質を持っているから推してやろうと言われるストーリーで,アメ
リカの夢を謳うHoratio Algerを皮肉るナチュラリズム的要素がある。 アイロニイやナチュ
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藤 谷 聖 和
ラリズム的要素のためにこれら2作品がSmart Set 1こ採用されたのであるが,この当時
Fitzgeraldは未だ雑誌社の性格を把握していなかった。ナチュラリズム的な“Dalyrimple
Goes Wrong" を「Postを意識して書いた」とOberに述べているからだ。
これ[“Dalyrimple Goes Wrong"]は私かこれまでに書いた作品のうちで最高のものです。
この作品はPostを意識して書きました。あなたがPostやCosmopolitanに出せると判断さ
7)れたなら,あたっていただけませんか。少なくともこれは250ドルの価値は有ると思います。
作品は冷淡なシニスムのパラグラフで始まっており,登場人物は(Mencken風のアメリカの
8)信条に対するいくつかの基本的信条を茶化すべく野暮ったい中産階級の登場人物」を使ってお
りPostに採用されなかったが,雑誌の性格と作品のマッチングを考えるきっかけになった。
1920年は未だラジオや映画の時代ではなく,雑誌が一番の娯楽であった。その雑誌の中で
もPostは優勢であった。これは編集長George Horace Lorimerの手腕によるもので,彼は
第1次世界大戦までに同誌を200頁からなる有名誌にした。 1920年代のPostの読者層は多種
多様であったが, Postは基本的なねらいを平均的中産階級のアメリカ人においていた。
Lorimerは標的を特に男性に絞っていた。当時,(アメリカのほとんどの雑誌社は男性は雑誌
9)を買わないと考え,目標を女性に絞っていた」が, Lorimerは(男性,特に向上志向があり。
10)アメリカの経済生命の基礎となっている東北部の中産階級のビジネスマンにねらいを定めた」
のである。Postの編集方針は男性指向となり, James Wood はPostの特色を「アクション・
ストーリーやロマンス,ビジネス物語;成功に満ちた行動的な男性の物語;劇化されてため
になり,おもしろい経済,政治問題;最近の事件へのコメント。当時のビジネスマンが支持
11)するシリアスでセンチメンタルな詩が少し」とまとめている。Postは小説においては実験的
なものや理論的なもの,センセーショナルなものを避けた。思想的にも中庸で,当時流行した
醜聞あばき(muckraking)には興味を持だなかった。小説で得意とする分野は「ビジネス物
語」(businessromance)で行動的な若者が努力の末に成功し,すばらしい伴侶を得るという
成功物語であった。
FitzgeraldのPostへの第1イ乍“Head and Shoulders"はロマンスの成功と2人の職業が入
れ替わるという役割交換の求愛と喜劇的逆転に関心を引く作品で, Postの編集方針と重なる
内容であった。“Myra Meets His Family"はFitzgeraldとしては満足のいく作品でなかった
がPostは受け入れてくれた。 フラッパーとO. Henry的な逆転的結末のおもしろさから受け
入れられたのであろうが, Postの採用はFitzgeraldには驚きであった。 Oberへの手紙で
(Myraが売れたと聞いたとき,羽で僕をノックアウトすることさえできたでしょう。書き上
12)げたときにこの作品ほどうんざりさせた作品はありませんでした」と率直な気持を打ち明けて
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F. ScottFitzgeraldと大衆雑誌ツ (1919)からThe GreatGatsby(1925)までの期間
いる。次の3イ乍“The Camel's Back" どBernice Bobs Her Hair",“The Offshore Pirate" も
同じようにフラッパーを扱い逆転的結末で終わる作品で,いずれもPost好みの娯楽性の高い,
軽い作品である。“The Camel's Back"では仮装パーティというトリックの工夫。“Bernice
Bobs Her Hair"では容姿のさえないおとなしい田舎娘がフラッパーに変身し,いとこの陰謀
で断髪をさせられるが,いとこが就寝中に仕返しに髪を切ってしまうという奇抜なストーリー。
“The Offshore Pirate"ではFitzgeraldの典型的フラッパーArditaが登場する。「19歳で
ほっそりして柔軟で,魅力的な口元,輝く輝くばかりの好奇心で満ちた素早く動く灰色の目を
13)している」が,これまでのフラッパーBetty Medill, Myra, Berniceよりも勇敢で,大胆でそ
のうえ富にもはるかに恵まれており, "Winter Dreams"のJudyやThe Great Gatsbyの
Daisy, Tender Is the NightのNicoleの原型となっている。 この作品がPostの読者に受けた
のはアメリカの夢の要素がテーマとして取り入れられたことにある。美女のフラッパー
Ardita 獲得のためにTobyが海賊に扮しヨットをシージャックするなど競争のための工夫が
描かれていること,さらに富裕階級の描写が中産階級の読者の関心を引いた。
以上の4作品をPostは躊躇なく購入してくれた。しかし, "Head and Shoulders"に次ぐ
第2作の“The Ice Palace"に関しては購入を躊躇された,Postは作品を採用してくれたが,
掲載を遅らせている。作品はOberの所には1919年の12月までに届き, Oberも売れたと報
告しているのに, Postでの掲載は1920年5月22日号で,後に売れだBernice Bobs Her
Hair"のほうが先に掲載されている。PostぱThe Ice Palace"を“Bernice Bobs Her Hair"
(I May 1920号),どThe Offshore Pirate"(29 May 1920号)のフラッパーものの間に入
れ,遅らせて掲載し, Fitzgeraldのフラッパー作家としてのイメージを崩さないようにした
のである。 FitzgeraldはPostの性格を把握していなかった。 Oberに「Postは地域色やそん
な雰囲気の作品が特に気に入りだと思っています。それに8,000語の長さはよそでは売却が困
M)難です」と語り,南部と北部の対立する地域色の描写はPostが喜ぶと捉えていた。しかし,
北部に幻滅し婚約を解消して南部に帰るSally Carrol Happerの描写は北部への非難と南部
への礼賛に終わってしまい, Postが読者の主流とみなす「アメリカの経済生命の基礎となっ
ている東北部の中産階級のビジネスマン」の心証を害しかねなかった。しかも,重点がフラッ
パーを扱った娯楽性よりも,南部へのかなりシリアスな思い入れに置かれており, Postが
Fitzgeraldに求めるフラッパー作家のイメージを越えている。This Side of Paradise出版以
前に,フラッパー作家のみならず“The Ice Palace"のようなシリアスな作品をも書く作家で
あると認めて欲しいというFitzgeraldの思い入れがこのような作品となり, 1920年にPost
に掲載された作品では最高作であった。しかし,南北の対立で登場人物が地域的決定論の被害
者となるナチュラリズムの色彩はPostの読者には受け入れられにくかったことも事実である。
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藤 谷 聖 和
11 This Side of ParadiseからTales of the Jazz Age:短篇集と契約誌
1920年3月にThis Side of Paradiseが出版され, 9月に短篇集Flappers and Philoso)hers
が出版されるとFitzgeraldの知名度はあがった。 学友のEdmund Wilsonに語ったように
15)Fitzgeraldは流行作家であると同時に「これまでで一番偉大な作家になること」という2つ
の相反する願望を持っていた。 Smart SetやScribner's Magazineのようないわゆる“quality
magazine"で有名になるのは望むところであったが, Postで有名になることはBooth
Tarkingtonのような大衆作家とみなされかねないと危惧した。 Fitzgeraldの矛盾は
Fla)pers and Philosophersに集録された短篇からも捉えられる。 4作がPost, 2作がSmart
Set, 2作がScribner's Magazine \こ発表したものから採ってある,Postからは軽いものが特色
で,“The Offshore Pirate","Head and Shoulders", "Bernice Bobs Her Hair" などでその傾
向が分かるが,例外ぱThe Ice Palace"。Smart SetからぱBenediction", "Dalyrimple
Goes Wrong"でシリアスな内容。Scribner's MagazineからぱThe Cut-Glass Bowl",“The
Four Fists"でScribner's系の作家に期待される教訓物語である。Flappers and Philosophers
への批評で,作品の不均等,つまり, 2つの面が有ることを指摘する批評はFitzgeraldの
作家として矛盾する姿勢を捉えていると言ってよいだろう。批評の半分が好意的で若者と富
をうまく描いていると誉めてお剔 This Side of Paradiseの影響がそのままFlappers and
Philosophersの好意的な批評に繋がっている。フラッパーものとシリアスな作品からな
る短篇集だが,最高作も批評家によって異なってくる。 MenckenぱBenediction"を最高作
と指摘し, Heywood Brownはthe N・ew York Tribuneでの書評で“The Ice Palace"を
「[Fitzgeraldは]なにか言うべきことを持っていて,どのように言えばいいかを知っていた
16)ことを突然に納得させてくれる」と最高作に指摘した。
Fitzgeraldは作品の売り込みを通じて各雑誌の性格を把握し,それに応じた作品を考える
ようになる。また,雑誌社との契約を結んでその雑誌社向けの作品を書くことで,他誌に制限
緩和と原稿料値上げの圧力をかける戦略に使うようになった。 “The Smilers"の売り込みは一
般読者の要求を考慮するきっかけとなった。 “Smilers"は大衆誌を意識して書いたが,陰気な
シニスムはSmart Set向きだった。Scribner's Magazine χこ断られ,Reynolds Agencyに売
り込みを依頼するが,うまくいかず自らSmart Setに売り込んだ。「Smart Set以外でシニカ
ルあるいはペシミステックな作品を引き受けてくれる雑誌はないでしょうか。それともどんな
17)に作品の出来がよくても,原稿料の高い雑誌社にはリアリズムは支障になるのでしょうか」と
Oberに作品と雑誌社とのマッチングを尋ねている。“The Ice Palace"で掲載を遅らされた苦
い体験からか,ナチュラリズムの実験作とも言える“May Day" は自らMax Perkinsに「Smart
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F. Scott Fitzgeraldと大衆雑誌.The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby(1925)までの期間
18)旋川句きの中編小説」と指摘し雑誌の性格を把握している。内容は,窮地を脱すべく級友に借
金を依頼するが断られ,泥酔の末脅迫者の女性と婚約,自己嫌悪から自殺用の銃を買う
Gordon。形骸にすぎないとシニカルに描かれる友情。"simple apes" と描かれるデモの暴徒。
以上のようにSmart Set向けの作品ではあるが, Fitzgeraldが一般読者の趣向をも考えてい
ることを見落としてはならない。自殺を扱うシリアスな作品でありながら,一般読者が気に入
る大学生の遊びや酔っぱらいパーティの詳しい描写をしていることである。 Fitzgeraldは以
後Postにもこのような描写を“The Camel's Back"や“Rags Martin-Jones and the Pr-nce
of W-les" で登場させている。
1920年5月27日FitzgeraldはOberを通じてMetropolitanと契約を交わした。内容は
MetropolitanがFitzgeraldのこれから書く6作に先買権(first refusal)を持ち,1作に900
ドル支払う。 もし6作とも拒否された場合には, Fitzgeraldは3作をPostに売る権利を持ち。
㈲その後Metropolitanは次の6作に選択売買権(option)を持つというものであった。
Fitzgeraldは5作提出し, 4作が採用, 1作が不採用になった。採用作品ぱThe Jelly-Bean",
“His Russet Witch!", “Two for a Cent", "Winter Dreams"。 不採用作品ぱThe Curious
Case of Benjamin Button" であった。
MetropolitanがPostより高い原稿料を支払ったのは,販売部数がライバル誌(Collier's,
Red Book, Cosmopolitan, Hearst's International)より少なかったためFitzgeraldの名前に
期待するところが多かったことにある。すでにPostが1年以内で6作買ってくれた実績があ
りながらFitzgeraldがMetropolitanと契約した理由は市場の安定とPostに原稿料をあげさ
せる手段に使ったと思われる,Postの原稿料は400ドルから500ドルになっていたが,
Metropolitanは900ドルを提示した。 Fitzgeraldは作品の需要があり, Metropolitanの発行
部数を延ばしていることを示してPostに圧力をかけたかった。 この効果からか, Postは2部
作“The Popular Girl"(Nov, 1921)を1,500ドルで購入し,1作につき実質250ドル値上げ
した。“The Popular Girl"は15,000語でPost以外では2部の分割掲載は不可能だったが,
Postへの売り込みはOberには容易であった。 1922年のPostは読み物(fiction)が少なく,
100頁以下で1920年のPostの半分の量であった。作家の多くがハリウッドの「泡銭」に走っ
20)だことから掲載小説が少なくなっていたのである。FitzgeraldぱThe Popular Girl"を
「Postもの」とみなし,自らこの作品を“cheap"と言っていた。売却後のOberへの手紙では
「僕は要領が分かり,技巧が巧くなったと思うけど,"The Popular Girl"は僕が初期に雑誌に
書いた作品にあるようなバイタリティがないことにお気づきでしょう‥‥“The Popular Girl"
21)では華麗な作風を捉えることもできず初期の作品で扱ったことを繰り返しているだけです」と,
作品が採用されたことへの驚き, Postへの不信感が窺える。
Metropolitanは制限が緩やかで,同誌への短篇創作はThe Beautiful and Damned創作の
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藤 谷 聖 和
実験となった。同誌は長さや主題で余裕の幅を広くしてくれた。発表作品は長さが3,700語か
ら10,000語で,作風はファンタジイーに近いもの("His Russet Witch!")からリアリス
ティックな作品("The Jelly-Bean"),青春を喪失した哀しいロマンティックな作品
("Winter Dreams")など多彩である。 しかし,陰誉な作品が多くThe Beautiful and
Damnedの雰囲気に類似するものを持っており, Postと比べでunhappy ending"が多い。
Fitzgeraldは,これまでは他誌で不可能であった「愉快でない物語」(unpleasant tales)を
大衆誌Metro)olitanに掲載したのである。 Fitzgeraldは表面的にはMetropolit皿が期待する
フラッパーのストーリーを描いていても,内容的には「失われた青春」に重心を置き,シニカ
ルなストーリーを描く巧妙さを発揮したのである。 例えば,“The Jelly-Bean"は外見はフ
ラッパーのストーリーであるが,酔っぱらって不幸な結婚をするフラッパーのNancyやその
Nancyが求婚にするに値しない女性であることに気づきさえしない,彼女に振られるJimの
状況を捉えるとかなりシニカルな内容であることが分かる。Edmund Wilsonが1922年に
Fitzgeraldの作品批評で語っている「人生の意味なきもの」をFitzgeraldは試みていたので
ある。
大学時代,彼[Fitzgerald]はやるべきこととはエネルギーの爆発によって最後まで自伝的
小説を書くことだと思っていた。が,文学界に入って以来,他の分野が彼の好みになっている
ことに気づいた。つまり,悲劇のほとんどを作り出し, Menckenがいみじくも(人生の意味
22)なきもの」と言ったものである。
FitzgeraldはMetropolitanとの契約を通じThe Beautiful皿d Damnedを構成することにな
る作品を書き,フラッパー以外にもリアリズムの作家であることをアピールした。
同時に,雑誌の性格を把握する姿勢が鋭くなっている。「雑誌が僕から欲しいのはフラッ
パーの物語なんだ。君が“Benjamin Button", "The Diamond as Big as the Ritz"の売り込
23)みで苦労したことが示しているようにね」とOberへの手紙で語っているように雑誌が自分に
要求しているものを把握していた。Metropolitanはファンタジー・モードの“The Curious
Case of Benjamin Button"を「あまりにもとっぴすぎる」と採用しなかったし,フラッパー
作家のイメージを求めるPostからは, "The Ice Palace"の出版を延期されている。すでに,
Scribner's Magazine {ごThe Four Fists"を発表した際に「私はこの作品を死にものぐるいで
一晩で書き上げました。3インチの厚みの返却の伝票があったからです。経済的にもその雑誌
24)が好むものを与える必要があったのです」と述べており雑誌に対応する姿勢を作り出していた。
“The Diamond as Big as the Ritz"ではFitzgeraldは読者のことを考え,大衆誌は買ってく
れると期待したが裏切られた。作品は娯楽性や工夫に富んだプロットであるが,強い物質文明
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F. Scott Fitzgerald と大衆雑誌:The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby(1925)までの期間
への批判かおり大衆誌向きの作品ではない。(物質主義と20世紀ピューリタニズムの結合はい
25)いことであると信じるPostの読者には作品の結末は感動的ではない」ことを知らされた。
26)Fitzgeraldはこの作品を「自分自身の楽しみのために書いた」と言っているが,実際はOber
27)に「絶対にPost向きの2部からなる作品を終えるところです」と書いているようにPostへの
売り込みを意図していた。Postの不採用を知るとΓThe Diamond in the Skyについて。 Post
に断られたのは残念です。McCall'sのBurton RascoeあるいはHarry Sellならば関心を向
28)けてくれるかもしれません」とMcCalVsへの売り込みを提案し期待したが,結局は断られ
Smart Set iこ300ドルで売却された。これらの苦い体験がFitzgeraldにPostでの短篇創作全
盛時を生み出したのである。
Ill Tales of the Jazz AgeよりThe Great Gatsbyへ
1922年9月に短篇集第2作Tales of the Jazz Ageが出版された。第1作のFlap)ers and
Philosophersで作品の不均等が指摘されたが, Tales of the Jazz AgeをみるとFitzgeraldの
多彩な作風を捉えることができる。集録された作品は11作で,大きく分けるとフラッパーを
扱う軽いものと幻滅感を扱うシリアスなものの2種類であるが, Fitzgerald自身は目次で3
部に分類している。
・ My Last Flappers :“The Jelly Bean," "The Camel's Back," "May Day," "Porcelain and
Pink"
・Fantasies :“The Diamond as Big as the Ritz," "The Curious Case of Benjamin
Button,""Tarquin of Cheapside," "O Russet Witch!"
・Unclassified Masterpieces :“The Lees of Happiness," "Mr. Icky," "Jemina"
Flappers and Philosophersを出版後2年の間隔しかなく, Fitzgeraldは定価1ドルフ5セン
トの短篇集Tales of the Jazz Ageに集録するのに十分な作品数がなく, Princeton大学時代
にNassau Literary Magazine χこ発表した作品("Jemina,"‥Tarquin of Cheapside")や
Fla)pers and Philoso)hersで漏れた作品(“TheCamel's Back," "May Day," "Porcelain and
Pink," "Mr. Icky")で補充した。その一方でFitzgeraldが“cheap"として選から外した作品
("Myra Meets His Family", "The Smilers" "The Popular Girls")もあった。 Fitzgeraldは
シリアスな作家としてのイメージを保つために短篇集のタイトルにもこだわった。 “Youth
and Death"や“In One Reel", "Sideshow"のタイトルが用意されたが, Fitzgeraldはシリア
スな作家としてのイメージを壊さないタイトルとしてTales of the Jazz Ageを考え出し,
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Scribnersの反対にもかかわらずこれを採用した。
Tales of the Jazz Ageの評価は大半が好意的であった。Jackson R. Bryer編集のF. Scott
Fitzgerald・The CriticalReputationに37の批評が掲載されているが, Bryant Mangumの
29)分析によれば21が好意的で, 6が半々, 10が反好意的であった。一部を紹介するとRobert
30)Garlandは「短篇の世界は若きFitzgeraldの文学的安全弁となった」と好意的な指摘。 “The
Camel's Back"どMay Day"を取りあげてFlappers and Philosophersでのように作品の不
31)均等を責める指摘。「一般大衆の太陽が照っている間にお金という干し草を作っている」と
Fitzgeraldが高額な原稿料を得ていることへの非難。(すべてのFitzgeraldの登場人物の口の
32)前に燃えているマッチを持っていけば,青白い炎となって燃えるだろう」と作品に反映してい
るJazz Ageのモラルへの不満も示されている。 この短篇集の売れ行きは好評でFitzgerald
に1922年で3,056ドルの印税をもたらした。
2作の短篇集を見ると,3年間でFitzgeraldが手法や題材においていかに進歩を遂げたか
を窺うことができる。作風も娯楽性("The Camel's Back," "The Offshore Pirate")から教
訓("The Four Fists,""The Cut-Glass Bowl"),リアリズム("The Lees of Happiness,"
“May Day"),ファンタジー("The Diamond as Big as the Ritz,""0 Russet Witch!")と多
岐にわたる。
1922年12月26日FitzgeraldはCosmopolitanと契約を交わした(作品はHearst's
Internationalに掲載)。協定では, Cosmopolitanは1923年中にFitzgeraldの書いた作品に
対する選択売買権(option)として1,500ドル支払い, 1作につき1,875ドルで購入し,少な
33)くとも6作は採用するという内容であった。採用作ぱDice, Brassknuckles & Guitar"や
“Hot&ColdBlood", "Diamond Dick and the First Law of Woman", “The Baby Party"の
4作品。“ The Sensible Thing'"どRags Martin-Jones and the Pr-nce of W-les"は他の
作品“Diamond Dick and the First Law of Woman", “The Baby Party" と交換された。不
採用作品ぱOur Own Movie Queen" (Zelda作)どOne of My Oldest Friends"であった。
CosmopolitanがFitzgeraldに気前よく1作1,875ドル支払ってくれたのは社内事情による。
掲載誌Hearst's Internationalは発行部数20万部を目指しており,そのためにPostをまね
て短篇小説を組み入れたのである。 1922年にはPostの作家Ring LardnerやIrvin S. Cobb,
Clarence Budington Kelland の作品を載せるようになっていた。
Hearst's InternationalでFitzgeraldはこれまでMetropolitanやCollier's, Chiago Tribune
で発表してきた作品から方向転換をし,初期にPostで掲載したような作品にもどった。
“Dice, Brassknuckles & Guitar"ではHearst'sは「Fitzgeraldの典型的な作品」,
34)「Fitzgeraldは青春を鏡に写す」と見出しに書いた。確かに作品は題材を初期のフラッパーも
のでうけた青春と富を扱っており,社交界に登場する18歳の美人フラッパーAmanthisを描
-Ill-
F, Scott Fitzgerald と大衆雑誌: The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby (1925)までの期間
いているが,他方ではThe Great Gatsbyのモチーフとなる金持ちの冷淡さや女性のために失
敗する若者を描いている。このようなところに読者を喜ばせる“writer"としての技術の向上
と同時に,時代を覚めた目で捉える“novelist"としての成長が窺える。 “Hot&ColdBlood”
は感情破綻を扱うシリアスな作品であるが, O. Henry的なひねりのある作品である。
“Diamond Dick and the First Law of Woman" は娯楽性に富む作品で,記憶喪失に陥った
男が正気に戻ったとき妻がずっと自分の回復を待っていてくれたことに気付くストーリーで,
過去のロマンスを繰り返そうとするThe Great Gatsbyのモチーフを持っている。 しかし,
Oberへの手紙でこの作品は(良くは思えない。あるムードと筋で始めたのが他のもので終
35)わってしまった。[|コ間のどこかに二つの結びつきを示すところがある]と構成上の欠点に
Fitzgeraldは気付いていた。 Cosmopolitanから断られた作品としでThe Sensible Thing'"
がある。契約を念頭において,若者の恋や成功物語という「大衆的なもの」を描いているが,
シリアスな一面を混ぜたのが原因か,断られている。LibertyぱThe Sensible Thing'"に
1,750ドルを支払い(青春,その苦さと甘さ,悲しい別れとうれしい再会,情熱と打算-こ
36)れらすべてがこの温かく多彩で人情味のある短篇にある」と見出しをつけ, Fitzgeraldを青
春を描く作家として読者に売り出した。 “April is over, April is over. There are all kinds
of love in the world, but never the same love twice."と嘆くGeorge O'Kellyの悲痛は
The Great Gatsbyのモチーフ「繰り返すことのできない時間」となる。“Rags Martin-
Jones and the Pr-nce of W-les" もCosmopolitanに断られ, McCall'sに掲載された。 “The
Offshore Pirate"を下敷きにしたフラッパーもので,フラッパーと彼女につくす若者やお互い
の愛情が描かれており読者の関心を意識した作品である。1927年には200万部を発行した女
性誌訂cCaU'sはこの作品を「フラッパーを発見した作家は,フラッパーが本物のプリンスに
出会ったときにいかに振る舞うかをこの作品,つまり,今日の最高のラブ・ストーリーで描い
37)だ」と見出しをつけ同作品に1,750ドル支払った。
雑誌への掲載はThe Great Gatsbyへの手法やテーマを提供してくれた。 Mangumが指摘
するようにFitzgeraldは(Cosmo)olitanとの契約でGatsbyとDaisyの関係に見られる
“wealthy insider/poor outsider"のテーマをみがき, Postはアメリカの夢について学習成果
38)を吐き出す場所となった」のである。 Fitzgeraldはフラッパーからアメリカの夢に焦点を移
して読者の関心を誘った。 これには先ず読者の需要が有ったはずで, 1924年のPostを分析し
たPottsの意見を見てみたい。
1924年のPostを見ると,[編集長]Lorimerは客層の関心をヨーロッパからの移民,ヨー
ロッパへの経済的援助,信用取引効果などの国内問題にあると捉えた。Postはマスメディ
アや娯楽,ラジオ,ブロードウェイの劇,ハリウッド,ボードビルやミュージカル・コメ
-112-
藤 谷 聖 和
ディのタレントに興味を持っていた。 1924年3月15日号の小説ではこれらへの興味を扱う
多くの小説が掲載されている。例えばGeorge Agnew Chamberlain の“Up from Heaven"
は演劇関係の人々の間のロマンスや成功,失敗を描いている。その他,向う見ずで若い特権
階級の人々を描いた作品, Postのスタンダードとなっている兵士や水夫,農夫の青年,開
拓者のようなタフで元気旺盛な若者を描いた作品がある。1920年のPostと比較して,ビジ
ネス・ロマンス,つまり,才能とやる気のある若者が経済的成功を納め女性をも獲得するス
トーリーが多くなっている。 Fitzgeraldの“Gretchen's Forty Winks"はその類のPost作
39)品第1号である。
アメリカの夢を描いたFitzgeraldのビジネス・ロマンスにぱGretchen's Forty Winks"
(Post, 15 March 1924 ; $1,200), "The Third Casket" (Post, 31 May 1924; $1,750), "The
Unspeakable Egg" (Post, 12 July 1924 ; $1,750), "John Jackson's Arcady" (Post, 26 July
1924; S 1,750)の4作かおる。これら4作に共通のキイー・ワードは「努力」,「競争」,「富」,
「幸せな家庭」などアメリカの夢に結びつくものである。 “Gretchen's Forty Winks"では主人
公は成功のために40日間を犠牲にし,その結果成功し,富や健康,妻からの敬意を得ること
ができる。 “The Third Casket"では65歳のビジネスマンが3人の共同経営者の息子に,自
分の地位と娘を賭けさせる。3人の中でもっとも成功の見込みなしの南部人がやり手であるこ
とを証明して勝つ。 “The Unspeakable Egg"は社会秩序の上では金持ちでさえも幸福をつか
むためには創意工夫をしなければならないことを示す。勤労と成功の倫理を示し,愛情をつか
むためにも必要で有ることを訴えている。“John Jackson's Arcady" はピークを過ぎた感じる
ビジネスマンの悲しみを描く。これらの4編ではフラッパーから離れて勤労こそが万能薬とい
う信仰を肯定するアメリカの夢を描き,読者もビジネスマンに興味を持つ読者だけに絞ってい
る。
The Great Gatsbyでは「アメリカの夢」と「GatsbyとDaisyの愛情」が作品の縦糸と横
糸になっている。上記の4編がアメリカの夢を描いているのに対して「GatsbyとDaisyの愛
情」物語の修作になっているのが“Winter Dreams" (Metropolitan, December 1922 ;$900)
である。 FitzgeraldはPerkinsへの手紙で「Gatsbyへの初めての草稿」と書いていることか
らも明らかなようにDexter Green とGatsbyとの類似点,すなわち,富を目指す動機として
の金持ち娘への恋に両作品の類似が見られる。
Fitzgeraldが1922年3月のThe Beautiful and Damned出版以後Tales of the Jazz Age出
40)版までの6ヶ月間で書いた作品ぱWinter Dreams"だけであった。この期間中Fitzgerald夫
妻は故郷Minnesota州St. Paulに滞在し,この夏ぱWinter Dreams"の舞台となるWhite
Bear LakeのWhite Bear Yacht Clubで過ごしている。8月には彼らの騒々しいパーティが
-113-
F. Scott Fitzgerald と大衆雑誌: The Smart Set(1919)からThe Great Gatsby(1925)までの期間
他のメンバーの気分を害しているからと出ていくように言われる。 すぐにNew Yorkに帰る
心の準備はできていたが,立ち去りがたいものがあり,そこに居続け, 9月に“Winter
Dreams"を書き上げたのである。 New Yorkに戻りGreat Neckに家を探すまで,滞在した
のがThe Great Gatsbyの舞台になるthe Plaza Hotelで,言うなれば, FitzgeraldはThe
Great Gatsbyへとつながる道を自ら歩んできたことになる。
TV Fitzgeraldの姿勢
The Great Gatsbyに至るFitzgeraldの作品群を見てみると2つの方向を捉えることができ
る。アメリカの夢の礼賛とその否定である。一方では勤勉,工夫,努力というアメリカの夢の
要素とその到達点である上流階級を象徴するフラッパーを描きながら,他方ではアメリカの夢
を荒れ地のイメージで描いている。この2つの方向はFitzgeraldの私生活にも捉えられるこ
とで, Fitzgerald自身はアメリカの夢の結実である成功を大いに味わいながら,一方ではア
メリカの夢を批判の目で捉えて作品に反映させている一面がある。ここにFitzgeraldの
“writer"どnovelist"としての姿勢を捉えることができる。
Fitzgeraldの描いたアメリカの夢とフラッパーは時代の要求に応えるものであった。雑誌
が唯一の娯楽であった絶好の時期にFitzgeraldは若者のスポークスマンとして登場した。飲
酒や喫煙,断髪,新しい形の男女交際などフラッパーに象徴される時代の風俗や悲しき若者に
象徴される勤勉,努力というアメリカの夢の要素を雑誌の短篇に描いたため需要が増大し,読
者はFitzgeraldをフラッパーやアメリカの夢を描ぐwriter"として捉えた。作品や作品の映
画化権などからの収入が増大したが, Fitzgeraldぱnovelist"として有名になりたい願望が
あった。 しかし, "May Day"のようなシリアスな作品はSmart Set PI外に採用してくれる雑
誌はなく,大衆誌でシリアスな内容を描くには外面をフラッパーやアメリカの夢で包み,さり
げなくシリアスな内容を描かなければならなかった。 “The Diamond as Big as the Ritz"で
のように作品をファンタジーのオブラートに包んでも,あからさまなアメリカの夢への批判が
あると大衆誌は採用してくれないこと,また,同じ雑誌社でも,たった一晩で書き上げた
“The Camel's Back"のほうが娯楽性に勝るだけで自分では最高作と思ったThe Ice Palace"
よりも100ドル高い原稿料をもたらしたことも苦い体験であったが,雑誌への創作姿勢をつけ
させてくれた。言うなれば, Fitzgeraldぱwriter"を装いならがら“novelist"としての主張
をさりげなく実行するようになった。 1920年にFitzgeraldはOberに(僕の書いた小説,少
41)なくとも第1作は短篇でのようなものではない」と言っているが,両者には相互関係があり,
短篇でのさりげないアメリカの夢の批判は小説にも反映されている。フラッパーの華やかさの
中に隠された金持ち階級の冷淡さはThe Great GatsbyのDaisyに,そしでWinter
-114-
藤 谷 聖 和
Dreams"のDexter Greenや“'The Sensible Thing'”のGeorge O'kellyが求めたアメリカ
の成功の夢の結果はGatsbyの死や灰の谷に見られる荒れ地のイメージで描かれた。短篇のな
かに隠されていた主張が積み重なり,それらが小説を構成している。
・ゝ;王
1 ) John A. Higgins, F. Scott Fitzgerald: A Study of the Stories (New York: St. John's
University Press), Stephen W. Potts, The Price of Paradise: The Magazine Career of F. Scott
Fitzgerald (California: San Bernardino, 1993), Jackson R. Bryer, ed.,The Short Stories of F.
Scott Fitzgerald: New Approaches in Criticism (Madison: University of Wisconsin Press,
1982), Alice Hall Perty, Fitzgerald'sCraft of Short Fiction: The Collected Stories 1920-1935
(Tuscaloosa: The University of Alabama Press), John Kuehl, F. Scott Fitzgerald: A Study
of the Short Fiction (Boston : G. K. Hall & Co. Twayne Publishers, 1991), Bryant Mangum,
Fortune Yet: Money in the Art of F. Scott Fitzgerald's Short Stories (New York: Garland
Publishing,1991)等の研究書が出版されている。
2) John Kuehl, Jackson R. Bryer, ed., Dear Scott/Dear Max: The Fitzgerald-Perkins Corre-
spondence (New York : Scribners, 1971), p. 28.
3) Ibid.
4 ) Stephen W. Potts, The Price of Paradise (California: San Bernardino, 1993), p. 16.
5) Ibid.
6 ) Guy J. Forgue, ed., The Letters of H. L. Mencken (New York : Knof, 1961), quoted in Potts,
16.
7 ) Matthew J. Bruccoli, As Ever, Scott Fitz-:Letters Between F. Scott Fitzgerald and His Literary
Agent Harold Ober 1919-1940 (London : The Woburn Press, 1973), p. 5.
8 ) Potts, p.22.
9 ) John Tebbel, George Horace Lorimer and the Saturday Evening Post (New York : Doubleday,
1948), quoted in Potts, p. 14.
10) Ibid.
11) James Playstead Wood, Magazines in the United States,Third Edition ( New York : Ronald
Press, 1956), p. 152. quoted in Potts, p.14.
12) As Ever, p. 8.
13) F. Scott Fitzgerald, "The Offshore Pirate,"Post (29 May 1920), p. 10
14) As Ever, p. 6.
15) Edmund Wilson, "Thoughts on Being Biographed," Princeton University Library Chronicle,
Feb. 1944, p.54.
16) Heywood Brown, "Books," New York Tribune ( 1 November 1920), p. 10. Reprinted in F.
Scott Fitzgerald: The CriticalReception, pp. 45 - 46.
17) As Ever, p. 7.
18) Dear Scott/Dear Max, p.29.
19) Potts, p.35.
20) Tebbel, p. 78.
21) As Ever, p. 34.
-115
F. Scott Fitzgerald ti\^WM- : The Smart Set (1919) frb The Great Gatsby (1925) SfOfflFal
22) Edmund Wilson, The Shores of Light, p. 32.quoted in Mangum, p. 36.
23) As Ever, p. 48.
24) Andrew Turnbull, ed., The Letters of F. Scott Fitzgerald (New York : Scribners, 1963),
p. 462.
25) Bryant Mangum, Fortune Yet: Money in the Art of F. Scott Fitzgerald's Short Stories (New
York : Garland Publishing, 1991), p. 40.
26) F. Scott Fitzgerald, Tales of the Jazz Age (New York : Scribners, 1922) p.viii.
27) As Ever, p.27.
28) Ibid.,p. 29.
29) Jackson R. Bryer, The CriticalReputation of F. Scott Fitzgerald (Hamden, Conn: Archon,
1967), pp. 40-47. Mangum, p. 45.
30) Bryer, F. Scott Fitzgerald: The CriticalReception (New York : Burt Franklin, 1978), p.139.
31) Ibid.,p.162.
32) Ibid.
33) As Ever, p. 51.Ledger, p. 55 K(i "option" # 1,500 K;i/, UWf-aaii^tl^tl 1,500 K^i|H!l$
tlT^So LfrU Ober^bM*>/l*l^*ii64a/; Fitzgerald OiiflttfBI-ettlfp 1,750 K^iffi
x.T^-5o Mangum (i Ledger cfgll^IE I ^ £ LTtbSPSI^ 1 ft 1,500 K*iLtfc5, Potts
tt Fitzgerald cSIS* t> £ic 1 ft 1,750 K ;l/£ LtH 5O UfffiT' c f 1 ft 1,750 K ^J tt,
Fitzgerald #* 1 ft 1,500 K^illit^ L, "option" 1,500 K.<i/£i^$U!itc 6 ftT'ilH fc 250 K
*%SLt r 1 fp 1,750 K;id £Jgx.fcc*>t> Ltl^^o Ledger T1ffl±f3 cIfc^fBilttiESffiitt
I'^II^o Fitzgerald @#cIBsl£ Bruccoli c&R£ffe bfcffMtt^R 5^i /,£S*i, Bruccoli
Fitzgerald : "Iam enclosing you here with the letter from Ray Long. As you see,including
the option it amounts to $ 1,750.00a story which seems to me a fair price."(As
Ever, p.51.)
Bruccoli : "On 26 December 1922 Fitzgerald contracted with Cosmopolitan for an option on
all his stories written during 1923 Under the terms of the agreement,
Cosmopolitan was to accept at least six stories. Cosmopolitan paid $ 1,500 for
the option and agreed to pay $ 1,875 for each story. {As Ever, p. 51.)
34) Hearst's, May 1923, p.8, p. 145.
35) As Ever, p. 55.
36) Fitzgerald, " 'The Sensible Thing,'" Liberty,5, July, 1924, p. 10.
37) Fitzgerald, "Rags Martin-Jones and Pr-nce of W-les," McCalls, July, 1924, p. 6.
38) Mangum, p. 47.
39) Potts, p.44.
40) CcJfflFHiiC§i§^$;ilTi<'>SffDD"Two for a Cent" 'P "The Curious Case of Benjamin Button",
"The Diamond as Big as the Ritz" liCtlk <0KlmK9frti~£^5o
41) As Ever, p. 9.
116-
re
).