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40代で肺気腫を発症

 私は今年65歳になりますが,肺気腫と診断されたのは46歳のときでした。風邪をひいて調子が悪かったので近くのかかりつけの診療所へ行ったところ,肺の画像をみた診療所の医師から大きな病院を受診するように勧められたのです。そこで紹介状を書いていただき,呼吸器内科が大変有名な公立陶生病院を受診したところ,谷口博之先生に肺気腫と診断され即刻入院となりました。経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)の値がかなり下がっていたようで,「このままでは余命3ヵ月」と言われ,家族が集められる事態となったことに大変驚きました。谷口先生には主にタバコが原因と言われま

した。確かにそれまで20年ほどタバコを吸っていましたが,本数としては1日10本程度でしたし,最初はそのような病気であることが信じられない思いでした。ですが,思い返してみれば確かに階段を上るのがつらく,同僚が軽々と階段を上っていく隣で休みながらでなければ上ることができず恥ずかしい思いをしていました。また,私は10代の頃から父の左官業の仕事を手伝っており,現在は禁止されている石綿(アスベスト)の吹付け作業に数年にわたり携わっていました。現場はセメントの粉塵が舞っている環境でしたし,今のように高機能のマスクなどなくタオルを巻いて仕事をしていましたから,肺には相当に負担をかけてきたのだと思います。アスベストによる中皮腫の典型

的な所見はみられないとのことでしたが,過去に受けた健康診断の結果を取り寄せて調べたところ,じん肺管理区分が管理2であったことが判明し,後からじん肺の診断がついて労災認定を受けました。

HOT・NPPVを使用し活動的な生活を維持

 余命3ヵ月と言われた入院を乗り切り,無事に退院することができましたが,当時の私は働き盛りの40代でした。在宅酸素療法(HOT)の使用や障害者手帳の申請について説明を受けても,「そんなことでは仕事ができない」と1年ほどは意地を張って拒みました。しかしやはり身体がつらいのです。谷口先生に「この病気は一生付き合っていかなければならない」と言われたこともあり,HOTの導入を決意し障害者3級の認定を受けました。

 HOTを導入した当初はまだ若かったこともあり,装着している姿を見られることが恥ずかしく,皆が自分のことを見ているように感じました。携帯用の酸素ボンベを持って外出しても車の中に置いて出掛けることが多かったです。酸素を着けて出掛けることに抵抗がなくなったのは,「自分の身体のことなのだから向き合っていかなければならない」と思い直したことと,今年15歳になる息子の存在が大きかったと思います。まだ幼かった息子と一緒に出掛けたいという気持ちが活力になりました。それからは映画館に魚釣り,東京ディズニーランドやディズニーシー,大阪のユニバーサルスタジオジャパンにも酸素ボンベを背負って行っています。背負ってというのは,酸素ボンベのカートの操作が苦手であるため,リュックサック型にしているからです。総重量が6㎏ほどありますので,「重い物を背負って大変ではないの?」とよく聞かれますが,両手が空くので活動しやす

100( 328 ) THE LUNG perspectives Vol.24 No.3

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患者から医師へのシグナル ・第74回・

病気があっても人生を楽しもう!三み

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