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堀辰雄 『 燃ゆる頻』 d R - RNg[ a 堀辰雄の 比較的初期の 短編で ある『 燃ゆる頬』 ( o「 カリtH」 一 九三二 一 )ヘ'ê オホノネèwZ が' ュNッmフッォ、゚「 スðツð を遂げる物語である。アフ ャàフ^C -ェ 'w ÷フフ ォxニ 『 ドルジェ ル伯の 舞踏会』を遺して二十歳で急逝したフランスの 作 家レイモンエ フ ディゲの 詩集『 燃える頬』に 由来するこ とは夙に知 られている。チヲト、xCYフ ノワワêéw Ray mon di g sJoues , 1 には、ヌ ue tdLe e nf eu . . Gr a ss et . 7 9 25 - の跡を示す堀による書き込みを少なからず見出すこともできる。 / ll さて、xCYニfBQフヨWノツ「トヘスニヲホ 詰将棋のごとき展開を見せる心理小説『 聖家 知性の 作家であるラディゲ、ニ -ノサフw hWF - l の 影響が見出せると述べたほか、]ûヒェ 'w hj ズ』と『麦藁 帽子』 'w hWFフ・ï 『 肉体の 悪魔』と『 水族館』の間に'サêシê¥ 類似を見出せると指摘したうえで'xノィッéf ' 本質的とい うよりむしろ 表面的な模倣に 近い と論断してい る 。 このように'fBQフ eソヘärI-ゥ にのせられてきた問題であっ た。オゥオサêノàSçク る頬』について'ッカñ 世紀初頭のフランスの作家ブルース-フ 影響が論じられることはあっ て も 'fBQフ eソェ_カçêスア とはほとんどない 。 ところで村松走孝はさきの 論稿の なかでラディゲと堀について、 四一

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堀辰雄

『燃ゆる頻』論

dR -

コクトーからラディゲへ1

a

堀辰雄の比較的初期の短編である

『燃ゆる頬』 (初出

「文蛮春秋」

一九三二

一)は'

一七歳になり高等学校の寄宿舎に入った

「私」

が'少年同士の同性愛めいた交渉を経てやがて「少年時からの脱皮」

を遂げる物語である。この小説のタイ -ルが '『肉体の悪魔』と

『ドルジェル伯の舞踏会』を遺して二十歳で急逝したフランスの作

家レイモン

エフディゲの詩集

『燃える頬』に由来することは夙に知

られている。加えて、堀辰雄の蔵書に含まれる

『燃える頬』の原書

Raymon

dig

sJoues

,1

には、読書

ue

t‥Le

enfeu..Grasset.79

25-

の跡を示す堀による書き込みを少なからず見出すこともできる。/ll

さて、堀辰雄とラディゲの関係についてはたとえば村松走孝が、

詰将棋のごとき展開を見せる心理小説

『聖家族』の図式に、秩序と

知性の作家であるラディゲ、と -にその

『ドルジェル伯の舞踏会』

-l

の影響が見出せると述べたほか、江口藩が '『ドニーズ』と

『麦藁

帽子』'『ドルジェル伯の舞踏会』と

『聖家族』および

『莱穂子』'

『肉体の悪魔』と

『水族館』の間に'それぞれ表現レベルにおける

類似を見出せると指摘したうえで'堀におけるラディゲの影響は '

本質的というよりむしろ表面的な模倣に近いと論断している。

このように'ラディゲの影響は比較的早-から堀辰雄研究の狙上

にのせられてきた問題であった。しかしそれにも拘らず小説

『燃ゆ

る頬』について'同じ二〇世紀初頭のフランスの作家ブルース-の

影響が論じられることはあっても 'ラディゲの影響が論じられたこ

とはほとんどない。

ところで村松走孝はさきの論稿のなかでラディゲと堀について、

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四二

以下の興味深い指摘を行

っている。

(梶-引用者注)のこ ,ろにはジャン

・コクーオとラディゲ

との関係を師芥川と自己との上に聯想するものがあったのでは

なかつたろうか。 (略)堀辰雄はこの巴里の早熟な天才に芸術

的羨望を砲-と同時に

(略)コクーオがラディゲを愛した如-

に芥川に可愛がられている自分を、そのステレオタイプにはめ

込んでみたいような淡い感傷にひたつたかもしれない。

コク-1が若いラディゲを世に出し、その庇護者の役割を積極的

に引き受けていたことは有名だ。そして、ブルースーやリルケの熱

心な読者となる以前の堀が熱烈に受容していたのがコクトーである

こともまた、よ-知られている。

ともあれ同性愛のテーマを有する

『燃ゆる頬』から、「ソドムと

ゴモラ」を含むブルース-の大河小説

『失われた時を求めて』を想

起するのは、故なきことではない。加えて堀が

『失われた時を求め

て』の主要な登場人物の

一人であるソドミスーのシャルリユスに強

い関心を寄せていたことも事実だ。しかし同性愛のテーマは言うま

でもな-

『失われた時を求めて』に特有のものではない。たとえば

コクトーの小説

『自書』には、そのテーマが少年愛の形、すなわち

『燃ゆる頬』に

一層近似した形を取

って登場するのを、我々は容易

に見出すことができるのだ。

堀の小説修業の初期段階を支えた二人の作家-

コク-1とラデ

ィゲ

の影響が

一つところに刻印された点に、『燃ゆる頬』の特

t

色の

一端が指摘できると塙者は考えている。以下、『

燃ゆる頬』とジャン・コクトーの小説

一高等学校を卒業し東京帝国大学に入学した当時'すなわち二

十代の堀をも

る。

一九二五年

一一

うにコクー

燃ゆる頬』に

おけるコクトーとラディゲの影響を具体的に探ってみたい。

とも熱中させた作家の

一人がジャン

・コクトーであ

月八日付、神西清宛て堀辰雄書簡にも以下のよ

Iの名が記されている。

僕はすっかり

auriceBarresに熱中しさうだ。今夜から。

M

Jarinsu

I.Oonte..に音-つかうと思ふ。 (略)これが済んだ

d

r

r

らAnr6Gideだ。それとも

d

Jea

Cocteauにしようかな。

n

どうだい。たいしたもんだらう。

こう宣言した堀は翌

一九二六年頃よりフランス語の勉強を兼ねて

『白書』U

n

・・・-

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精力的にコクトー

の翻訳紹介を行い、その成果を

一書にまとめ厚生

閣書店より

一九二九年四月、『コクトオ抄』として上梓した。コク

トーが堀における初期フランス文学受容の中核にいたのは明らか

だ。渋滞龍彦は堀辰雄とコクトーの関係について以下のように発言

uT・

している。

断定的な口調で、堀辰雄と

『大股びらき』との密接な関係を

云々するのは、もちろん、私自身が

『大股びらき』を日本語に

翻訳するという経験を味わったことがある人間だからである。

全文を頭のなかにしっかりと刻みつけるほど、繰り返し繰り返

し読んだことがあるからである。そのために、私は堀辰雄の初

期の作品、『不器用な天使』や

『ルウベンスの偽画』や

『燃ゆ

る頬』や

『聖家族』のなかに、コクトーの影響を容易に発見す

ることができるようになった。

一般のひとには気のつかない片

言隻句のうちにも、ちょっとしたレトリックのうちにも、「は

はあ、これはコクトーだな」と、ぴんと反応することができる

ようになったのである。自慢するわけではないが、これは私だ

けの特権であろう。 (傍線引用者、以下同じ )

これが

『燃ゆる頬』にコクトーの影が見出せることを指摘した貴

重な発言であることは間違いない。しかし残念ながら、『燃ゆる頬』

とコクトーの関係についての具体的な言及は

一切行われていない。

のみならず現在に至るまで、堀研究においてそれが精査されたこと

がないのは、『燃ゆる頬』とラディゲの場合同様である。本節では、

渋滞が示唆に留めた

『燃ゆる頬』とコクトーとの関係の開明を試み

い。

さて渋滞はさきの発言のなかで、『燃ゆる頬』を含め堀の初期小

説にはコクトーの小説

『大股びらき』の影響が見出せるとしていた。

実際、以下に示すように

『燃ゆる頬』の表現が少なからず

『大股び

らき』のそれに負うものであるのは明らかだ。

(ジャック -引用者注 )の母は、イタリアめぐりのおかげ

で多少放心しているとはいえ、同じ自分の息子を連れて帰って

きたものと信じていた。ところが彼女は、違う息子を連れて帰

って来たのであった。そしてこの脱皮が行われたのは、まさし

-、ヴェニスにおいてである。 (渋滞龍彦訳

『大股びらき』「-」、

東京創元社版

『ジャン

・コクトー全集第三巻』 (一九八〇・六)

所収 )

ジャックは大学生資格試験の準備中だった。 (略)彼の両親

(略)息子を、レストラバード街の大学教授ベルラン氏の家

四三

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へ下宿させた。 (略)//

(略)お向いの部屋には、気の弱そ

うな、しかし可愛い顔をした年少の学生が住んでいた。彼はち

び君という愛称で呼ばれていた。 (略)//最後の部屋は、乱

r

雑きわまりない部屋だった。 (略)難破船のようなその部屋に

は、幅跳びの選手ピーター・ストップウエルがおさまりかえっ

ていたのである。 (『大股びらき』「 2」)

もしも幅跳びが、ピーター・ストップウエルの体を、下手に

撮られた写真のようにひょろ長 -してしまわなかったならば、

彼はギリシャ型の美丈夫だったに相違ない。 (同右 )

私の両親は、私が彼等の許であんまり神経質に育つことを恐

れて、私をそこの寄宿舎に入れた。 (略)それによって、私の

少年時からの脱皮は、気味悪いまでに促されつつあった。 (『燃

ゆる頬』 )

魚住と云ふ上級生は、私の倍もあるやうな大男で、円盤投げ

の選手をしていた。グラウンドに出ているときの彼は、その頃

私たちの間に流行していた希服彫刻の独逸製の絵はがきの一つ

の、「円盤投手」と云ふのに少し似ていた。 (同右 )

しかし

大股びらき』以上に

『燃ゆる頬」のなかに影響がはつき

四四

りと刻印されている小説がある。それが、コク -1の

『自書』

(。LeLivrebJanc‥)だ。『自書』は

一九二八年、わずか二 1部の限

定本として無署名の秘密出版という形で刊行され、のちにコクトー

自身による

七枚のデッサンを伴い、 1九三〇年、 bitiosdu

Signeから四四四部限定で上梓された。

「記憶をたどってゆ -と官能に理性の力がまだ働きかけぬ年ごろ

でさえ、わたしには少年愛の痕跡が見あたるのだ」という

一文で始

まる

『自書』は、同性愛者としての

「わたし」の自己確認、自己確

立の物語である。青年たちとの交渉を重ね、相手を、そして自分を

も不幸にさせていった

「わたし」は、海辺で出会った青年

を結核

で失ったのち、おそろしい孤独を抱え、ついに旧知の女性

嬢と婚

約する。しかし

嬢の弟を見るや

「わたし」は、同性愛者としての

自己のあり方がもたらすに違いない悲劇を予感する。「わたし」を

奪い合う姉弟の争いは、弟の自殺で幕を閉じた。再び死の悲しみに

身を置 -こととなった

「わたし」は修道院に向う。だがそこでも美

し-若い修道士を見出してしまった

「わたし」は、『自書』そのも

のを思わせる

「書物」を残し、世を離れる決意をする。このように

『自書』は、 7貫した同性愛者の (ヰタ

・セクスアリス )とでも言

うべき内容の小説である。

l

ちなみにフランスで限定出版されたこの書を堀が播読した証拠に

S

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('f

は、以下の葛巻義敏宛て堀辰雄書観を挙げることができる。

コクーオの本を有難う。おかげで出発が遅れた。 (一九三

年四月二日 )

五月にちょっと東京に帰るかも知れぬ。そのとき又コクーオ

「白い本」を借りたい。 (同年五月五日 )

引用文中の

「白い本」が、『白書』の原題 4'LeLivre(本) bfanc

(白い )。を邦訳したものであることは言うまでもない。

さて語り手の学校生活と少年愛。生徒たちから

一目置かれている

大人びた青年への想い。彼との教室での二人きりの気まずい一時。

級友の死。その友とよ -似た別の青年との出会い -。これらはいず

れも

『自書』と

『燃ゆる頬』とが共有する物語のパーツだが、のみ

ならず両者には、その表現についても以下のような類似が指摘でき

わたしは

コンドルセ高等中学の第三学級に入学した。

(略)/教室には、ガス、白墨、精液の匂いがしていた。それ

らが混ざりあってわたしに吐気を催させるのだった。 (「白書』 )

それにしてもエロナスムは止めの

一撃を受けてしまったわけ

だ。 (同右 )

私は十七になった。そして中学校から高等学校へはひつたば

かりの時分であった。 (『燃ゆる頬』 )

二階の寝室はへんに臭かつた。その汚れた下着類のにほひは

私をむかつかせた。 (略)/かうして私の脱皮はすでに用意さ

れつつあった。そしてただ最後の

一撃だけが残されていた。 -

-

(同右 )

『燃ゆる頬』がその生成過程において

『白書』を摂取したことは

疑い得ない。しかし、『燃ゆる頬』が

『白書』の影響を受けている

という

一つの新たな事実とともにここで注目したいのは、『燃ゆる

頬』の改稿過程に、同性愛者の (ヰタ

・セクスアリス )としての

『白書』の影響から離脱する素振りも見られることだ。以下の引用

は、初出

『燃ゆる頬』に見られ、のちに削除された件である。

-

私は、私と彼

(三枝 -引用者注 )の場合には、彼の方が

女であるのを認めた。が、それと同時に私の知って驚いたこと

は、彼が魚住に対しては男の役割に廻っているらしいことだつ

四五

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四六

。『白書』を摂取しっつ'しかし同時にそこから離れていこうとす

る身振-に'『燃ゆる頬』の特色の一つが認められよう。

『燃ゆる頼』の生成とラデ

ィゲの詩

『燃える頼』

堀の小説

『燃ゆる頬』の表題がラディゲの詩集

『燃える頬』に由

来するものであるにも拘らず'『燃ゆる頬』における

『燃える頬』

の影響に十分な検討が加えられる機会がなかったことは、すでに述

べたとおりである。この事実から容易に推察できるように'『燃ゆ

る頬』と

『燃える頬』の関係は、『聖家族』と

『ドルジェル伯の舞

踏会』のような模倣を含む露骨な影響関係とは異なっている。江口

清はさきの論稿において、堀におけるラディゲの影響を模倣と位置

付けていたが'少な-とも

『燃ゆる頬』を見る限り'それを単純な

表現レベルでの模倣と論断するのは不適切だ。

た。しかし彼は私を知ってから'その男の役割を嫌ひ出してい

るやうに見えた。それよりも私には'あの魚住が何時も女であ

ることを発見したことは意外だった。 (略)私は性と云ふもの

がどうやら私の想像もして見なかつたやうな'思ひがけない仮

面をつけているものであることに気づきだした--/

(略)私

は間もなく'魚住が私に対しても、三枝に対すると同じやうに'

女の役割に満足していることを認めた。

ここでは'仮面をつけたり外したり'あるいはつけかえたりしつ

つ男-女という形に収まってしまう (性)の意外性に言及されてい

る。それが理性の業なのか官能の業なのかは示されていないが、少

な-とも

『燃ゆる頬』が当初'現象としての少年愛に対する分析的

な姿勢を少なからず有していたことは確認できる。ちなみに右の引

用は'『白書』の一節-

「ほ-

(H-引用者注)の中には

一人の

女と

一人の男がいたんだ。その女はきみに従っていた。が'男はそ

んな服従に反抗していた。 (略)このほ-の中にいた鼻持ちならぬ

愚かな男という奴、これがぼくたちの愛の敵だったんだ。-やしい

ことだよ。ほ-はさみしか愛していない。」-

を坊俳とさせる件

でもある。ここでは'『燃ゆる頬』の改稿過程に'『白書』的な少午

愛小説としての濃度を稀釈する動きが見られることを指摘しておき

前述のとおり'堀が所蔵していた

『燃える頬』の原書

e

Joues

nfeu..には'読書の跡を示す書き込みが少なからず見られ

る。なかでも =UコCygコe∋Ort㍉

は'そうした痕跡がもっとも多 。L

es-

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見出せる詩だ。以下に'同詩で堀が下線を付した部分を堀の蔵書か

ら引用してみたい。

s E Unc

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armi「6cumeauborddulac.

Passez,couleurs.p⊆squetoutpasse・JAlafinilrestedu

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Sonlinge一SeS一armess6ch6SJLtanges.6ancedutrempLin・

(pp.]00・102)

e

Ray

u・Grasset

堀辰

mondRadiguet‥LesJouese

.7.1925.(

fe

雄蔵書、神奈川近代文学館蔵 )

(死んだ白鳥は目につかない/湖のふちの水泡の中で。 (略)/

移ろえ、色よ'すべてが移ろうから '/最後には白が残る。 /

バスローブを着た天使たち /砂の上に彼らは足跡を残さな

い。 //彼らの足跡。 /

(略)/

一人の天使の単なる

一蹴り

が/このように人が偽るということを犬に教える。 /そしてお

前'私の白鳥 '私の悲しみ、 /それはクリスマスを待ちながら

私が肥えさせたもの、 /お前の心を満たしている涙は /血液が

汚してしまうのを妨げるのだ /レダがその上にいる砂を /白鳥

のために自殺したレダが。 //その (白い)リネン'その乾い

た涙 '/天使は踏切台から駆け出す。)

(cyne(白鳥 )

iLeda

といった単語が見られることから分

かるように'これは画題としても馴染み深いギリシャ神話の一幕を

モチーフとする詩だ。スパルタ王妃レダの美しさに魅せられたゼウ

スは '白鳥に化けてレダの目を欺き彼女と交わることに成功する。

このラディゲの詩でとりわけ注目したいのは '「死んだ白鳥は目

につかない/湖のふちの水泡の中で」「移ろえ、色よ'すべてが移

ろうから、 /最後には白が残る。 /バスローブを着た天使たち /砂

の上に彼らは足跡を残さない」というように、白のイメージを媒介

として白鳥と天使が結び付いている点だ。この詩において天使と白

鳥とがほとんど置換可能な関係にあることは、 (peignoirdebain

((白い)バスローブ )〉 (linge ((白い)リネン))や羽が象徴す

四七

V

V

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じ発音

る天使と白鳥との形相の

一致に加えて、「お前、私の白鳥

(略)お

前の心を満たしている涙」「その乾いた涙、 /天使は」と '彼らが

涙を共有していることからも確認

できるはずだ。ちなみに

(lingeVはタオルやシーツ等 'いわゆるリネンを意味する単語だ

が、肌着や寝間着、と -に白色のものを意味する語でもある。もち

四八

いていた。私の心臓はどきどきした。 --

いずれも、「貧血性の美しさ」と

「ほっそりとした頚」の所有者

である三枝のベッドの脇に

「私」が魚住を見出すシーンだが、初出

で、天使とヤコブの格闘になぞらえて描き出された三枝と魚住が、

のちにゼウスが化けた白鳥に夜這をかけられるレグを思わせる図式

に置換されていることに注目したい。こうした改稿の手続きに 'ラ

ディゲの

『燃える頬』の影響を指摘することは牽強ではあるまい 0

ろんこの場合、 (tinge

(白い )リネン )と

〈range (天使 ))が同

(ランジユ )であることは偶然ではな -、それは単なる韻律

の問題以上に象徴的だ。

さて、ラディゲの

『燃える頬』における白鳥と天使の関係に着目

したうえで、『燃ゆる頬』の次のような改稿を眺めるなら、これが

白鳥から天使を、天使から白鳥を引き出すラディゲの詩と無関係で

ないことが見えて乗はしないだろうか。

突然

一つの壁の上に、不気味に左右に動いている何だか得体

の知れない影を映した。それはどうしても天使と格闘している

ヤコブの影としか見えなかった。私の心臓はどきどきした。 -

-

(初出

『燃ゆる頬』 )

一r

突然、大きな鳥のやうな恰好をした異様な影を、その天井に

投げた。それは格闘か何んかしているやうに、不気味に揺れ動

レンブラント 「天傍 と格闘するヤコブ」 (ベルリン美術館蔵 )

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さてヤコブと天使の闘いというのは、言うまでもな -

『創世記』

第三二章に見られる旧約聖書の有名な

一節だ。兄エサウから長子の

権利を奪うためエサウに扮して父を欺き、兄の怒りをかって家を出

たヤコブは、のちに許しを求めて兄の家に向かう途中、天使と格闘

する。この闘いに勝

ってヤコブはイスラエルの名を授けられるわけ

だが、『燃ゆる頬』の読者が注目すべきは '旧約聖書の筋そのもの

よりもむしろ、それを画題とするレンブランー、あるいはドラクロ

ワ等が描いた絵、とりわけその官能的な構図や表情だろう。

とくにレンブラン -の光に魅せられた堀が、その方法を小説に取

り入れて

『聖家族』を著したことは有名で、レンプラン -は、初期

から晩年に至るまで、堀の小説やエッセイに度々登場する画家だ。

レンブランーの措いた天使は、少年のような美しい顔に魅惑的な微

笑をたたえ、その手をヤコブの首に、そして脚をヤコブの腰にから

ませている。何故

「天使と格闘しているヤコブの影」を見出した

「私の心臓はどきどき」したのか。レンブラン -の絵にその理由を

見出すのは容易だろう。

すなわち初出に見られた天使とヤコブの交渉が改稿段階において

削除され 'ギリシャ神話の白鳥

(ゼウス )とレグ

(王妃 )を想起さ

せる描写へと変更された経緯に、我々は

『燃ゆる頬』におけるラデ

ィゲの詩

『燃える頬』の影響を指摘し得るのみならず、少年愛、同

性愛的なものの槌色を見ることもできるのだ。そしてこのような

『燃える頬』

への再接近と、少年愛

・同性愛的要素の後退には、前

章で示したコク -1の

『自書』からの離脱と、同

一の指向性を認め

ることができると塙者は考えている。

ちなみに天使とヤコブの格闘に関して堀は、初出

『燃ゆる頬』以

前にも、「室生さんへの手紙」 (「文筆」

一九三

〇二

一 )のなかで以

下のように述べていた。

萩原さん

(萩原朔太郎 -引用者注 )は自分の外側には割合に呑

気であるのに反し、自分の内側にはいつも激しい不安を、天使

ととり組んだヤコブのやうな格闘を、感じてゐる人であります。

ヤコブの激しい格闘と内面の不安の激しさとが併置されたこの件

は'ヤコブの激闘のうちに堀が精神の劇をも見ていた可能性を十分

に感じさせる。とすれば、魚住と三枝とを天使とヤコブの格闘に見

立てた初出

『燃ゆる頬』が、魚住の、あるいは少年愛着の不安や葛

藤をモチーフの

一つとして有していたと考えることができる。

さきに 'ソドミス -魚住をめぐり、「性と云ふもの」がつけてい

「思ひがけない」仮面を発見する

「私」の観察が描き込まれた初

『燃ゆる頬』に、少年愛に対する分析的志向が見出せることを指

四九

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摘したが '初出から当該部分が削除され tかつまた天使とヤコブの

格闘が 'レグに夜這いをかける白鳥

(ゼウス )へと置き換えられた

ことで '『燃ゆる頬』は、少年と官能をめぐるモチーフへと集中し

てゆくこととなった。

以上、本稿では

『燃ゆる頬』が 'コクトーの

『白書』やラディゲ

の『燃える頬』を摂取しっつ生成されたものであることを指摘した。

そのうえで'『燃ゆる頬』の改稿過程に

『自書』からの離脱と

『燃

える頬』への再接近という二つの素振りが認められ tかつそれが少

年愛

・同性愛的なテーマの稀釈という同

一の指向性に裏打ちされた

ものである可能性を提示した。

最後に'このような改稿の動きを少なからず後押ししたものとし

て'ラディゲの短篇

『ドニーズ』の一節を紹介したい。

他の女が僕の気にいるとしても、それは彼女のなかに僕があなた

を見つけるからだ。で '

一昨日、僕たちの松の下であなたを待って

いるとき 'そして僕があの若い羊飼いを無邪気に抱きしめていると

ころをあなたが見つけたあのとき、あれはつまり僕が待ちきれずに'

あなたの頬に接吻していたということなのだ。そして僕

倍になった 'というのも、僕を見るとあなたの頬が赤く色づ

ら。 (菅野昭正訳

『ドニーズ』『集英社ギャラリー世界

ンス Ⅲ』

一九九〇二

二)

「何時間ものあいだ口のなかに

(略)取っておいた

して溶けずにいてほしいと願うボンボンのように。とは

のの

もしそのボンボンが溶けなかったら、なんという当てはずれ '

という苛立ちであることだろう !」という

一節を含む

は'田舎娘が溶けなかった 'すなわち我がものとならなか

ちと滑稽を巧みに短篇化した小説だ。さて右の引用で注目した

は'『ドニーズ』においてはある女を愛することの代替として別の

女を抱 -ことと、ある女を愛することの代替として別

ととが区別されることな -'等し -扱われている点だ。

ちなみに前掲論文

「ラディゲと堀辰雄」のなかで江

'

は昭和七年六月末に限定本である原書

「ドニーズ」を堀から乞われ

るままに貸した」と述べている。つまり堀が

『ドニーズ』を手にし

たのは '初出

『燃ゆる頬』発表から初収単行本刊行ま

'

わちおおよそ

『燃ゆる頬』の改稿の時期に重なると考え

とすれば 'さきに

『燃ゆる頬』が少年愛

・同性愛を後退させる方

の快楽は三

いたか

の文学 8フラ

のだった、決

いうも

t

なん

『ドニーズ』

った苛立

いの

の男を抱

こ-

口清は

「私

での間

すな

てよい。

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ニーズ』が関

向で変形したことを提示したが、

わった可能性が大いに有るはずだ。

通過することで、同性愛、ある

描-ことから、セクシャルの如何にこだわらな

いた小説への変化をより確実なも

堀は、蔵書

『燃える頬』の序文

付している。

こうした変形に

『ド

『燃ゆる頬』は

『ドニーズ』を

1の

『燃ゆる頬』は、コク -

『自書』とラディゲの

すなわち師弟

れが目覚める

ではなか

naissancedeI.Amour.C.estavantouaprb

otrecaur・que

「レ -モン

五四

・七 )0

sn

丸岡明

「ブ

塚山学院大学研究論集

拙著

一)参照。

「堀辰雄と

・七 )0

I

いは同性愛を経た異性愛の目覚めを

の著した

一編の小説と

一冊の詩集を養分として形作ら

い官能の目覚めを措

つつ、しかし前者を離れ後者により接近することにより、 (官能

のにしたのではないか。

の以下の個所にアンダーラインを

)その詩的な瞬間を、

一編の小説に変えようとしたも

(「国文学

ったか。

LanaissancedeV6nus・q ilnefaut p

asconfondr

u.

vecta

ea

二フディゲと堀辰雄」

解釈と鑑賞」

s.eve≡entnossens;jamaisenm賢

S.(.13)

C.estdanscertainsdecespobmesquelasensuaJit6

gourmandesecachelemoins・(P・15)

P

一etemP

rus

lap

「ラディゲと堀辰雄」 (「比較文学」

一九五八

・四 )0

「解説」 (新潮文庫

『燃ゆる頬』

「燃ゆる頬」

一九四七

..Avant・pro

L

pos=,esJo

uesenfeu,(前掲 )(堀辰雄蔵書、神

ルースーと堀辰雄

の主題をめぐ

奈(美の神

我いう

(ものいく

川近代文学館蔵 )

二〇〇四

文学部」

二)など参照。

の誕生 'それを愛の神の誕生と取り違えてはいけない。

『流動するテクス -

堀辰雄』 (翰林書房、

々の官能が目覚めるのは我々の愛情の前か後であり '同時と

ことは決してない。)

コクト

」 (「国文学

解釈と教材

(一九七八

の研究」

っとも貴賓な官能がも

っとも少な -潜んでいるのはこれら

つかの詩の中なのだ。)

筑摩書房版

『堀辰雄全集』第八巻

・八 )所収。

『燃える頬』、

・二

の一九

)、南朋

って」

二〇〇八

(「帝・一

1九七

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⑦も、

beaut6JJ

美を奪い取る。 //その頭を隠すふりをしながら '

書七七

mentd.

egie

uneeI

。に

ちなみに r燃ゆる頬』所収の別の詩

Frag

(Lapeurdemourir・monbeau的陸

tonchant8t

は JA

esa

eJL.憎

Enf

恒仰 a

ei

achers

gnantdec

VeCSOnbras

atet

一asoulgne

i

.(死の恐怖が、私の美しい白鳥、 /おまえの歌から

の頭にアンダーラインを引 -Q))と

天使は腕でそ

に白鳥と天使が同

いうよう

(En fe

ignantユ asouligJe.)

)

時に詠み込まれており、

の跡を示す下線が付されている。

[付記 ]

テクストには筑摩書房版

『堀辰雄全集』第

の部分に読

一巻

(一九

・五 )を用

宜省略した。

い、旧字体を新字体に改めるとともにルビ等は適